俺に任せて先に行け、と幼なじみに言われてTS転生しました
「分かった。ではその悪い令嬢の役、俺が引き受けよう」
いやいやいや。
どうしてそうなるの、と私は心の中で雪雅に突っ込む。
彼は私の幼なじみだ。
つい先ほど、私たちは二人揃って子猫をかばってトラックに轢かれてしまった。
走馬灯がよぎる間もなく即死したと思ったのに、気づけば白一色の不思議な空間にいた。
そして目の前でにやにや笑う神様にチャンスを与えられたのだ。
「小さき者を守ろうとするその心意気やよし。褒美に人生の第二ステージを与えてやろう。ただし、何もしなければバッドエンド直行の悪役令嬢とその執事に転生させる」
あ、このパターン知ってる。
私は流行のネット小説をいくつか思い出し、冷や汗をかいた。
どうやらこの神様は私たちを乙女ゲームの世界に転生させるらしい。
舞台は中世ヨーロッパ風の異世界。
心優しい王子様と、庶民出身のヒロインちゃんとの定番の純愛もの。
私たちが転生するのは、王子様の婚約者である侯爵家の令嬢とその忠実なる執事だ。
令嬢は嫉妬からヒロインをいじめて王子様から引き離し、終いには父親と結託して国王を暗殺、国家転覆を図る大罪人となる。
が、ヒロインとその仲間たちの活躍で悪事を暴かれ、最悪の場合、処刑台行き。ちょっとマシなエンドでも破産して他国へ売られるという。
最悪だよ。そんなセカンドライフ。
ああ、でも、このまま成仏するのも嫌だし……。
そういう乙女の知識が全くない雪雅は神様から詳しいシナリオを聞き、てっきり取り乱すかと思いきや、真顔で冒頭のセリフを放った。
昔から思っていたけど、こいつの考えてることはよく分からないや。
「雪雅、あなたが令嬢役やってどうするの。どう考えてもあなたは執事役でしょ。頭打って自分の性別忘れちゃった?」
「馬鹿にするな、桜ちゃん。俺は自分が男だということも、眉目秀麗で品行方正なパーフェクト優等生だったこともしっかりと覚えている」
自分で言うってどうなのと呆れたいところだが、そうなのだ。
雪雅は県内模試のトップスリーに名を連ね、柔らかな物腰と中性的な美貌で数々の乙女を虜にしてきた男だ。
性格は傲慢で自信過剰のナルシストだが、猫かぶりも徹底しているから私以外に彼の本性を知っている者はいない。
そんな完璧超人の隣の家に生まれたせいで、私は比べられたり妬まれたり、散々な目に遭っている。
鈍臭い私をいつも助けてくれるから、文句を口に出したことはないけどね。
雪雅は淡々と告げる。
「桜ちゃんに貴族の令嬢役なんてできるとは思えない。俺以外の男と喋るとき、挙動不審の支離滅裂になって泣き出してしまうクセに」
「う……」
「上手く話を運ばなければ、処刑台か破産コースなんだぞ。そのプレッシャーに耐えられるのか?」
「うー……」
「その点、俺なら上手くやれる。後腐れなく婚約を解消して、父親を破滅に追いやり、ヒロインと王子の結婚式に友人代表として参列してやろう。桜ちゃんはせいぜいうだつの上がらない執事として、俺を眺めていればいい。指示は全て与える。楽をさせてあげるから」
そこまで言うなら、と私はあっさり雪雅に任せることにした。
だって、正直自信ないもん。
それに令嬢になりきる雪雅を見るのは面白そうだ。
雪雅に女性の役なんてできるのだろうか。というか、もしかして雪雅ってそういう趣味があったのかな? 長い付き合いなのに、そう言えば恋人がいたなんて話、聞いたことがない。
私は開きかけたパンドラの箱をそっと閉じた。うん。何も気づかなかったことにしよう。
雪雅にどんな性癖があろうとも、幼なじみの友情はなくならないよ。
それに、私は私で男の体に興味がないわけではない。いや、そういうイヤラシイ意味じゃないよ。
誰でも一度は性別が違ったらって妄想したことあるよね?
今度生まれ変わったら男になってみたいって思ったことあるよね?
