こわーいおじさん
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カルロフと二人で小道を歩きます。
お昼になると、体もぽかぽかと温まってきました。
「ほら、あそこの畑に苺があるんだよ」
カルロフの指差す先に、柵で覆われた大きな畑があります。
手前の方にある葉っぱは、ルーシーにも見覚えのある野菜でした。
「ねえ、ルーシー。やっぱり、やめた方がいいんじゃないかな。
おじさん、本当に恐いからさ」
ここまで来て、カルロフは嫌がります。
「恐いってどれくらい?」
「それはもう、すっごくさ。すごい大きな声で怒鳴ってきたし、畑を出てもずうっとついてきたんだもの。
猟犬だって、あんなにしつこくはなかったんじゃないかな」
「それはゾッとするわね」
話していたら、おじさんの家のドアが開きました。
まるで、聞き耳を立てていたかのようです。
いかめしい顔をしたおじさんが顔を出すと、畑のそばにいる二人に、ぎょろりと目を剥きました。
「お前たち、そこでなにをしている!」
「うわあ、来た! 逃げるぞ、ルーシー」
ずんずんと近づいてくるおじさんに怯えて、カルロフが一目散に逃げだしました。
カルロフの逃げ足はウサギも驚くほどで、あっという間に小さくなっていってしまいます。
ルーシーは一歩も動かずに、おじさんを見上げました。
逃げないルーシーを、おじさんは不思議そうな顔で見ています。
「どうした、腰を抜かしたのか」
「違うわ」
ムッとして答えるルーシーの声は、いつもと同じ、気取ったままです。
「なら、どうして逃げない。仕置きされたいのか」
「それも違うわ。私、お仕置きされなきゃいけないことなんて、してないもの」
「なんだと?」
おじさんは恐い顔をしていますが、ルーシーはへっちゃらでした。
カルロフと違って、ルーシーは逃げなくてもいいのです。
だって、悪いことなんて、なにもしてないのですから。
「ここは俺の敷地だ。勝手に入ってきただけで、罪になるんだぞ」
「そんなの知らなかったもの。
敷地なら、ちゃんとわかりやすく看板を立ててくれなくちゃ」
これはいつもとは勝手が違うぞと、おじさんは思いました。
声を荒げるだけで逃げていくはずなのに、この生意気な子供はまったく動きません。
唸っても、泣き出しません。
「今、説明しただろう。
だからさっさと出て行け、あの悪戯坊主みたいにな」
ルーシーを案内する役が終わったので、家に帰ってしまったのでしょう。
もうカルロフの姿は見えません。
カルロフは紳士ではないのですから、仕方がないといえば、仕方がありません。
「私は悪戯をしに来たわけじゃないわ。
ちゃんと用があってきたのよ」
苺畑がどれかはわかりませんが、真っ赤になった苺がたくさんあるはずです。
その苺を分けてもらうのが、ルーシーの用事なのです。
「苺が欲しいの。私に、苺を売ってちょうだい」
「苺だと?」
「苺を育ててるって、聞いたわ。だから、私に苺を売ってほしいの」
「苺が欲しければ、店に行けばいいだろう。
うちは市場でしか売らないことにしているんだ」
それだけ言って帰ってしまいそうになるので、ルーシーは慌てて追いかけます。
おじさんの一歩は、ルーシーの三歩分はありました。
「貴方の苺が食べたいの。大きくて、甘い苺なんでしょう?」
「ああ、そうさ。丹精込めて育ててる、うちの自慢の苺さ。
それなのにお前たちときたら、まるでその辺に落ちている木の実のようにとっていくんだからな。鳥なんかよりも質が悪い」
「私はとったりなんかしてないわ」
「お前は違っても、他の悪ガキどもがとっていくんだ。
俺は子供が嫌いだ、帰んな」
おじさんはなんとかしてルーシーを追い払おうとします。
ですが、ルーシーはあきらめられません。
「苺が欲しいの。私のケーキに、苺がどうしても必要なのよ」
「ケーキだあ?」
「私のケーキよ。
それもただのケーキじゃないの、私の誕生日に食べるケーキなんだから!」
ルーシーは胸を張ります。
「それで、そのケーキの苺が欲しいってわけか」
「そうよ」
「なら、他を当たってくれ」
おじさんが背を向けました。
「誕生日だろうが、知ったこっちゃないね。
俺は作物を個人に売らないと決めているんだ」
「どうして?」
「売らないといったら売らないと言ってるんだ、しつこいな」
「理由を教えてもらえないと帰れないわ。
だって、とっても楽しみにしてたんだもの」
苺をもらうために、ここまでやってきたのです。
カルロフの家にも行ったし、おじいさんの家に蜂蜜を届けに行ったりもしたのです。
それなのに、これでおしまいなんてあんまりです。
「誕生日のケーキなのよ! おじさんは、ケーキに苺が乗ってなかったらがっかりするでしょう?」
「知らねえな。ケーキなんて、食ったこともねえからよ」
「嘘よ! ケーキを食べたことがない人なんていないわ!」
まだ騒ぐルーシーに、おじさんはうんざり顔で鼻を鳴らしました。
「誕生日だからなんだっていうんだ。俺は誕生日を祝ったことすらねえよ」
「そうなの?」
「おうよ。んなもん数える暇があったら、儲けを数えて酒を飲んだ方がよっぽどうまいからな」
ルーシーはびっくりしてしまいました。
おじさんのお母さんとお父さんは、誕生日を祝ってくれなかったのでしょうか。
だから、誕生日ケーキがどれほど大切なものなのか、わからないのでしょうか。
「あのね、誕生日ってとっても大切なものなのよ。
神様の子供の誕生日だって、みんなでお祝いするでしょう?」
「それもしたことねえな。自分のすら祝ってないのに、そんなもの祝ってられるかね」
「まあ、なんてこと!」
祈りを捧げないまま、聖夜を過ごすなんて!
