第十三話 友
「それでも私は……」
神崎博之の言葉にフレアはただ俯いた。彼の言う通りだからだ。
フレアは己の力を過信し、そして思い上がっている節がある。別にそれは悪い意味で思い上がりではなく、わたしが王なのだから私が一番強くあらねば、わたしが一番強いのだから私が皆を守らねば、私が皆を守るのだから私が皆を導かねば、と。
責任感の塊のような少女、それがフレアなのだ。
そしてそれが今回、昨日の検問所でのいざこざ。それにより人間の醜いところを垣間見た彼女は仲間を守らねばと強く思い直す。
彼女は昨夜の公爵との謁見も、今朝の交易の話も、何一つ気を許してはいない。ただそれを表に出していないだけで。
今朝、泡影よりも早くに起きていたのはそれが原因でもある。そもそも彼女は寝てすらいない。泡影を安心させる為に寝たフリをしていただけなのだ。
だけなのだ……が、それでも浮かれていたのは事実である。買い物も終えてこれで里が少しは潤うと気が抜けてしまっていた。気を引き締め直さねば、と思っていたのに……
「お前は立派だよ。俺なんかとは比べもんになんねェ程にさ、すげェ立派で、強くて誇り高いと思うよ、正直俺はそんな強さはないから憧れるくらいだ。でもよ、それが全てじゃねェだろ?」
何が言いたいのかわからない。いや、わかる。わかるからこそわかりたくない。
フレアの手が震える。
「俺も、お前もさ。いくら大人ぶったってまだまだ子供なんだ。ガキなんだから頼れるもんは全部頼ろうぜ? 俺だって全然役に立たねェかもしんねェけどさ、出来る限りお前の力に_____」
「お前に何がわかるッッ!!」
それはフレアの叫び、怒り、そして嘆き。
神崎博之の言葉は正直、かなりフレアの心を揺れ動かした。これだけのお人好しなら、コイツとなら分かり合えるかもしれないと。
だが……
「そうだよ! 私はまだまだガキなんだ! 他のやり方を知らないんだよ! まだこの世界に来てから日も浅いし仲間が友が家族が出来てまだ一ヶ月くらいしか経っちゃいないさ! それでも私は私を信じてついて来てくれる仲間を守りたいんだよ! 傷付けさせたくないんだよ! それの何が悪いってんだよ答えろ人間! 答えろ神崎博之ッッ!」
神崎博之の言葉は優し過ぎたのだ。昔から友達と呼べるような存在なんていなかった。近くに頼れる大人なんていなかった。世話の焼ける兄が一人いたが、それでも彼女にとって本当に心を許せる相手なんてのは飼っていた猫、ミケしかいなかった。
「全部だよ……」
「なんだと……? もういっぺん言ってみろ!!」
「何度でも言ってやるよ! 全部だ全部! お前がそんなんだから、お前が周りの奴を頼らねえからお前を信じてる奴が泣くんだろうが! あの泡影って子、昨日あんなに泣いてたじゃねェかよ! 何で周りの奴の気持ちを考えねェんだよ! 他の奴らがお前に守られたいって言ったのか? 他の奴らがお前一人に傷付いて欲しいって言ったのか? 他の奴らがお前一人に荷物を背負わせたいって言ったのかよ! お前こそ答えろよ人間ッッ!!」
【人間】、神崎博之はフレアを人間と呼んだ。耳さえ隠せば見た目だけなら確かに人間に紛れる事も可能だろうが、種族、力、寿命、特性、それら全てが人間とは呼べぬ、所謂化け物へと成り果てたフレアを人間と呼んだ。
そして神崎博之はフレアの胸ぐらを掴み、己の方に引っ張ると超至近距離にて彼女の紅いその眼を真っ直ぐに見つめる。
「お前がよ……仲間を頼らねェのに仲間がお前を頼れるはずねェだろ? お前が言ってんのは、やろうとしてんのはただの独りよがりだ。そんな奴に国なんか作れねェよ」
そう言って、神崎博之はフレアを離した。
力無くその場にペタンと座り込むフレア。否定された。己の全てが否定されたと、ただ呆然とその場に座り込んでいる。
時間にして十数秒の沈黙の後、彼女は震える声を絞り出した。
「だ……だって…………わた……私がやらないと……」
「誰がそんな事お前に頼んだんだよ」
「わ、私は……王……だから……」
「違う。お前のそれは独裁だ」
「皆……皆が平和に……」
「お前がお前を犠牲にした平和なんかで喜ぶんなら、それは仲間なんかじゃねェよ」
その言葉が引き金となった。フレアの思考の全てを否定する、彼女のハリボテの強さを打ち砕く引き金と。
今のフレアには先程までの覇気も何もない。これは、今の彼女はほんの小さな子供だ。縋るような目で、助けを乞うように神崎博之を見る。もうどうすればいいのかわからない。私は私のワガママに皆を集め振り回してきただけなのか。何を信じて行動したらいいのかわからない。
「何をって、んなもん簡単だろ? 信じろよ。お前が自分を犠牲にしてでも幸せにしたいと思った仲間をよ」
「でも……私は……」
「なあ、フレア。あと一歩なんだぜ? 皆に認められるような王になりたいんだろ?だったらよ、認めてやれよ。信じてやれよ、その皆ってやつをよ」
地面に座り込んでいるフレアの目の前、神崎博之はしゃがみ込んで右手を差し伸ばす。優しい笑みを浮かべ、ただフレアの反応を待つ。
人を頼れるはずがないのだ。その様な環境で生きてきたのだ。そして今はそれの最たる所だろう。
そして自分がいる力を入れ持っているのだ。力を持っているのにそれを仲間を守る為に使って何が悪い。私が傷付くだけで事が終わるのならいくらでも傷付いてやる事の何が悪い。
……あぁ、そう言えば確かに泡影は泣いていた。
誰が泡影を泣かせた? そんな奴は許せない。……そうだ、私が泣かせたんだ。私は私が許せない。
どうしたらいい。何をすればいい。どうしたら泡影を泣かせるような事態を回避出来た?
