「割れてる!」
m-bookmark様から頂いた書き出しの台詞を題材に創作しています。
「割れてる!」
三人の少年少女たちはこっそり入った院長室で院長先生の大事なふくろうの置物がぱっかりと割れているのを見つけた。
「これはまずいことになりましたねー」
そう唸り顎に手を添えた赤毛の少年の小さな鼻にはそばかすが散っている。その上にある丸い眼鏡がきらんと光を反射した。
「まずいって?」
ピンク色の髪がくるくるとカールしている少女が、赤毛の少年に問う。
赤毛の少年は背中で手を組み、まるで探偵のように院長室を歩き回った。しかし割れているふくろうの置物の側だけは慎重に足を運ぶ。
「メル。僕たちはここに何をしに来たのか、目的を覚えていますか?」
赤毛の少年に名指しされたメルサことメルは、ばっつんと切り揃えられた黒髪の前髪の下で、くりくりと瞳を回して少し考えてから言った。
「えっと……院長先生が私たちに内緒で食べてるお菓子をちょっと味見に来たんだよね」
赤毛の少年は生徒を褒める先生よろしく、「よろしい」と頷いた。赤毛の少年の眼鏡が理知的にきらんと光る。
「この状態で見つかったら僕たちがふくろうを割った犯人にされてしまいます」
「ええ! どうしよう! どうしよう!」
「落ち着いてくださいエル。……まずは腹ごしらえをしましょう。どうせ怒られるのなら目的を果たしてしまいましょう」
赤毛の少年は、勝手知ったる手つきで棚からクッキージャーを下ろすと蓋を開けた。ジャーの中に手をつっこみ、一枚のクッキーを取り出す。そのクッキーは人形をしておりエキゾチックなスパイスな香りと素晴らしい焼き目がついていた。
そのクッキーにはアイシングで目鼻が描かれている。
そのクッキーは赤毛の少年の手のなかで一度ぶるりと震え、手から絨毯の上に飛び降りた。
そしてジャーの中からも次々とジンジャーマンが飛び出す。
『ひゃっほーい』
『あ? お前たち知ってるぞ』
『イタズラ三人組のメルサ、エルヴィル、ウィルハートだ』
『院長先生に言ってやろう』
『おやつの盗み食い、ふくろうを割った犯人だ』
『お仕置きはなんだろうな。夕ごはん抜きに、月夜の飛行実習もさせてもらえない』
「うるさい! ふくろうを割ったのは僕たちじゃない!」
「メル、ジャーに蓋をして!」
「エル、ウィル、クッキーを捕まえてジャーに戻さないと」
口々に騒ぎながらジンジャーマンたちは院長室の中を走り回った。よもやメル、エル、ウィルたちはおやつを盗み食いどころの話ではない。
なんとかジンジャーマンたちを捕まえてジャーの中に戻さなくてはじきに院長先生が戻ってくる。院長先生は国の中枢から来たお客さまの相手で応接室にいる。お客さまが帰ってしまったら戻ってきてしまう。
だが、ジンジャーマンたちは手強かった。魔法使い見習いの子どもたちの手に負える相手ではなかった。
部屋中を逃げ回り、壷の中や薬草の束の中、棚の奥に大釜の中とありとあらゆる場所に隠れてしまう。
「こら! 出てこい!」
杖を構えたエルの手首をウィルがつかんだ。
「エル、こんなところで魔法を使っちゃだめだ。院長先生の部屋を壊してしまう」
ウィルの言葉にエルは杖を下ろした。
「そうだね、ごめん」
エルが恥ずかしそうに頬を掻きながら、メルを見て凍りついた。
ウィルも同様。メルサはウィルたちの対角線上の位置にいたので、とっさに静止が効かなかった。それも気付いたときにはメルサの杖からは閃光が産み出され、今にも弾けそうになっていた。
こうなったらもう止められるのは、魔術に卓越した教師たちか、王宮に勤めている魔術騎士団のようなスペシャリストしかありえない。術者本人なら収められるも、見習い魔女っ子には出ようとしているものは出すしか出来なかった。
ドガン!!!!
