「お母さんを僕にください!!」
「お母さんを僕にください!」
「ダメだ」
勢いこんで前のめりになった赤毛の少年の熱い想いは、黒い軍服を今日もかっちりと着こんだ男ーー魔術騎士団所属のグレン=ヴィンセントによって瞬時に却下された。
それでもウィルは名残惜しげに先ほど彼が「お母さん」と呼んだ黒い美人に熱視線を送ったが、ツンとそっぽを向かれてしまった。
どうやら言い間違いではなかったらしい。
そういえば、グレンが彼女を連れてきてからというもの、ウィルの彼女を見る視線が半端なかったとメルサは記憶を思い起こした。
少年はテーブルから離れると、その場にがっくりと膝を折った。その大袈裟な落ち込みようにグレンは少しだけ少年に同情したように苦笑した。
「確かにうちのマリィは優秀だし、美人だけど、君の手には余るよ。だいたいねぇ、マリィは俺の大事なパートナーだからね、譲るわけにはいかないな」
グレンは呆れたように肩をすくめた。
「ウィル仕方がないよ」
「そりゃ無理だよ、『お母さん』は諦めよう、ね?」
エルとメルサであってもウィルのお願いが無茶だと言うことはよくわかっていた。二人はポンポンとウィルの背中を叩き、表面上は彼を慰めた。
ことの次第を語るには少しだけ時間を遡る。
ウィル、メルサ、エルは休暇を利用してエルの家に遊びに来ていた。
マグダラス魔術学院の裏手の山にはドラゴンが棲んでいる。普段は山から出てこないドラゴンは、恋の季節を迎え、つがいになったドラゴンは卵を産む。卵が孵ると、両親のドラゴンは育児に忙しくなる。より栄養価のある餌をとりに雄のドラゴンが学院の上を滑空するのだ。彼らが狩りにいく餌はマグダラス魔術学院のはるか南にある森の中にいる。今のところ人間が襲われたとは聞かないから、人間は食べないのかもしれないが、まだ味を知らないだけかもしれない。
ドラゴンの夫婦の仲は非常に睦まじく、そしてこの季節のドラゴンはとにかく気が荒い。
数百年前、とある学生がドラゴンの卵を手に入れようと山へ分け入った。
学生は無事に卵を手に入れ学院に帰ってきたが、子を連れ去られた親ドラゴンの怒りたるや凄まじいものだった。学生を追いかけてきたドラゴンは怒り狂い、学院を襲い暴れた。ドラゴンはその強靭な尾や脚でもって建物を半壊にしたという。
通報を受け、駆けつけた魔術騎士団が暴れるドラゴンを捕獲し、なんとか山に帰した。子どもを親ドラゴンに返そうとしたが、学生の魔力を吸った卵は学生の腕の中で孵った。そのとき子ドラゴンは学生を親だと刷り込んでしまい、結局親元に返せなくなってしまったのだ。しかし、この話題は思わぬ余波をうんだ。いや、想像してしかるべきの問題が起こった。
それからというもの、ドラゴンは保護対象とされ、ドラゴンの育児期間のなかでも最も気が荒くなるこの第十六新月から第二十新月までの間、マグダラス魔術学院は休暇として学生を家に帰すことになったのだった。
いたずら三人組のうち、エルが良いところのお嬢様だということは知っていた二人だったが、おしとやかとは縁遠いエルの学院での様子に半分冗談だと思っていた。
夏休暇に遊びに来てと誘われた二人は、即いい返事を返した。
そしてエルの大きなお屋敷を見上げて、ウィルとメルサは口をぽかんと開けてしまう。
森を背負うように建つその屋敷は、緑の壁に白い窓枠がいくつも並んでいる。ミントフレーバーのアイスケーキのようなどっしりとしたその大きなお屋敷には、いくつの部屋があるのかは分からないが、少なくとも下町のパン屋の娘であるメルサの家では考えられないほどの部屋があるに違いなかった。
「そっちの塀の向こうがヴィンセント邸ね。グレンさんのおうち」
「え、どこ?」
エルが指差した方角には赤茶色のレンガが積み上げられた高い塀があった。その向こうには手入れの行き届いた樹々のてっぺんが見える。