「お前たちは面白いなぁ。気に入った。魔法のない世界への転生だから、あまりこういうサービスはしないのだが、特別にスキルを作ってやろうか? 男女逆転では何かと大変だろう」
神様の優しいお言葉に、雪雅は「お願いします」と目を輝かせた。
あ、これは何かよからぬことを閃いた顔だ。
「どんなスキルを作ってもらうの?」
「それは転生後のお楽しみだ」
「えー、ずるい」
「ほら、後のことは俺に任せて先に行け」
釈然としないものの、雪雅に一任すると決めた以上、引き下がるしかない。
令嬢より二歳年上の執事という設定なので、私は後ろ髪を引かれつつ先に転生していった。
男の体は思った以上に楽しかった。
トイレやお風呂のときのことを心配していたけど、赤ん坊の頃から男だと……さすがに慣れるね。
ていうか女としての自我が残りつつも、体は完璧に男の本能に支配されている。
男の裸は平気。むしろ今では女性に対して赤面することの方が多い。
私が転生したキオンという執事はただのモブだ。祖父の代から侯爵家に仕えており、良くも悪くも平凡な男の子だった。
ご令嬢の側近ができるくらいには見苦しくない容姿をしており、前世よりも運動神経が格段に良くなっている。それは嬉しい。
「体を鍛えておいてくれよ。この世界には暗殺者が普通にいるんだから、護身術くらいは必要だ」
「楽させてくれるって言ったのに」
「俺よりは絶対楽だろう。一回試してみるか?」
私が十歳、雪雅が八歳のとき、初めて神様からもらったスキルの詳細を教えてもらった。
それは『精神の入れ替え』、つまり、私と雪雅はいつでも体を交換することができるというものだった。
雪雅が食べている豪華な食事を羨んでいた私は、試しに一日だけ入れ替わってみた。
うん、ご飯はめちゃくちゃ美味しかった。でもテーブルマナーが厳しくて味わう余裕はなかったよ。
令嬢として幼い頃から英才教育を受ける雪雅の日常は、過酷なものだった。
勉学、音楽、舞踊、教養を始めとした貴族のたしなみとしての授業はもちろん、日常の動作全てが礼儀作法の訓練で、会う人全てに天使の笑顔を向けなければならない。
入れ替わったときに体に蓄積した疲労をそのまま感じ取り、私は思い知った。
雪雅はよくやっているよ。
私だって執事見習いとして頑張っているつもりだったけど、全く比べ物にならなかった。
前世の知識と精神のおかげである意味チートなのだけど、天才だ、神童だ、と騒がれるたびに次のハードルは高くなる。周りの期待に応え続ける雪雅はやっぱりすごい。
実際、私が入れ替わった一日、使用人や家庭教師たちが大騒ぎした。
「お嬢様がアホになった!」
「国一番の医者を呼べぇ!」
「頭を叩いたら元に戻るんじゃ……」
壊れかけの家電のような扱いを受けた私は、雪雅に慰められてキオンの体に戻った。
いいもん。執事のお仕事頑張るもん。
やっぱり私に令嬢役なんて無理だった。雪雅の先見の明には素直に感服する。
雪雅の苦労が文字通り骨身にしみ、私は大人しく体を鍛えることにした。
せめて暗殺の危険くらいは減らしてやれるように、雪雅の執事として恥ずかしくないように。
筋トレや武術の稽古もやってみるとなかなか燃える。
腹筋が割れたよ、と雪雅に嬉々として報告したときは、可哀想なものを見る目をされたけど。
そして時は流れ、転生してから十八年が経った。
晴れ渡る快晴の下、コーシカ王国の大聖堂前には祝福の声が溢れ返っていた。
「おめでとうございます!」
「お幸せに! なんて素晴らしい挙式でしょう!」
「ああ、真実の愛って素晴らしい!」
次期国王となる王子様と、庶民出身の可憐な少女の結婚式が盛大に行われていた。
様々な困難と身分の差を乗り越えて掴んだ、大団円のハッピーエンドだ。
色とりどりの花びらが舞い、拍手が鳴り響く。この場にいる誰一人暗い顔をしていない。
「すげー、マジで有言実行しやがったよ……」
私もこの十八年ですっかり男言葉も板についた。いや、本当は名家の執事なんだから、綺麗な言葉を使わないといけないんだけど、つい。
「プリメラ、本当にありがとう。今日という日を迎えられたのはきみのおかげだ」
王子様は瞳に涙を浮かべて、元婚約者のプリメラ――雪雅に感謝を述べた。私はそばに控えてその様子を誇らしく眺める。