「簡単だろ? 泣くときゃ一緒に泣けよ。笑うときゃ一緒に笑えよ。怒るときゃ一緒に怒れよ。傷付ける事を恐れんな。【お前】がが乗り越えるんじゃない。【俺達】で乗り越えるんだ。それが本物の王様だぜ?」
「…………おれたち?」
「あぁ、俺も微力かもしんな____」
「いや、そうじゃなくてなんでお前が?」
「はい!? ちょっとそれは酷すぎんだろ!?」
突然お前はいらないと宣言されて慌てたようにフレアに詰め寄る神崎博之だが、すぐにそれは何処か安心したような笑みに変わる。何故ならつい今まで泣きそうな表情を見せ浮かべていた少女が口元を歪ませ、小さくクククと笑っていたから。と言うよりもこの年齢のの日本出身の女の子の笑い方が「ククク」とか闇しか感じない。
そして笑いながら、目を擦りながらフレアは神崎博之に微笑み返す。
「クク……冗談だよ。頼りにしてるさ、これからも私の臣下として頼むぞ神崎博之」
「いやいやいやいやっ! さりげなく俺を手下にしようとするんじゃねェよ!」
「なんだ、つれないな。せっかく私の脱いだ靴を暖めるって役職を与えてやろうと思ったのに」
「俺をサル呼ばわりする気っ!?」
二人に互いに笑い合い、軽口を叩き、そしてフレアは神崎博之の手を取った。
この瞬間、二人の間に二人は友となった。対等の何ものにも干渉されぬ強い鋼の絆が生まれたのだ。
そしてそれを影ながら見守るのはフレアの影、自称親衛隊隊長の泡影と、その腕に抱かれている三毛猫のミケ。
「ンナァ?」
「ダメですよミケ様、今いい所なんですから」
人間なんかとフレアが結び付くのは忍びないが、それでもフレアが幸せになるなるのならそれはそれで良しとしよう。あの人間が信用できるのは私も同意見なのだから、と。
◇◇◇
翌日、フレアと泡影は大草原を歩いている。大苦戦しながら歩いている。リヤカーが重すぎるのだ。地面が石畳で硬い街の中ならまだしも、草原では車輪が土にめり込み洒落にならないくらい重くなっている。
フレアが前です手すりを頑張って押し、泡影は後ろから必死に押している。これを何日も押して歩くのかと思うとゾッとする。ジン太も連れてこればよかったと二人は心の底からそう思う。
もう日も落ちかけている時間なのに、まだダムドの城壁が見える距離に二人はいた。
とにかく重い。このペースだと二人が里に帰るまでに一体何日掛かるか想像も付かない。もう里を離れて一週間なのだ。少しでも早く帰らねば皆が心配すると気合を入れ直すも、結局は夜になっても予定の三分の一程しか進まなかった。
「ヤバい……これはヤバい……」
「フレア様……腕の痙攣が治んないんですけど……」
火を焚き、野営する二人は今己の体を襲う筋肉痛と戦っている。これはヤバいと。今でこれなら明日はどうなってしまうのかと。帰るまでに一月は掛かるか、帰った頃には筋肉隆々になっているかだ。
それだけは嫌だ。ならばどうしようか……。
「なあ泡影、頼みがあるんだが」
「フレア様を置いていくくらいなら私はこれで体を鍛えます」
泡影に里へ向かってもらい、迎えを寄越すように頼もうにも泡影はそれを頑なに拒む。
「これはフレア様での罰です。私が許すまでフレア様は私の側を離れる事は許しません」
何を言っても返してくるのはこれだけなのだ。
参った。本当に参った。このやり取りだけでフレアは神崎博之とのやり取りを見られていたのだと理解し、恥ずかしさに顔を染める。フレアもあのやり取りを経て己の考え方を改めた。改めたのだが、それと弱味を見せるのは違う。
「なあ泡影、私が悪かったから」
「駄目です。ねえミケ様?」
「ンナァーォ」
ただ溜め息しか出ない。そんな夜だった。
そして明くる日、フレアは何者かに体を揺すられ起こされる。筋肉痛の身体が悲鳴をあげ、世にも面白い顔をしながらフレアが目を開けるとそこには懐かしい顔。
「迎えに来たぜ、フレア様」
「あか……ほ…………痛っ! 痛い痛い痛いっ!」
それは赤星との感動の再会…なのだが、筋肉痛でそれどころではない。
泡影も同じ、筋肉痛に苦しみ赤星の事など気にも留めていない。
「えぇー……」
ただただやりきれなかった赤星であった。
神崎くん絶好調です。さすがあの人に影響されてるだけあります。