だが、家のようなものは見えない。
それを不思議そうにしていると、エルが言った。
「ヴィンセント邸は普段は見えないんだよ。不可視の魔法がかかってるんだって。お招きを受ければ見えるんだけどね」
人だけでなく建物を不可視にできるとは。ウィルとメルサはただただ「ほーー」と感心するばかりしかできない。
その後、エルにお屋敷の中に招かれ、物腰の柔らかいエルの父と、ふんわりした雰囲気をまとったピンク髪の母に挨拶をし、ウィルとメルサはたくさんの茶菓子と紅茶で歓迎を受けた。
「エルヴィルお嬢様、グレン様がお見えですよ」
紺のワンピースドレスに白いエプロンのハウスメイドが、歓談していたエルに来客を告げた。
挨拶をしようと玄関ホールの隣の小部屋に向かった三人は、初めて軍服姿ではないグレンを見た。
「グレンさん、こんにちは!」
三人は口々にグレンに挨拶をした。
「お、お前たちも来てたのか」
グレンはにっかりと笑った。その彼の肩には鳥ではなく、黒いドラゴンが掴まっている。黒い大きな鉤爪は痛くはないのだろうかと、メルサは思った。
「グレンさんどうしたの?」
ウィルが肩のドラゴンに目を釘付けにしながら問う。
「うん、ドラゴンの卵をいくつか保護したからオーランド博士に見てもらおうと思ってね」
なるほどとエルは頷いた。そして父を呼んでくるとエルは二階へと階段を駆け上がる。
「エルのお父さんて……」
顔を見合わせる二人にグレンは答えた。
「エルヴィルのお父上のオーランド博士は魔法生物研究の第一人者なんだ。魔物、魔族の生息、生態の研究に加えて、希少魔法生物であるドラゴンの保護活動もされておられる。仕事柄、魔法生物と接する機会も多いからいつもお世話になってるんだよ」
はあ、なるほどと、二人はよく分からないなりに相づちを打った。それをグレンはクスッと笑いながら言葉を添える。
「お前たちが使ってる魔法生物飼育論、魔法生物に対する自衛のための心得読本なんかはオーランド博士の著作なんだよ」
「ええ~! 超有名人!!」
二人が目をまん丸く見開いて声をあげていると、エルのお父さんがニコニコと笑みを浮かべながら部屋に入ってきた。エルも後ろに続いている。
「グレン君よく来てくれた。魔術騎士団から水晶通信機で連絡は受けていたんだ。ドラゴンの卵を保護したそうだね」
「ええ、こちらです」
グレンは茶色の入れ物を博士に差し出した。入れ物を開けて中を確かめる博士の横で三人組が手元を覗く。
薄い朱色に焦げ茶色のぶち模様をした卵は、存外小さかった。
それは鶏の卵を一回り大きくしたくらいしかなく、大きなドラゴンの卵だと到底思えないと二人は思った。
「これがドラゴンの卵!?」
子どもたちの驚きの声に、博士は頷いた。
「そうだよ。これまではドラゴンを飼育するのは難しいと思われていた。とても賢く、強く、気性は荒く、人に使役されないと思われていたからね。それが例の事件があってから、ドラゴンの卵を盗み、人の手で孵せばそれが可能ということが分かってしまった。それからというもの闇市で売るためにドラゴンの巣を荒らす輩が頻発するようになってしまったんだよ。人に飼われるようになって、ドラゴンの弱点も随分研究されてしまったからね。ーーおおっと、こうしてはいられない。この子が孵るまでに親元に返さなくては、巣に戻れなくなってしまうし、お父さんもお母さんも心配している事だろう」
博士は卵の入れ物を大事に抱えて、二階へと階段を上っていった。
「棲息地が確定できたら報せよう。いや、そんなに待たせはしないだろう。この子たちが来るというので妻がチョコレートとブラッドチェリーのパイを朝から焼いたんだ。ぜひ食べていってくれたまえ」
「お心遣いありがとうございます。ごちそうになります」