「もったいないお言葉です、殿下。お二人の清く美しい愛は、何人たりとも侵すことのできない聖なる絆。私は神のおぼしめしのまま、お二人の幸せを陰ながら応援したまでです」
はっきりと真面目な口調で断言する雪雅。
十二歳辺りで「ですわ」口調に嫌気が差し、姫騎士っぽいキャラに路線変更したのは正解だった。凛々しい美少女に成長したプリメラお嬢様にはぴったりだ。
ほのかに輝く長い金髪、エメラルドの澄んだ瞳、真珠の光沢を思わせる傷一つない白い肌……。
思わず私はため息を漏らす。
花嫁衣装のヒロインちゃんと並んでも、雪雅はまったく見劣りしない。品の良さと可愛らしさを兼ね備えたピンクのドレスがとてもよく似合う。
最初のうちは令嬢を演じる雪雅を見ただけで笑っていたけど、もはや笑えないレベルに可愛い。
私も執事として鼻が高い。いつの間にかお嬢様への敬愛の心が芽生えてしまった。
雪雅は目を伏せ、長いまつげを揺らす。
「このような晴れやかな場にお呼びいただき、私の方こそお礼を……いえ、謝罪を申し上げなくてはなりません。父のこと、本当に申し訳ございませんでした。横領、議員の買収、裁判の私物化を始めとした不正、お二人を引き裂くための数々の工作……父一人の断罪でお許し下さった陛下と殿下の温情には、感謝してもしきれません」
この世界での雪雅の父親は本当にクズだった。
病気がちの妻を田舎に追いやり、愛人を囲って毎晩のように酒池肉林の宴。
一人娘を政略結婚の道具として扱い、使用人は家畜以下に使い捨てる。
現在死刑を言い渡されて服役中だけど、私も雪雅も全く同情していない。他の使用人たちは当主が逮捕されたと知って、涙を流して歓声を上げたくらいだ。
「いや、きみはよくやったよ。家名を穢すのをいとわず、証拠を完璧に揃えた上で実の父親を告発するなんて、普通できやしない。それに聞いたよ。財産のほとんどを恵まれない子どもに寄付し、爵位を返上して懺悔の旅に出るそうじゃないか……」
「それでも足りないくらいです」
もう貴族の窮屈な暮らしは飽きたから旅にでも出るか、とあっけらかんと言ったときと、今の殊勝な雪雅の表情の差。
私は思わず吹き出しそうになった。この変わりよう、王子様が知ったら卒倒しちゃうね。
「考え直してくれないか? この国にはきみの力が必要なんだ」
「そうです、プリメラ様。わたくしたち個人としても、あなたという友人を失いたくないです」
王子様とヒロインちゃんにここまで言わせておいて、雪雅は黙って首を横に振る。
「では、せめて何か贈らせてくれ。旅には何かと入り用だろう」
「いいえ、そのお心遣いだけいただいておきます。私にはこの身と、従者が一人で十分です。慎ましく旅立ちたいのです」
雪雅の言葉に王子様が困ったように笑った。
「まったくきみという人は……格好つけすぎだよ。僕の立つ瀬がないじゃないか」
「プリメラ様が男性だったら、きっと数多くの女性が魅了されていたことでしょうね」
二人の言葉に「光栄です」と雪雅は涼しげに微笑んだ。
盛大な結婚式が終わり、数日が経った。
雪雅は自室のベッドに倒れ込み、しなやかな伸びを見せた。
「あー、終わったー」
家財の処分、使用人たちの新しい雇用先の斡旋、その他もろもろの雑事と旅支度を終え、この屋敷で過ごす最後の夜が訪れた。
「お疲れ様でした、プリメラお嬢様」
「キオン。お前も、お疲れさん」
「はぁ、長かったねぇ」
私と雪雅は顔を見合わせ、屈託なく笑った。
もう屋敷には私たち二人しかいない。周囲を入念に警戒する必要もなく、前世通りの砕けた口調に戻る。
ベッドに並んで腰掛け、リラックスモードだ。
「でも、貴族をやめちゃうのはちょっともったいなくない? 確かに面倒事は多いけど、もう贅沢できないよ。平気なの? ずっとお嬢様だったのに」
「何を言っているんだ。このまま貴族を続けていたら、他の男と結婚しなきゃいけなくなるだろう。第一王子に続いて、プリメラまで身分差婚をするのはさすがにまずい。国が混乱する」
私は首を傾げる。
雪雅の言っていることがよく分からない。
「なぁ、久しぶりに体を交換しないか?」
「急にどうしたの?」
「本来の性別に戻った方が、話しやすいこともある」
雪雅がいつになく真剣な表情をしたので、私は「まぁ、いっか」とすぐに了承した。
お互いの手の平を合わせ、目を閉じて念じる。
