危険な小道
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ルーシーは大慌てでおばあちゃんの家に向かいます。
寄り道をしているうちに、すっかり遅くなってしまいました。
髪の毛が揺れ、スカートがひらめき、バッグが音を立てます。
急ぎに急いでいたルーシーですが、途中で立ち止まりました。
「いけない、卵を運んでるんだったわ」
そうっとバッグを覗きます。
苺の合間から、ちょこんと卵が顔を出していました。
「ふう、よかった。割れてる卵はないみたい」
触ってみますが、つるつるとした殻に、ヒビはありません。
おじさんにもらった三つの卵は、どれもルーシーの手に納まる大きさです。
最後にもらったひとつだけは、じんわりと熱を持っていました。
「卵を割ったら大変、全部台無しになちゃっうわ。
でも、急いでるのに走れないなんて、どうしましょう」
ルーシーは、ひとつだけ方法を思いつきました。
森の中を通る小道を歩けば、遠回りしないでおばあちゃんの家に辿りつけます。
でも、暗くて危ないからと、お母さんには行ってはいけないと言われていました。
「仕方ないわよね。ぐるって回ってたら、遅くなっちゃうんだもの。
そしたらおばあちゃんが怒って、来てくれなくなっちゃうかもしれないんだもの」
木で覆われた小道は、お日様が葉っぱで遮られていて、どんよりとしていました。
お昼なのに、まるで夜みたいに暗いのです。
風に揺れる木々はどれも不気味で、どうしてそう感じてしまうのか、ルーシーにもわかりません。
「大丈夫、ちょっと近道するだけよ。
ママも暗いからダメって言ってただけで、危なくなんてないのは知ってるもの。
前にも、ちょっとだけ入ったし」
前は出口が見えなくなりそうになったところで戻りましたが、今日のルーシーは八歳です。お姉さんです。
ちょっと暗くなったから怖いだなんて、思うわけがありません。
「まっすぐ行けば、すぐよ。恐くなったら目をつむればいいんだし。
お化けだって夜にならなきゃ出てこないもの。」
ルーシーは、お母さんが入っちゃだめといった理由を知りません。
知りませんが、暗くて怖いから入ってはいけないのだと思っていました。
暗いのを怖がらなければ、大丈夫だと言い聞かせていました。
でも、ルーシーは知りませんでした。
お母さんがルーシーを行かせたくなかったのは、暗いのが危ないからではないのです。
暗くて危ない道だから、入ってはいけなかったのです。
ルーシーがそれを知ったのは、引き返せないほど道を進んでしまったあとでした。
森の中は、たくさんの音がします。
ガサガサと揺れる茂みの音も、ギャアギャア鳴く鳥の声も、どれも夜の響きでルーシーを脅かそうとします。
「蜘蛛の糸は明るいところだときれいだけど、暗いところだと、とても嫌なものね。
服についちゃうし、どこにあるのかわからないわ」
道の真ん中に、蜘蛛の巣が掛かっていたりもします。
触るのも嫌で、ルーシーは身をかがめて蜘蛛の糸を避けました。
「足元もちょっと濡れているわ」
ルーシーの靴が、土で汚れていきます。
「……なんだか、変な音もするわ」
たくさんの音の中に、初めて聞く音が混ざっていました。
ズルズルとなにかが這う音で、それはルーシーの横に、ぴったりとくっついています。
ルーシーが遅く歩くと、ゆっくりと。早足になると、すばしっこく。
「やっぱり、だれかがいる。人じゃない誰かが、私を見てる!」
幽霊でないのは確かです。幽霊なら、音を立てたりはしません。
動物の足音でもありませんでした。
引きずったような音は、じわじわとルーシーを不安にさせます。
耐え切れなくなって、ルーシーは立ち止まりました。
「ついてきてるのは、だれ?」
音の聞こえていた方に目を凝らしますが、だれもいません。
でも、なにかの息遣いが、ルーシーを品定めするように、シューシューと聞こえます。
この声は、だれの声でしょう。
「私に用があるんでしょう? 急いでるから、早く答えて」
「ならば、答えよう」
低い声がルーシーに答えました。
下の方から聞こえますが、草がたくさん生えていて、姿は見えません。
「私は、この森に棲むヘビである。
一体、だれの許しを得てこの道を通るのか」
「まあ、ヘビ!?」
森にヘビがいたなんて、知りませんでした。
ルーシーはお話でしか、ヘビを知りません。
読んでもらった本の中で、ヘビはとっても危険な生き物でした。
身体と舌はニョロニョロと長く、鋭い牙には毒があります。
なんでも丸呑みにして、ゆっくりと体の中で豚やら牛などを溶かしていくのです。
勝てるのは、ナイフを持った勇者だけです。
