「そこまで」
「そこまで」
鋭い声の制止がかかったが、メルサにはもうどうすることもできなかった。暴走した火魔法は、すでにメルサを離れ、盗賊めがけて勢いよく発射されていた。
もっともメルサの手元を離れていなくても、ここまで成長した火の玉はすでにメルサには制御不可能なものとなっていた。
ゴウゴウと燃え盛り周囲の木々を焦がしながら盗賊に向かっていった火の玉は、突如彼らの鼻先で霧散した。
まるで竜巻のように火の玉を襲ったそれは、強力な風と水を合わせた究極魔法。メルサも実際それを目にしたことは一度くらいしかない。
その究極魔法によって火の玉はまるでそこに存在しなかったように消し去られた。実際には燃える為のエネルギー源である空気が、強い風の壁に囲まれ真空となり、勢いの衰えた火をシャワーのような水魔法で鎮火したのであったが、一瞬のことであったが故、一瞬で消えたように見えたのだ。
同時に水魔法は周囲にも効果を発揮し、なま木の燃える白い煙がうねるように細く空高く上がっていく。
直後、地響きのような馬蹄の音とともに、エンジ色の軍服を着た男たちが大水のように森の中から流れ込んだ。
当たりこそしなかったが、周囲の木々を巻き込みながら鼻先まで迫った炎のエネルギーに髪や皮膚を炙られた盗賊たちは、腰が抜けたのかその場に座り込んでしまっている。エンジ色の軍服の男たちは、易々と彼らを捕らえ、森の中へと引っ立てていった。その先に何があるのか樹が邪魔でメルサには見えなかったが、騒々しいくらいの馬蹄の音が遠ざかっていく。
メルサはその様子を目の当たりにし、安堵したとともに深い後悔に苛まれた。
盗賊たちからは逃げられたし、誰かのおかげでメルサの最初の殺人にもならなくて済んだ。そして魔法使い以外を害したと訴えられることも回避できた……と思う。
だがしかし、軍服の彼らがメルサの味方かというと、まだ未知数としかいえない。
メルサは不可抗力とはいえ、こっそり寮を抜け出てきた身で身分を証明するものは持っていないし、ドラゴンは希少な存在で、それを使い魔にできる魔法使いは少ない。最悪盗賊の仲間だと思われているかもしれない。
状況判断に迷ったメルサは、チビに目を向けた。そして、チビを見るなりヒッと短く息を吸った。
なぜならば、チビの矢傷から血が滴り落ちていたから。それは結構な深手の傷に見えた。
「チビ! 血が!」
『大丈夫、かすり傷だよ』
チビはきっと前を向くと、懸命に羽ばたき、その空中を旋回した。
「帰ろう。大丈夫? 飛べる?」
メルサが労るように声をかける。チビに無理をさせたくはないが、学院に帰ることもまたチビに乗せてもらわなければ到底無理な道のり。なにしろ雪原と山脈を越えて、おそらく大陸の反対側辺りまできたのだから、歩けばどのくらいかかるか想像もつかない。
「君はガント村のパン屋の娘でマグダラス魔術学院の一年生、メルサだろう?」
さきほど「そこまで」と声をかけ、メルサの暴走した火の玉を消したであろう人物の声がする。
チビの行く手を阻み、その人は宙に浮かんでいた。闇色の軍服を着て、チビの何倍も大きい白いドラゴンに乗っている。竜使い。そしてグレンと同じ軍服をまとっている。
「どうしてそれを」
メルサの眉間に深い皺が寄る。それを見て男は無表情で口を開いた。
「君の使い魔がスカーフにしている布、それは魔術学院のローブだろう? 今回のことで君たちにも色々話を聞きたい」
アイスブルーの瞳が冷たくメルサを見つめる。悪いことは多分していないはずなのに、背中がゾワゾワと虫が這うように落ち着かない。
男の首を傾げた動作で後ろで緩く結われていた白銀の髪が、ひとたば肩から胸に滑り落ちた。優美な雰囲気があるのに怖い。それがメルサが持った第一印象だった。
「どうした。私の顔になにかついているか」
「ええと、目と鼻と口と……」
男は面白くなさそうに鼻白んだ。
「私はそういう冗談は嫌いなんだ。一緒に来てくれるね?」
男はメルサに異議を唱えさせない迫力で言った。
「いやです……といったら、」
できれば厄介事に巻き込まれる前に逃げ出して、こっそり寮に戻りたい。メルサが相手を窺うように慎重に尋ねると、男は不機嫌そうに眉をしかめた。
「一応訊ねるように言っただけだ。君には拒否権はない。そもそも疚しい事がないのならそこまで逃げなくてもいいと思うがね。我々はマグダラス魔術学院院長からの依頼で君を捜索していたんだから」
「え、院長が?」
声をあげたメルサから視線を外して、男はメルサのしがみついている竜を冷たい眼差しで見据えた。
「君のドラゴンもそろそろ限界のようだ」
その言葉が終わるか終わらないかの内に、チビの身体は傾ぎ、弱弱しく地面へ向けて落下した。
チビの背からずり落ちたメルサは、空中で件の男にキャッチされた。腰に腕をまわされて荷物のように引き上げられ、白いドラゴンの背に乗せられた。チビも別の大きな黒い飛竜が空中でキャッチしたようだった。
メルサは男を見上げた。
「なんなんだその顔は。もしかしてお姫様のように抱き上げて欲しかったのかな?」
からかうような言葉とはアンバランスに男の表情は冷やかだ。メルサは素直に礼をいうことができなくなり、もごもごと口の中で言葉を咀嚼したあげく飲み込んだ。
メルサを乗せた白竜とぐったりとしたチビを掴んだ黒竜は海の上で旋回し、遥か先に見える雪の被った山脈目指して飛んだ。
少し前を飛ぶ黒い飛竜の脚に捕まれたチビの容態が気掛かりだった。




