第十五話 鬼の力
吸血鬼、それは夜の闇の中で生きる魔族の中でもかなり上位に位置付けされる、謂わば上位種、【鬼】の下位種族である【豚鬼族】や、中位種族の【大鬼族】とも違う。完全上位の【夜の王】である。
鍛えれば魔王への道も開かれるかもしれない……と、言うよりもこの世に存在する数名の魔王のうちの一体は吸血鬼だ。
つまり、油断は欠片も出来ない。
フレアの売女発言に対して激昂しているように見えて入るが、眼を見ればわかる。こいつは非常に冷静だ。少しは怒らせて隙を突きたかったのだが、これでは無理だろう。
ならば次は羞恥を責めるか? いや、無理だろう。羞恥を気にするような相手ならあんな格好はしない。
長い銀髪に銀の瞳、スラッとした長身にモデル顔負けのスタイル。長い脚を惜しげも無く晒しますかのような黒い短パンにヘソ出しの胸元が大きく開いたなんか硬そうな服。比較的硬派なフレアから見た印象はただの痴女である。
が、痴女は痴女でもただの痴女ではないのは明白。下級だと思われるが、それでもドラゴンを無傷で此処まで弱らせたのだ。それでも本気は生きてはいないだろう。
そう考えるとこの吸血鬼はドラゴンをけしかけたのではなく、きっとこのドラゴンは命辛々逃げていて、たまたま此処に辿り着いた可能性もある。
「ふむ……赤星、ジン太! そいつは殺すな! 私が飼う。無傷で捕らえろ」
仮にも相手はドラゴンであるのにこの無茶振り。信じているからこそ出せる命令でもあるが、それでも急に難易度を跳ね上げられてジン太も赤星も絶望に満ちた表情を浮かべているが、これはこれで問題ないだろうと思いフレアは身構える。
正面に立つこの吸血鬼、名前は知らないがかなりの手練れとみて間違いはない。しかし、フレアもこの世界に来てもう四ヶ月半は経っている。彼女のこと固有能力である炎熱操作もかなりのレベルに達している。
元々所有している魔力量と才能のおかげだろうか、今や彼女が使える厨二センス魔法の数はかなり多い。
「さて、私の安民を妨げた罰だ。たっぷりと日焼けさしてやるよ」
ニヤリと意地悪く笑みを浮かべるフレア。この悪役用御用達とも言える笑い方も彼女らしい。
相手も相手で腐っても夜の王。フレアの内より滲み出るその力を前にしても不敵に笑う。力の強弱が闘いの行方を決めるのではないと。
それの証拠だとでも言いたいのか、吸血鬼は笑いながら体を少しずつ霧に変え、残る実体は胸から上のみ。
「さて、ワタクシを侮辱した罪、これから起こる地獄にて償わせてあげますわ」
言葉の直後、身構えているフレアの後頭部に鈍い衝撃が走る。
突然の衝撃に背後を見るが何もない。その直後に今度は腹部に、側頭部に、何が起こっているのかわからない。炎からなる感知センサーを周囲に結界のように張り巡らせているのになにも感知しない。
何も、何も感知しない。つまりそれは結界の内側からの攻撃だという事。
「なんだ、種がわかれば簡単だな」
フレアはニヤリと笑い、その後素早く身を屈め、その頭上を高速で通り過ぎて行く何か。次は身を捩り、腹部へと狙いを定めていたソレを躱し、そして掴む。
「そうだよな。吸血鬼って言えば体を霧に変えられる特殊能力。そうなりゃその霧を好きなとこに飛ばして好きなところに実体を作り出すなんて簡単だよな」
ギリギリとツメが食い込む程に強くソレを掴み、得意気な笑みを浮かべる。彼女の掴んだソレは吸血鬼の足首。目の前の吸血鬼が下半身を霧と変え、それをフレアのすぐ側にて霧状化を解除、蹴りなる攻撃を加えていたのだ。
「______ッ! 離せ小娘がッ!!」
別にこの攻撃方法は吸血鬼である事から、実力者達ならすぐに考え付き、対処するだろう。魔人なり魔王と呼ばれる実力者達なら。
しかし、此処は辺境の森で、さらにその中のほんの小さな集落にするネグリジェ姿の小娘に……それもこんな短時間で見抜かれた。
完全に想定外。もう数発も攻撃を加えれば泣きながら許しを乞うものだとタカをくくっていたのに、結果はこれだ。
しかし、腐っても鬼の上位種である吸血鬼。プライドは傷付けられたがこの程度の事態、想定しないわけではない。このくらい、掴まれただけならまた霧へと戻せば_____
「オイオイ、吸血鬼様がこんな小娘から逃げんのか?」
「__ぎぃやっ!」
逃げようとした直後、吸血鬼は己の足首に耐え難い熱を感じ、必死にフレアのてを振りほどいてから己の所へと戻すも、その足、足首は赤く、紅く醜く焼け爛れていた。フレアが掴んでいた手の平から高温の熱を放出して焼いたのだ。