「どうしましょう、私じゃどうにもできないわ!」
ヘビがいると知っていれば、こんな道を選んだりはしなかったのに。
ルーシーが震えていると、ヘビは気を良くしたのか、シューシューと音をたてました。
「子供のようだな。お前なんて、私が口を開けば、一呑みにできるのだぞ」
ヘビの姿は一向に見えません。
長い尻尾も茂みにうまく隠しているのか、ルーシーがどれだけ目を凝らしても、見つけられません。
「私、ヘビがいるなんて知らなかったの。
知ってたら、絶対来なかったわ。だから、見逃して」
「私が恐ろしいか。お前の振る舞いによっては、この道を通してやらんこともないぞ」
もったいぶってヘビはルーシーを品定めします。
ルーシーは縋りつくように頷きました。
「ええ、ええ。通してくれるのなら、なんでもするわ」
「そうか。私は腹が減っている。お前の卵をよこせ」
「まあ、なんで卵を持ってるってわかるの!」
卵はバッグの中にありますし、ルーシーは森の中で一度もバッグを覗いていません。
「苺の匂いもわかるぞ。
卵を私にくれるなら、お前を見なかったことにしてやってもいい」
「飴じゃだめ? ちゃんと持って帰らないと、お母さんに怒られちゃうわ」
「いいや、だめだ。私は卵が大好物なのだ
喉をスルンと卵が抜けるのが、とっても気持ちいいんだ」
ヘビの声がちょっとずつ高くなってきました。
卵を前に、興奮しているのかもしれません。
「おじさんは、ひとつ余計に卵をくれたけれど、どうしよう」
ひとつ多いのだから、ひとつくらいヘビにあげても、いいかもしれません。
ここは蛇の言うことを聞いて、森を抜けるのが一番です。
「わかった。そしたら、私を呑みこまないでくれるのね?」
「いいとも。人間を食べてもおいしくなさそうだからな」
食べないと言われて、ルーシーはほっとしました。
ヘビに呑み込まれてるなんて、夢でもまっぴらです。
「ねえ、どこにいるの?あげるから、顔を出して」
ヘビは怖いですが、どんな顔なのか気になります。
大きなヘビがどうやって体を隠しているのかも、知りたくてたまりません。
「そこに置け」
ルーシーは木の葉の上に卵を乗せました。
ぐらぐらと卵が揺れます。
「よし、お前はさっさと出て行け」
「どうして?」
「私は食事しているところを見られるのは嫌いだ。
食べられたくなければ、さっさと出て行け」
「あら、そうなの?
でも、だれかには見られると思うわよ。森には虫や鳥がいっぱいいるんだもの」
「人に見られるのが嫌なんだ。
あんまりうるさいと、お前も食べてしまうぞ」
「それだと約束が違うわ。私は食べないって言ったじゃない」
他の動物はよくて、人にだけ見られたくないなんて、変なヘビです。
人見知りするヘビなのでしょうか。
「いいわ、こっそり見てればいいんだもの。
かくれんぼは得意なんだから」
ヘビの言う通りにした振りをして、ルーシーは卵から離れます。
一歩、二歩、三歩。
「あら?」
ぐらぐら揺れていた卵に、ピキッとヒビが入りました。
だれも触っていないのに、卵が割れていきます。
そこから顔を見せたのは、生まれたばかりの小さなヒヨコでした。
「まあ、ヒヨコが生まれたわ!」
ルーシーが感激していると、ヒヨコがピヨピヨと囀ります。
「なんだ、鳥になっちゃったのか」
卵がヒヨコになってしまったのが、ヘビは残念なようです。
「僕、鳥はあんまり好きじゃないんだよなあ。
食べようとすると、暴れるから。」
ヘビの声が、男の子みたいな声に変わっていました。
不思議に思ったルーシーが茂みを覗きこむと、そこには、ルーシーの両手くらいしかないヘビが隠れていました。
「うわあ、見つかっちゃった!」
ヘビはびっくりした顔で木の葉に隠れます。
その声は、さっきまで聞いていた声に、似てなくもありません。
「貴方、そんなに小さかったの?」
「ごめんなさい、踏まないで!」
「そんなことしないわ」
なるほど、わかりました。
このヘビは大きなヘビの振りをして、ルーシーをだましていたのです。
小さくてもヘビはヘビですが、この大きさなら、ルーシーに噛みつけたとしても、呑みこむなんて、とてもできないでしょう。
正体を見られたヘビは、ぶるぶると丸まって震えています。
「おなかが空いていたから、ちょっと意地悪しただけなんです。
人を食べるなんて、できません」
「なら、ここを通ってもいい?」
「もちろんです。もう脅かしたりしないから、許してください」
「いいわよ。私も急いでるから」
ヘビはニョロニョロと体をくねらせて逃げて行きました。
「ふう、もうちょっとでだまされちゃうところだったわ。
貴方もよかったわね。食べられないですんで」
ヒヨコはピヨと鳴きました。