六、『辿り着いたのは、更なる危機』
一晩かけて歩き続けた結果、森を抜け、道路に辿り着き、夜が明けるころには町らしき物が見えるところまで来られた。
途中、人の二倍はありそうな猪に追い駆けられたり、頭が二つある狼に襲われたりと、異世界らしさを体感したりもしたが、山籠もりの経験がある奏にとっては余裕で逃げたり、撃退できたりしたので、大した危機にならずに済んだ。
とはいえ、マリティアの方はそういうわけにはいかず、奏からしたら魔物的な動物に襲われる度に、キャーキャー悲鳴を上げて怖がっていた。
故に、ずっと抱えられ、歩いていなくても、奏の腕の中で彼女はぐったりしている。
見た目と教養からして、もしかしたら彼女はこの世界ではある種のお嬢様的な感じなのかもしれない。
そんな彼女との筆談が、文字が見えるほど明るくなったことで一晩振りに再開された。
マリティアが最初に書いた言葉は、
『大丈夫ですか?』
奏を心配するものだった。
その文字に、彼は微笑みで返し、ふわふわとした金髪が乱れないように優しく撫でる。
気持ちよさそうにしている彼女に、奏は思わず目を細めてしまう。
妹も頭を撫でるとこんな感じになったのを思い出したのだ。
『えっと、とりあえず、あそこの町で翻訳魔法具を買って、警察に行きましょう』
そこまで書いたノートを見せて、少し躊躇った様子を見せたマリティアは、少し間を開けて書いた。
『飛行船のこと、乗っていた人達のことを伝えないと』
きっと被害者の家族のことを思っているのだろう。生き残った自分がそれを伝える義務がある。とでも思っているかもしれない。
本当に優しくてまじめな子だ。
だからこそ強く思う。
なんでこんな子が、狙われたのだろうか?
その疑問が生じたのは、森で襲われた時だった。
あのピルットという女が、快楽殺人者で、不特定多数の人間を狙っていたのなら、わざわざ追い駆けて殺そうとはしないだろう。
テロリズムであったとしても同様だ。乗客のほとんどを殺し、飛行船まで落としているのなら、テロとしては十分過ぎる。
目撃者を殺すというのもあるかもしれないが、飛行機などの公共交通機関を利用するには身分証明や航空券の購入が必要だ。
マリティアや目撃した飛行船内部の様子からして、日本と同じかそれ以上の文明文化レベルであると推測できる。だとすれば、そこら辺の手抜きや簡略化をしているのは考え難いだろう。
勿論、偽装という手段も存在しているだろうが、そういうことをするのなら、徹頭徹尾偽りの姿でいるはずだ。
普通に考えれば、わざわざ追ってまでマリティアを殺す理由などない。
だが、これがマリティアを狙っての犯行であった場合はどうだろうか?
彼女を殺すために邪魔だったから、また、目撃者を消すためについでに殺した。あるいは、本来の目的を隠すために、全員始末し、更に捜査を遅らせるために飛行船をあらかじめ落ちるように仕掛けていた。
と考えれば、唐突に飛行船がバラバラになったことなど、色々と納得できる。
しかし、そうなると動機がわからない。
なにか、異世界人である奏にはわからない理由があるのかもしれないが、それを彼女に直接聞くのは躊躇われた。
もし、その心当たりが彼女にあった場合、いや、なかったとしても、その可能性が提示されれば、きっとマリティアは自分のせいだと思い、自らを責め始めるだろう。
まだ出会って一日も経っていないが、そういう女の子だということぐらい、奏には安易に想像できる。
それに、奏のその推測が必ずしも正しいとは限らない。
なんせ、自分は召喚された異世界人なのだ。しかも、戦い守るために選ばれた復讐者だった少年だ。そんな人間の考えなど果たしてどこまであてにできるものか。
いや、そもそも狙われていようと狙われていなかろうと、マリティアという少女の行く先を心配するのはお門違いだろう。
何故なら奏は、マリティアが危機的状況から脱するために召喚された存在なのだ。その状況を完全に脱しきればお役御免となる。つまり、ほどなく送還される。
そのタイミングがいつになるかまではわからないが、少なくとも警察に保護されれば安全な状況になるだろう。
若干、寂しさも感じなくもない。
しかし、と思う。
守るために召喚されたということは、つまるところ、この感情、ひいてはマリティアに対して妹と似ていると思ったことすら、そのために組み込まれたものなのではないだろうか?
