「長い歴史の中で初めてです」
「長い歴史の中で初めてです」
院長のマグダラスはメルサの無事を確かめ、ため息混じりにそう言った。
白銀の髪の魔術騎士団の男に送られて学院まで帰りつくと、マグダラス院長はメルサの帰りを待ち受けていた。院長はメルサの顔を見るなり、いつもの洋紙皮が挟めそうな険しい眉間の皺をしまいこみ、ただ安堵したというようにメルサを抱き締めた。
それからため息を吐くようにそう呟いたのだ。
傍らに立つ魔術騎士団の男は静かな微笑を貼り付けた表情で何も言わない。白い竜も男の後ろで羽を畳み、黄色い瞳をパチパチとまばたきさせただけだった。
その傍らにいるもう一頭の黒い竜は器用に背中からチビ竜を下ろした。黒い竜に乗っていたグレンと色合いの似た魔術騎士団と分かる男がその横に立っている。そして黒い竜はチビを慈しむようにペロリと頬を舐めた。
何が……長い歴史の中で初めてなのだろう。
メルサの心のうちを読み取ったように、院長はメルサと視線を合わせ、そしていつもの皺を眉間に刻んで言った。
「これまで希少な存在かつ気難しいドラゴンを使い魔にしたものはあなた以外にも他にもいました。ええ、数はそんなに多くはありませんけどね。けれど、強力に張り巡らせてある対ドラゴン用の結界を破り、空から無断外出をしたのは……このマグダラス魔術学院の長い歴史始まって以来の出来事です。メルサ、あなたはこの学院の周囲にドラゴン強襲対策として結界が張ってあったのを知っていましたか」
学院長に瞳を覗かれ、メルサは微かに感じた静電気のようなものを思い出した。
「はい。ドラゴン保護休暇のときにグレンさん……いや、あの、魔術騎士団の方から伺いました。そういえば、ビリッと静電気のようなものを感じたような」
「それだけですか?」
心配げなマグダラス院長の視線を受けて、メルサはこくんと頷いた。マグダラス院長は長いためいきをひとつついてから、メルサの両肩に手を置き、幼子に言い聞かせるように目線を合わせた。
「魔法使いにとって使い魔は自分の分身のようなものです。こんなにも早くメルサが自分の使い魔に巡り合うことができたことを私も喜ばしく思います。ですが今回のように使い魔にひっぱり回されているようでは魔女として示しがつきませんよ。ドラゴンは子どもといえど力の強い存在。契約者もまたそれにふさわしくなければなりません。分かりますね?」
「はい……」
うわぁ、めんどくさそうな話になってきたぞ。とメルサは思いながらも神妙な顔つきで頷いた。
「よろしい。あなたがドラゴンの契約者としてふさわしくあるように、またドラゴンの力を狙うものから自分と使い魔であるドラゴンを守るためにも、あなたには特別なカリキュラムを用意します」
メルサは心の中でゲェ! と舌をだした。
「チビにもこちらで治療を施したのち、必要な訓練を受けてもらうよ」
黒髪の騎士がメルサに言う。
「君の訓練の責任者は私に決まった。よろしく」
白銀の髪の騎士が握手を求めるように手を差し出した。目上の人間の握手を無視するわけにもいかず、メルサは背中に冷や汗をかきながら、その手を握った。男の表情から第一印象を裏切らないひんやりとした手は、大人の男性らしく大きい。
メルサはチビがどこに連れていかれて、どうなるのか。どんな訓練をされるのか心配でたまらなかった。
それを察したのか、察していないのか。少なくともメルサが不安を抱いていることに気付いた黒髪の騎士は、人好きのする笑顔を見せ、相棒の黒い竜の首をポンポンと叩いた。
「心配するなといっても無理だろうけどな。魔術騎士団にはドラゴンはたくさんいるし、ドラゴン専門の医師もいる。ドラゴンはもともと巣立ちまでに親兄弟に色々なことを教わって育つ種族だ。チビの両親もいるし、心配するな。時期がきたらメルサのところに戻してやる」
黒い竜がまたチビをペロリと労るようになめる。もしやと思ってメルサがチビと大きな黒い竜を見比べる。
「グレンに聞いてるだろ? あれ? 聞いてない? こいつはマッグ。チビの男親でグレンのマリィのつがいだ。俺はグレンの兄貴だよ」
言われてみれば髪の色とか鼻の形とか似ているかも。
「で、こっちが俺の魔術学院から騎士団までずっと同期のパウルと相棒レド。こう見えてレドは女の子だぞ」
「こう見えてとは失敬な。レドはどこから見ても淑女じゃないか」
パウル(白銀の髪の騎士団の男だ)がグレンのお兄さんを絶対零度の視線で睨むと、グルグルと喉を鳴らした白い竜がパウルに鼻先を擦り付けて甘えた。
こうしてメルサの魔術学院での勉強と魔術騎士団での訓練の両立というハードな生活が始まった。
「ところでさ、グレンにマリィを譲ってくれって言った大馬鹿野郎がいるんだって? うちのマッグがそれを聞いて激怒してさぁ」
「は、はぁ……」
「ドラゴンって一度認めたら愛情深いっていうか、なんというか嫉妬深くてなぁ。俺たちは男とオスの組み合わせだったから、それはそれで苦労があったわけだが……パウルとレド見ただろ」
「は、はい……」
「異性の組み合わせはなぁ……相性はすこぶるいいんだが、色々とな。そのうちレドがパウルの子を産むんじゃないかって騎士団の中じゃ心配するくらい仲がいいんだわ。ま、それは冗談つーか、パウルとレドの仲のいいのを仲間内でからかってるだけなんだが……」
そこでグレンのお兄さんはメルサを気の毒そうに見下ろした。
「グレンが小さい頃からパウルはレドを連れてうちにも遊びに来ていたからな。グレンはマリィとはうまくパートナーとして付き合っているし、屋敷内に同じ種族の雄がいたからっていうのも大きいんだが……」
「…………」
「ドラゴンマスターに女の子なぁ……。チビをよぉくしつけとくが、万が一マウンティングとられそうになったら必死で逃げるんだぞ」
「ふぇぇえ!?」
「や……、孕みはしないから心配はないのだが……うーん。とにかく、おかしなことになる前にグレンかお兄さんに相談してくるんだぞ。じゃーな!」
グレンのお兄さんはチビをマッグの背中に乗せ、メルサの髪をクシャッとかき回すように撫でてからマッグに跨がった。
息が合った動きでマッグが周囲に風を起こしながら浮かぶ。
白い竜と黒い竜は瞬く間に空の彼方に小さな点となった。
「えっと…………え!?」
不意に裸マントのチビを思い出したメルサは、マグダラス院長が学院内に戻り、心配したエルヴィラとウィルが様子を見に来るまで赤面硬直していた。