グレンの声も聞こえていたのかどうか、博士はいそいそと書斎にこもってしまったようだ。パタンとどこからともなくドアの閉まる音がした。
濃厚なチョコレートと酸味がかったブラッドチェリーのパイは絶品だった。それを食べているうちにもウィルの瞳は、グレンの肩に乗る黒いドラゴンに注がれている。
「どれも同じような卵でしたけど、棲息地って特定できるんですか?」
メルサは首を傾げた。
グレンは紅茶のカップを洗練された動作でソーサーに戻すと、顎を引くように頷き、口を開いた。
「さっき渡したのは全部火竜の卵なんだ。それくらいは俺でも分かるんだよ。あと模様の出方とかで博士には棲んでる場所が大まかに特定できるらしいな」
「盗んだ方たちにどこからくすねてきたのか、白状してもらうことはできなかったんですか?」
と、エル。
「博士の手を煩わせなくても、エルのいうような方法で解決するときもあるんだ。だがこれはもうそんな奴等の手を離れてしまっていてね」
闇市で売り出される前に商人から押収したらしい。何人も間に仲介を入れて取引されるため、ハンターを特定するのは困難だった。
地道に捜査している内に卵が孵ってしまえば、巣に戻せなくなってしまう。
だからといって、追求の手を休めることはない。
再び密猟されることのないよう、そちらの方面も鋭意捜査中だという。
でも……とウィルは、黒いドラゴンから目を反らさずに言った。
「保護されているとはいっても、使い魔にするのを禁じているわけでは……ないんですよね?」
「ああ、大人のドラゴンと正式な方法で契約する分には問題ない。禁止されているのは、蜜月期から子育て期の間のドラゴン棲息地の無断侵入と卵とドラゴンの密猟だからな」
「グレンさんのこれは……どうしたのですか!? できれば僕もドラゴンを使い魔にしたいです!」
ウィルがグレンの方へ身を乗り出した。その勢いに驚いたのか、グレンの肩の上で黒いドラゴンがぶるりとコウモリのような羽を震わせた。
「彼女は代々うちで使い魔にしているドラゴンのつがいから生まれたんだ。小さいころから一緒に育ったんだよな」
愛しいと言わんばかりの瞳で黒いドラゴンを見、摘まんだ生のブラッドチェリーをドラゴンに与えるグレン。黒いドラゴンもまた手から直接それを口にくわえ、飲み込むようにしてそれを食べた。
「もうすぐ『お母さん』になるんだ」
「「「え!? まさか!!」」」
三人組は声を揃えて叫んだ。
そんな三人組のじっとりとした視線をグレンは艶然とした笑みで受け止める。しかしその笑顔の裏にはどす黒いオーラが見える。
「なにが? 当たり前過ぎて言いたくないけど、俺の子どもじゃないからね。いくら俺がマリィを愛してるといっても、異種間で子は作れないから。うちの兄貴もドラゴンマスターなんだよ。しかも同じ黒竜の雄」
恋しちゃったんだよな、とグレンがマリィに囁くと、『くるる』と可愛い声でマリィが鳴いた。
「ま、密売はダメだけど、知り合いに子どもを託すのはありだけどな。可愛がるのはもちろん、使い魔として立派に育ててくれるならだけど。当然だけどマリィと俺と兄貴と兄貴のドラゴンが認めたら、だけどな」
かなりハードルを上げられていることにメルサは気付いていたが、話の流れに興奮しているウィルには、それが感じないらしい。
むしろドラゴンを使い魔にすることに現実味が増してきたとあって、身を乗り出す角度が尋常ではない。
そこでなにを血迷ったのか叫んだのだ。冒頭の言葉を。
「お母さんを僕にください!」
いや、そこは「マリィさんの子どもを」じゃないの? とメルサは心の中でツッコミを入れた。杖を持っていたら、それで脇腹を抉りたいくらいに。
のちにマジで言っていたことが判明するのだが、グレンによってその申込みは瞬殺されるのだった。