許せない。ワタクシの自慢の肌に何て事を、なんて思い表情に怒りを張り付けるのも束の間、既にフレアは、フレアの拳は吸血鬼の顔面、鼻の先僅か数センチにまで迫っており、流石の吸血鬼様でのこの距離ではもう避けられない。
ゴガンッと鈍い音が響き吸血鬼は仰け反る。フレアの攻撃は止まらない。先程のお前の攻撃、私は耐えたんだからお前も耐えてみせろと言わんばかりの猛攻を、能力使用を抑えたのだとしても十分に高すぎる身体能力のみによる怒りの連打。
突き、蹴り、裏拳に肘打ち、既に連打の数は十を超え、もうそれは仕返しの領域は超えてはいるがフレアのモットーは倍返し。すでに倍も超えているのだがそこは気にしない。
やがて吸血鬼の膝がガクりと折れたその瞬間、フレアは吸血鬼の頭をその手で掴んだ。
そこからの光景は、吸血鬼にはスローに見えた。
目の前の、それも己と比べれば生まれて間もないであろう魔族の少女の連打を受けてダメージを負ったがこの程度ならとも考えていたのに、これは何か……これは違う。
それにスローとは……まさかの走馬灯の開始なのかと自虐的な笑いを己の内に普及させるつもりもないが、それでも全身が、細胞の一つ一つが警報を鳴らす。逃げろと。
「……ふんっっ!」
そうして放たれたフレアの打撃系の中では最大の威力、魔人赤星でも三日寝込んだ彼女の頭突きが、それも手加減無しに吸血鬼を仕留める気で振り下ろされた。
ジン太は悩んでいた。
彼の師匠であるジンギ。ジンギはジン太の同じくフレアの忠実な臣下である。何があってもこの身を魔王様に捧げよう。それを魔王様が望まぬのであれば魔王様の為に全力で生き続けよう。
その事に疑問等何もない。
平和な日々の中で、ただフレアの役に立つ為だけに生きてきたのだが、今回のドラゴン襲来、さらに吸血鬼。
別にドラゴンに関しては問題ない。無傷でとなると尋常でなく難しいが、親友の赤星もいるのだ。魔人としてこの里でも頭一つどころがいくつも抜け出た赤星がいるのだ。そう。問題はない。自分がいなくても。
そしてジン太へと向けて手伝えと叫んでいる赤星の言葉を流しながら、ジンタは己が使える魔王様に目を向ける。
いくつもの連打で鬼の上位種……たかが豚鬼族とは天と地ほども違う上位の存在を相手取るフレアを尊敬と、その横に並び立ちたいという思いと。
そうしてジンタが見ているネグリジェ姿の魔王様。いわゆる下着姿見たいなものなのだが、と言うよりも下に履いているドロワーズだってあれは普通に下着だ。もう少しその辺の感覚は泡影に任せるしかないのかとジン太は溜め息をつく。
「ふんっっ!」
そんな事を思っているうちにフレアの、ジン太にしてみてもトラウマの一撃が吸血鬼へと放たれたその瞬間、ボンっ、と音が響き吸血鬼は姿を消した………いや、フレアから距離を取った。
それは吸血鬼の固有能力の派生能力、【緊急離脱】。短距離便しか移動出来ないが、瞬間移動並みの速度で相手と距離を取る事が出来る優秀な能力使用なのだが、勿論欠点もある。それは使用魔力が多過ぎる事だ。
しかも今はフレアの一撃を完全には躱せなかったようで、頭から額、鼻の横へと一筋の血が流れている。
「……へぇ、そんな事も出来るのか」
フレアは両の瞳を紅く輝かせながら吸血鬼に視線を向ける。
ゆらりと、両手をダランと、首の力を抜き頭は揺ら揺らと揺れ、その眼は紅く此方を強く睨みつけている。
途轍もなく怖い。
いや、問題はそこではない。そこだけでも半端なく怖いが、そこはこの際置いておく。
「なんだ……なんだその眼は!?」
吸血鬼は怯えている。ほんの数分も経たぬ前、あの人を見下した態度は思考は何処にもない。
以前、赤星も言っていたが紅い輝きを放つ眼を持つ魔物など存在しない。それこそ本当に特殊派生生物か、それ以上の世界規模の何かの意思により生み出された何か……。
吸血鬼は考える事をやめた。途中からまでは考えた。
もしかすると目の前の魔族は、己を上回る程の上級魔族……またはそれこそ本当に、新たに生まれた魔王種なのか。でなければ、まだ負けているわけではないが吸血鬼として高い能力を持つワタクシが死を連想させられるなど有り得ないと。
ならば、ならばこの者が力を付けぬうちに、今のうちに殺さねば。
吸血鬼は叫んだ。叫び、焼け爛れた足首が悲鳴を上げるがそれを無視し、打撃を受けた体のダメージは吸血鬼の高い再生能力のおかげでもう大丈夫だが、足首の火傷だけは治らない。まるで呪いのようにそこに刻まれている。
しかし、流石は吸血鬼、腐っても鬼の上位種である。
鬼であるジン太以上の力に泡影や赤星をも上回るスピード、そして高い再生能力に霧状化。通常ならば勝てる道理と見込みもない超が付く程の強敵だろう。