「それはよくないわ。誕生日はとっても大切なものなのよ」
言い聞かせるようにルーシーは語りかけましたが、おじさんは笑うだけです。
「お前さんにとってはな。俺みたいな男には、関係ないのさ」
「そんなこと、ないはずよ」
自分が生まれた日がどれだけ素晴らしいものか、誇らしいものか、おじさんは知らないのです。
だれにも祝われないで終わってしまうなんて、それでは誕生日が可哀想です。
「わかったわ。私が貴方の誕生日を祝ってあげる」
「ううん?」
初めて、おじさんが恐い顔をやめました。
それでも恐い顔なので、もしかしたら元からこんな顔なのかもしれません。
「誕生日がどんなに素晴らしいものかわかれば、おじさんもケーキの大切さがわかるはずよ。
おじさんの誕生日を私が祝ってあげるわ」
それはとても素晴らしい思い付きでしたが、おじさんは強く首を振りました。
「冗談じゃない。どこの子かも知らない子供に、そんなことされるなんて」
「なら、知ってくれればいいのよ。
私の名前はルーシー・キャンベルト。家はこの道をずっと行った先の、茶色屋根に窓が付いた煙突のある家。
ほら、これで私がどこの子供かわかったわ」
「……こりゃ、とんでもない娘に狙われたものだな」
おじさんはすっかり参ってしまいました。
苺を渡さない限り、ルーシーはどこまでも追いかけてくるでしょう。
怒鳴ったら逃げる悪戯坊主より、いきなり泣き出してしまう子供よりも、ずっとずっと質が悪いです。
とにかく話を切り上げるべきだと、おじさんは考えました。
「わかった、苺はやろう。金もいらない。
だから、大人しく帰ってくれ」
手早く苺を摘んで、ルーシーの両手にどっさりと持たせます。
そしてルーシーになにも言わせないまま、家に帰ってドアを閉めてしまいました。
「待ってちょうだい!」
苺は手に入りましたが、これでは満足できません。
だって、おじさんはルーシーの言ったことを、ほんのちょっとも、わかってくれていないのです。
「苺が欲しくて、あんなことを言ったんじゃないわ。
誕生日の嬉しさも、クリスマスの楽しさも知らないなんて、あんまりだもの」
ルーシーは苺をバッグにしまうと、おじさんの家のドアを叩きました。
おじさんの声はすぐに返ってきます。
「なんだ、まだなにか文句があるのか」
「あるわ」
「しつこい子供だな! 親に言いつけるぞ!」
ドア越しなのに、なんて大きな声でしょう。
ルーシーは息を吸って、扉を見つめました。
「ごめんなさい、文句なんてないわ。
でも、言わなくちゃいけないことがあるから、聞いてちょうだい」
返事はありません。
ドアの先のおじさんが、ちゃんと話を聞いているのかもわかりません。
「苺をもらえるのはうれしいわ。ありがとう。
でもね、やっぱり、誕生日を祝わないのは、もったいないと思う」
誕生日にあるいいことは、ルーシーの指を全部使っても、とても足りないくらいです。
一度祝ってもらえば、おじさんにもその良さがわかるでしょう。
「だから、お祝いましょう。きっと神様も、見ていてくれているはずだから」
おじさんは答えません。
物音一つしないこの家の中で、おじさんはどんな顔をしているのでしょう。
ルーシーには、わかりません。
「私が祝福してあげる。神様に誓って約束するわ」
もう、時間がありません。
お日様は空の一番高いところまで来ていますし、ルーシーには、まだ仕事が残っています。
「もう行かなくちゃ。でも、おじさんの誕生日をまだ聞けてない」
ルーシーは困ってしまいましたが、思いついたようにポケットのハンカチを取り出しました。
お母さんに買ってもらった、大事な大事なハンカチです。
「約束の印に、ハンカチを置いていくわ。
お母さんに送られた大切なハンカチだから、絶対になくさないでね」
ハンカチを置く場所がないので、おじさんの家のドアノブに結び付けます。
しわがついてしまいますが、汚してしまうよりはいいでしょう。
「絶対に絶対に、返してもらいに来るから!
だから、来た時には誕生日を教えてね! 絶対だから!」
何度も絶対と念を押して、ルーシーは下がります。
ハンカチを置いていくと思うと、胸が苦しくなりますが、約束の証はどうしても必要です。
ルーシーは振り切るように顔を背け、走り出しました。
――ガチャリ
内側からドアノブが回されて、おじさんの顔が半分ドアから覗きます。
もう、ルーシーの姿はありませんでしたが、表のドアノブには、ルーシーが残したハンカチがしっかりと結ばれていました。
「はてさて……困った子供もいるもんだ」
おじさんは独り言を言って、ドアを閉めました。