杖から発射された閃光は、ジンジャーマンたちが逃げ隠れた薬品棚に命中した。ガチャン、ガチャンと硝子瓶が弾け飛び、絨毯を濡らす。薬酒漬けになっていたマンドラゴラが空を飛び、エルの額にぺたりと着地した。
「ひゃあ!!」
濡れたマンドラゴラの感触に驚いたエルが飛び上がり頭を振った。手に持った杖の先が調度品にぶつかり、帽子立てやライトスタンド、使い魔の止まり木を打ち倒す。
「エル、落ち着いて!! メルサ、第二弾を発射しない!」
ウィルがエルを宥めながら、メルサに制止の声を上げていると、背後の樫の木でできたドアが開いた。
「あなたたち、これはどういうことですか」
地獄の底から戻ってきた魔女のような低い怒気をはらんだ声は院長先生のマグダラスのものである。三人はビクッとその場で動きを止めた。そして、緩慢な動きでドアの方を見る。
何歳になるのか分からない皺のない顔。鼻筋の通った高い鼻。鋭い眼光に金の糸のような髪。首から下は黒いローブが全てを覆い隠している。姿勢は背筋がすっと伸びていて、マグダラスは少なくとも三人の親が子どもの時からここで魔術院学長をしているらしいのだが年齢が分からない。
マグダラスは三人を見据えたあと、部屋の中をぐるりと見渡し、再び三人を見た。そのつるりとした無表情さに怒りや驚きなどが窺えないのがまた三人の恐怖を増幅させる。
「あの……マグダラス先生すみません」
ウィルは開口一番に頭を下げた。
「ふくろうを割ったのは私たちではありません」
と、エル。
「…………」
うつむいてじっと下唇を噛んでいるのはメルサ。
マグダラスは大袈裟にため息を吐いた。
「これはもうふくろうの置物を誰が割ったとかいう状況ではないようですがね」
「僕が悪いんです。マグダラス先生のクッキーを食べようと提案したんです」
「それで……こそ泥の真似をしたんですか」
こそ泥だと例えられて、子どもたちはぐさりと傷ついた。だがまさしくその通りなので反論などできない。
マグダラスはつかつかと淀みない足取りで部屋の中程まで来ると、絨毯の上に倒れていた欠けたクッキージャーを持ち上げた。
そして部屋の中に向かって片手を挙げる。
「?」
ウィルたちが見守るなか、部屋のあちこちからジンジャーマンたちが集まり、ジャーの中に大人しく戻っていく。ジンジャーマンのほとんどは割れていたのだが、マグダラスの魔法で欠片と欠片がくっつきもとの姿に戻る。
全部のジンジャーマンがジャーの中には収まると、マグダラスはジャーの蓋を乗せた。いつのまにかジャーの欠けた部分も修復されていた。
マグダラスはクッキージャーを胡桃の木のテーブルに乗せると、三人を振り返った。
「この部屋には貴重な魔法薬や魔術道具、触れれば呪われる呪具なども置いてあります。知識なくそれらを触れば大事故にも繋がります。だから院長室は生徒の立ち入りを許可なくば禁止しているのです」
「はい……すみません」
しゅんとした三人を冷たく見据えマグダラスが言葉を続ける。
「あなたたちが盗み食いしようとしていたこのジンジャーマンクッキーですが、盗み食い防止の魔法がかかっています。蓋を開ける前に魔法無効の魔法をかけなければ先ほどのように逃げられてしまいます」
そこでマグダラスは三人が何か言いたそうに見ているのに気付いて、こほんと咳払いをした。
「私が独り占めするために意地汚く魔法をかけたのではありませんよ。これはこういう魔法がかかった状態で送られてきた頂き物です。さて、あなたたちを処罰なしには戻せません。本来ならこの部屋を元通りにと言いたいところですが……薬品棚は危険ですので、あなたたちには任せられませんね」
「薬品棚だけは私が手助けしましょう」
三人とマグダラスの視界には入っていなかったのだが、もうひとり室内に人間がいた。国の中枢で魔術を生業としている魔法使いには二種類いる。魔術や魔法の研究をする魔術師、そして攻撃治癒魔法が得意な魔法使いばかりの精鋭魔術騎士団。
柔らかな笑みを浮かべつつ、そう申し出た男の着衣は魔術騎士団を示す模様が金で刺繍された黒い軍服と黒いマントだった。
男の子であるウィルと女の子だが攻撃魔法が得意なメルサが彼をあこがれの目で見つめる。
短い詠唱とかざした手のひらの前で、絨毯を濡らしていた薬液、中に入っていた薬草や動物の一部、散乱した硝子片が元通りに修復されていく。
さっきエルが振り落としたマンドラゴラも元の薬酒漬けになって棚に並んだ。
「スゲー」
囁くような感嘆の声が子どもたちの口から発せられる。男はそれを聞いて失笑した。男が修復魔法が得意なのは学院で鍛えられたからだということは彼にとって名誉な話ではない。それは決して口にはしないが、彼は三人組を過去の自分をみているようで可笑しかった。
「さて、イタズラも結構だが、将来魔術騎士団に入りたいと願うなら内申点をあまり落とさないようにね」
薬品棚がすっかり元通りになると、男は腕を下ろした。
「その言葉をよもやグレン=ヴィンセントから聞くようになるとはね」
マグダラスが意味深にため息をついたので、グレンと呼ばれた軍服の男は、雲行きがあやしくなったのを察してそそくさと退場することに決めた。
「では、マグダラス魔術学院院長、私はこれで失礼致します」
「ええ、御苦労様です」
グレンを見送った三人は、その後、一週間の授業以外の魔法行使禁止と反省文の提出、そして院長室の片付けを銘じられた。