事実フレアも相手の反撃が始まってからは防戦一方、吸血鬼の鋭い攻撃に段々と傷を負っていく。しかし、フレアも学習している。
もしこれが神崎博之と出会う前であったなら、既に彼女の敗北は確定していただろう。
「ウギぁっ!」
フレアの胸、心臓を目掛けて抜手を放とうとしていた吸血鬼、それが突然悲鳴をあげて体を横にくの字曲げて数メートル吹き飛んだ。
突然の衝撃、ダメージに吸血鬼の理解は追い付かない。
ただ突然の乱入者、白と黒の入り混じった癖のある髪色に短く逆立った頭髪の体格の良い男、この里唯一の魔人にして最強の男、赤星は余裕とも取れる表情を浮かべたまま吸血鬼へと向けてサムズアップ。
なんだ?なんなんだ?と、吸血鬼の理解は思考はさらなる迷走を見せ、
「おっけいっス!」
その言葉が耳にして届くと同時に顔を右側から凄まじい衝撃が。
それはジン太の強力な破壊の一撃、その一撃は吸血鬼の頭を、首から上をただの一撃にて千切り飛ばした。
「……終わったみたいですね、フレア様」
「あぁ、ちゃんとドラゴンは無傷でおとなしくさせたか?」
「もちろん。抜かりはなく」
「……で、あれ、殺したのか?」
「まさか? ジン太がお優しいフレア様の方針に背くはずがないでしょう?」
「て事は、あいつはアレを受けてまだ生きてるって……厄介過ぎるよな吸血鬼って」
そうですねー、と笑いながらフレアに同調する赤星、ジン太は目の前で霧となって消えた吸血鬼の体を追おうかとも考えているのだろうか、しきりに森の奥を気にしている。
「ジン太。もう気にしなくていいぞ」
そこへ笑顔を浮かべたフレアが近寄る。とても嬉しそうに、ジン太の背中をバンバンと叩きながらよくやったと褒めている。
「ッス! 頑張りましたっス!」
「ああ、よくやったさ。これで私の新しいペットも出来たしな。今日は皆で祝いの宴でも開くか!」
◇◇◇
ところ変わり、吸血鬼は森の中を飛んでいた。己の背に生えた蝙蝠の翼を駆使し、木々を避けながら高速で。まるで何かから逃げるように。
「クッソ! なんであいつがこんな所にッッ!!」
吸血鬼の言う【あいつ】とは、フレア達里の者達の事ではない。
里から逃げ出してすぐ、何者かが彼女を追ってきている。まるで獲物を追い詰めて遊ぶ子供が如く、じわりじわりとその距離を詰めてきている。
「クフフ……ほら、早く逃げないと鬼に捕まってしまいますよ?あ、鬼は貴女でしたねキルリア」
その声は、その声の持ち主は彼女……吸血鬼キルリアにとっては悪夢そのもの。種族的にも、能力的にも天地がひっくり帰ろうとも彼女に勝利は有り得ない。彼女では勝てない。そう決まっている程の相手なのだ。
そうして鬼を相手にした鬼ごっこが始まってからは十数分、森を抜けたところで鬼はオニに捕まった。
「クッソ! なんでお前が此処にいるんだカンパネラ!」
そのオニとは道化師のような格好をした、仮面を付けた一人の男。かつて赤星を真なる魔人にするべく影人の里を襲わせた、影人の達の不幸の黒幕カンパネラ。
人を小馬鹿にしたような態度で飄々とキルリアの側に立つと、その蝙蝠の翼にそっと【闇】を被せ、そして【喰う】。
「ゔああぁぁぁあああああっっっ!!」
突然翼が消失し、神経そのものをズタズタに引き裂かれているような痛みが全身を襲う。
あまりの痛みと恐怖に自律神経も麻痺し、彼女の下半身は温かさのある液体に濡れる。
「あらららら、いい歳してお漏らしですか? 吸血鬼風情は躾もなっていないんですねぇ」
ケラケラと笑いながら、カンパネラは地面をのたうち回るキルリアの前にしゃがみ込み、彼女の額に人差し指をそっと当てる。
「まあ、聞きたがっていた事ですし、教えてあげますよ。あの里のフレア様には私の、このカンパネラの為に真なる魔王となって頂かねばならないのですよ。だからそこに横槍を入れてきた貴女にお仕置きを……いえ、私の精神衛生上の問題もありますし、とにかく殺します。はいサヨウナラ」
感情など欠片も入ってない。無機質な声でカンパネラはキルリアの額にそのまま指を差し込み、己の体より夜より暗い黒より暗い闇を出し、キルリアの全身を包み込み、それを【喰った】。
そうして事が終わり、闇が晴れてカンパネラは夜空に浮かぶ月を見上げて呟いた。
「頑張って強くなってくださいね。私の愛しのフレア様」
あれ? この吸血鬼脇役として今後も出すつもりだったのに(笑)やっちゃいました。カンパネラさんのせいです。本当に私の作ったキャラが私の予定をぶち壊してくれてご立腹中です。