ママの言伝
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家を出るルーシーに、お母さんはいくつか決め事を作りました。
カルロフの家でも、おばあちゃんの家でも、おじいさんの家でも、お邪魔にならないようにすること。
おばあちゃんの家に行くときは、暗い小道を通らないこと。
苺をもらえたら、ちゃんとお礼を言うこと。
お母さんとその言葉を何度も繰り返してから、ルーシーは家を出ました。
手提げバッグの中には必要なものがたくさん入っています。
メモが一枚にコインが五枚、蜂蜜の瓶が一本、ルーシーが舐める飴玉が一個。
おじいさんにあげる蜂蜜の瓶が重たくて、ルーシーは瓶を両手で抱えました。
「さて、私はどうすればいいのかしら」
ルーシーはおつかいの内容を思い出そうとします。
お母さんはちゃんと紙に書いてくれたのですが、抱えた瓶を下ろすのは大変なのです。
メモを見るのは、おつかいの内容が思い出せなくなってからにしようと決めていました。
「えっと、カルロフの家に行かなくちゃいけなかったはずよ。
だから……そう、カルロフのママに、パーティーの時間を伝えればいいのね」
テクテクと歩いて、ルーシーはカルロフの家の門の前に立ちました。
白い扉の隣の壁には、小さな花が植えてあります。
花びらの上には、水でできた玉がちょこんと乗っかていました。お日様に照らされて、キラキラと輝いています。
門は閉じていました。
ルーシーは瓶で塞がった腕のかわりに肩で押してみましたが、鍵が掛かっているのか、びくともしません。
「困ったわ。言伝があるのに」
門はルーシーの頭よりほんのちょっと高くて、背伸びをしても中を覗くことはできません。
少し離れてみても、ルーシーの身長では屋根しか見えません。
「どうして鍵を掛けてしまっているのかしら。
お客様が来ても、これじゃあ中に入れないじゃない!」
プリプリとほっぺたを膨らませていると、ガチャリと扉の開く音がしました。
でもそれは、目の前の門の音ではありません。
「やあ、家の前におチビちゃんが居座っているぞ」
ルーシーが顔を上げると、門の反対側から、カルロフの八重歯が見えました。
くるんとした前髪の下には、悪戯っ子のくりくりした瞳が覗いています。
「私はおチビちゃんなんて名前じゃないわ」
「おや、そうかい。でも、この門よりずっと小さいや」
「それならおうちよりもずっと小さいあなたも、立派なおチビさんね!」
ルーシーが言い返してやると、カルロフはつまらなそうに唇を尖らせました。
カルロフはいつもからかってくるのですが、ルーシーも慣れっこなので、すぐに言い返してしまいます。
女の子はおしとやかにしていなさいと言われていますが、今はお母さんもお父さんもいません。
大人がいなければ、いい子でいる必要はないのです。
「で、こんな朝早くからどうしたんだい?
帰るおうちを間違えちゃったのなら、ルーシーの家はすぐ隣さ」
「違うわ。私はカルロフのおうちに用があるの。門を開けてちょうだい。」
「用ってなんだい? 俺が聞いてやるよ」
ひょいっと門を飛び越えて、カルロフはルーシーの隣に立ちました。
カルロフの行儀の悪さは、今に始まったことではありません。
服がつぎはぎだらけなのも、あちこちに引っ掛けて、すぐに破ってしまうからです。
「大切なお知らせよ。貴方、ちゃんと間違えずにママに伝えられる?」
「馬鹿にするなよな。聖書の一節くらいなら、そらで言えるぜ」
自慢するようにカルロフが胸を張りました。
「それなら、貴方にお願いしてあげる。
今日の私のパーティーは、三時からだって伝えてちょうだい」
「パーティー? ……ああ! そうだった、今日はルーシーの誕生日か」
「そうよ。私の一番大切な日なんだから、ちゃんとママに伝えてね」
パーティーと聞いて、カルロフは下手くそに口笛を吹きました。
ルーシーの誕生日はルーシーにとって大切な日ですが、カルロフにとっても特別な日になるのです。
御馳走が食べられるとあって、カルロフはそわそわと体を揺すりました。
「ねえ、誕生日のケーキのほかにもごちそうはあるのかい?」
「もちろんよ。きっととってもおいしいローストを作ってくれるわ」
「ひゅう! それじゃさ、君のママが作るプディングはある? 蜂蜜をたっぷりかけた、あのプディングは?」
「いっぱい用意してってママに頼んだわ」
「最高!」
飛び跳ねんばかりのカルロフに、ルーシーは気取った声で続けます。
「だから、ちゃんと伝えてね。でないと、カルロフのぶんのプディングまでなくなっちゃうから」
「わかったよ、しっかり伝える。なんなら、今すぐ家に引き返して伝えてくるよ」
そういってカルロフは門に手を掛けましたが、ルーシーは慌てて止めました。
「待って、カルロフに聞きたいことがあるの」
「俺に?」
「この前、苺のおうちを教えてくれたでしょう? そこに私を連れて行ってほしいの」
「苺?」
この前話したのに、もう忘れてしまったのでしょうか。
でも、カルロフはすぐに思い出しました。
「ああ、あそこの偏屈おじさんか。なんでそんなところにわざわざ」
「ケーキの苺が足りないの。だから、お母さんの代わりに、私がもらいに行くのよ」
苺がたくさん乗ったケーキのために、ルーシーは張り切っています。
ですが、カルロフはあまり乗り気ではないようです。
大嫌いなチーズを食べた時と、同じ顔をしています。
「あそこのおじさん、すっごく恐いんだよ。
畑に近づくと、尻尾を引っ張った犬みたいな声で怒鳴るんだ」
「カルロフは苺をもらったことがあるんでしょう?
甘くて大きい苺だったって、教えてくれたじゃない」
すると、カルロフは目をくるくると動かしました。
悪いことをしたときの、カルロフの癖です。
「私に嘘をついたのね!」
「違うさ」
嘘なんかついてないと、カルロフはすぐさま言い返しました。
「畑の苺は食べたのさ。
もらってはいないけれど、食べたことはあるよ」
おじさんにもらっていないのに、苺は食べたことがある。
つまりは、そういう事です。
「そうだ、ルーシーの分も持ってきてあげようか。
ちょっとくらいもらったって、おじさんも気づかないさ」
それは、昨日のルーシーだったら喜ぶ提案でした。
もしかしたら、明日のルーシーも喜んだかもしれません。
でも、今日のルーシーは重々しく首を振りました。
「せっかくだけど、やめておくわ。
誕生日に悪いことをする女の子なんて、神様は愛してくださらないもの」
それに、盗んだ苺で作られたバースデーケーキなんて、おいしくなるわけがありません。
作ったケーキがおいしくなくなったら、お母さんだってがっかりするでしょう。
「悪いことする日に、変わりなんてないと思うけどな。明日やったっておんなじさ。
でも、ルーシーがそう言うならやめておこう。今日はルーシーが主役だからね」
大人みたいに肩をすくめて、カルロフはおどけます。
「それじゃ、ちょっと待っててよ。
パーティーの時間を伝えたら、俺が吠えるおじさんのところに連れてってあげるから」
カルロフは野ウサギのようにピョンと柵を乗り越え、家に戻っていきました。
「吠える犬みたいなおじさんなのね」
吠える犬は苦手です。
少しだけ。ほんの少しだけ、怖気づきそうになります。
「でも大丈夫よ。
大人なら、いきなり噛みついてきたりはしないもの」
本物の犬と比べたら全然怖くないと、ルーシーは自分を奮い立たせました。
なんていったって、今日のルーシーには、神様の御加護がついているのです。