頭がくらりと揺れ、目を開けると二人の位置が変わっていた。目の前に慣れ親しんだキオンの顔がある。
数年ぶりの女の体を実感する前に、雪雅に押し倒された。
「え!? ちょっと――」
「桜ちゃん!」
久しぶりに前世の名前を呼ばれ、思い切り抱きしめられ、私はすっかり混乱していた。
「十八年を二回……計三十六年もこの日を待った! もう我慢しない!」
「なに、何なの? どうしたの?」
キオンが、雪雅がにっこりと笑う。
「捕食される前のウサギみたいに震えて……可愛いな、お前は。よしよし、怖がらなくていい」
「ちょ、説明! 説明を求めます!」
まだ分からないのか、と若干雪雅は呆れたが、機嫌よく教えてくれた。
「前世では告白もできずに死んでしまって、とても後悔していたんだ。俺はずっと桜ちゃんを自分のものにしたかった。転生のチャンスをもらったとき、俺は誓った。今世では絶対に結ばれてみせる」
私は言葉もなく、雪雅の腕の中で全てを聞いた。
「神様にもらった『入れ替わり』のスキル、あれには条件が付いてたんだ。入れ替わることができるのは三回だけ。何年か前に一日だけ入れ替わって一回、戻るのに一回、そして今ので一回。使い切った。これでもう戻れないぞ。今日から桜ちゃんはプリメラ、俺はキオンとして生きていく。もう身分は平民同士だから、結婚も問題なくできる。明日から始まる旅はハネムーン兼、新居探しだ」
嘘でしょ。
心臓の爆音が鳴りやまぬ中、私は恐る恐る尋ねた。
「男じゃなくなってでも、こうしたかったの?」
「ああ。桜ちゃんを俺のものにできるなら、性別の違いくらい目を瞑るつもりだったんだが……『入れ替わり』のスキルには感謝しなきゃいけないな。うん。やっぱり俺が男、桜ちゃんが女の方がしっくりくる」
十八年間女の子をやっていたくせに、今の雪雅にはその片鱗が全くなかった。
私はその頭の切り替えの早さについていけない。
「なんだ、桜ちゃん。俺じゃ嫌なのか?」
「え……嫌って言うか、その……」
じぃっと、猛禽類のような目が迫る。
組み伏された状態で見下ろされ、私には逃げ場がなかった。私を押さえつける彼の腕はびくともしない。
こんなことならバカ正直に筋トレなんか頑張るんじゃなかった。お嬢様を押し倒すために体を鍛えたわけじゃないのに。
「さっきまで自分の体だったのに……気にならないの? 私がおかしいの?」
「ふふん。いずれ桜ちゃんの入れ物になると思うと、自分磨きも楽しめたぞ。この日のために、スキンケアや髪のお手入れも万全だ。スタイルだって俺の理想に仕上げてある。もちろん、弱点も把握済みだ」
雪雅は私の耳の下を指でそっと撫でた。ぞぞっと、感じたことのない痺れが背筋に走る。
「光源氏以上の優越感だな。自分が育てた体と愛し合えるとは」
「変! てか変態だよ、それ……っ!」
「何とでも言え」
雪雅が射抜くように私を見た。
「さぁ、はっきり答えろ。俺のこと、好きか嫌いか」
「か、考える時間を……」
「三十六年も鈍感に過ごさせてやったんだ。これ以上甘やかさない」
返す言葉もない。その点に関しては、その、申し訳ないと思わなくもない。
「そ、そりゃ、好きか嫌いかで言えば、好きだけど……」
「歯切れが悪いな」
「だって……悔しいんだもん」
雪雅は頼りになるし、私には割と甘いし、一途に想われて嬉しいし、触られても嫌悪感ないし、今さらお互い他の相手を探すなんて考えられないし……。
さっきまで自分だった顔にこんなにドキドキさせられるなんて、信じられない。
確かに私は鈍かった。アホだと言われても仕方ない。
「むぅ、やっぱり悔しい」
何だか三十六年分損をした気分になって、私は頬を膨らませた。
「ああ、やっぱり可愛いな、桜ちゃん。いや、プリメラお嬢様……?」
雪雅がすごく幸せそうな顔をしたので、何だかもう、細かいことはどうでもよくなった。
言いたいことはたくさんあるけど、とりあえず心は決まった。
「まぁ、いっか。結婚してあげる」
「なんだ、その上から発言は」
「いけない?」
悪役らしく高慢に笑ってみせると、雪雅は恭しく私の手を取り、優しく口づけを落とした。
こうして私たちはベストエンドを迎えた。
お読みいただき、ありがとうございました。
※2月28日 雪雅視点のお話を投稿しました。