外見上は、全く似ていないのだ。そうであってもなんら不自然ではない。
もっとも、そんなことは細かいことであり、どうでもいいことだ。
例えそうだったとしても、そうでなかったとしても、彼女を助けたことを後悔することはないだろう。
十年前にできなかったことが、不可能と思っていたことをすることができたのだ。
例え代替行為であろうと、少しだけ救われた気が……しないか。
自分の中に未だに復讐の炎がなんら衰えることなく存在していることを自覚した奏は、マリティアに気付かれないように自嘲する。
十年という歳月全てを復讐に費やした代償なのだろう。
もはや、それから逃れることはできない。死ぬまで殺意と憎悪に身を焦がし続ける。
自分は、どうしようもなく復讐者なのだ。
そんな人間が、手を汚してしまった。
復讐対象ではない相手を殺してしまった。
例え守るためだとはいっても、果たしてそれはどんな影響を自身に及ぼすのか奏には最悪な予測しか思い浮かばなかった。
堕ちるところまで堕ち始めるのだろうか?
暴力に身を置き続けたが故に、それに溺れた人間に何度も奏は会っている。
目的も、理念もなく、ただただ暴力のために己が力を振り撒くならず者達。
目的を失い、理念などあるはずもなく、残されたのは身に付け研ぎ澄まされた暴力のみ。
堕ちたならず者達と一体なんの違いがあるというのだろうか?
今はまだ、そうなってはいないが、いずれそうなるのであれば、いっそのこと、家族の後追って……
十年間、考えなかったことはなかったもう一つの思いに強く囚われはじめた時、不意にマリティアに頬を触られた。
『大丈夫ですか?』
視線を向けると、そう書かれたノートを見せられた。
どうやら気付かない内に負の感情を表に出していたらしい。
余計な心配を掛けてしまった。本来なら、他人を気遣う余力など無くて当たり前な彼女に。
心配そうに自分を見るマリティアに、奏は困ったように笑みを返した。
どうしようもない子だな。と思ってしまったのだ。あるいは、他人を気遣うことで意図的か無意識にか、直視したくないことから避けようとしているのかもしれない。ならば、せめて、彼女の安全が本当に確認できるまで、こういうことを考えないように全力で彼女を守ろう。
どうせ、その時までは後もう少しなのだから……
奏の前には、町の看板らしき物が立っていた。
道路の脇に突き立てられた四・五メートルぐらいありそうな長大な看板には、奏には読めない文字でなにかが書かれている。
『オータムノーム07町へようこそ。って書かれてあります』
マリティアの翻訳に頷きで応じ、看板から視線をもうすぐそこまで来ている町に向ける。
奏の目に入ったのは、赤レンガで作られた外壁だった。
周囲に生い茂る木々を軽々越えた高さがあることから十メートル以上あるそれは、右を見ても左を見ても周囲に途切れることなく続いており、町を取り囲むように建造されていることを想像させる。
森で遭遇したような魔物が存在しているのなら、こういう壁は必要不可欠ということなのだろう。
道路の先には、アーチ状の門があり、朝であるためか既に開いているその向こうには、外壁と同じような赤レンガで作られた町並みがあった。
ヨーロッパのような町だな……
そんな感想を抱きながら町に入るために再び歩き出そうとした時、ふと違和感を覚える。
視線の先、アーチ状の門が、何故かなにかが違うと思う。
マリティアが不思議そうに自分を見ているが、説明しようがない。
とりあえず、念には念を入れて、道路の脇に移動し、手に収まるぐらいの石を拾って、間を開けずに地面すれすれのアンダースローで投げた。
狙いは門の右端。
まっすぐ飛んだ石は、レンガの壁に当たり砕ける。
かに思われたが、その前に紫電が走り、壁に当たる前に粉々に砕け散った。
「攻勢防御魔法!?」
驚きの声を上げるマリティアの言葉が唐突にわかった。
そのことに驚いていると、彼女もその変化に気付いたのか、目をパチクリさせる。
「広範囲強制翻訳魔法? 奏さん。私の言葉がわかります?」
問いに奏が頷くと、マリティアが困惑した表情になった。
「なんでこんな古い魔法が、こんな場所で使われているの?」
その呟きのような疑問は、門の方からあった。
「それは、これから裁判が始まるからだ」
バチバチと紫電を撒き散らし、門から次々と赤いローブを着た者達が現れた。
その数は十三。
唐突な出現と、剣呑な気配に、身構える奏。
「ふん。流石は異界の化け物だな。獣のような反応だ」
唐突に現れて、侮蔑の感情を向けてくる赤いローブ達の先頭に立つ、声からして女。
他の赤ローブ達が、のっぺりとした目の部分だけ開いている白い仮面を付けているのに対して、その女だけは髑髏の仮面を付けていた。
「なんなんですかあなた達は!」
奏が侮蔑されたことに怒るマリティアに、髑髏の仮面は鼻で笑う。
「どうやら自分が仕出かしたことの重大性を知らんらしいな。これだから田舎の連中は」
どうやら随分とエリート意識が強いようだ。
「飛行船のことなら、私達のせいじゃありません。犯女が――」
「そんなことは我々の管轄ではない」
マリティアの言葉を遮って、髑髏の女は宣言する。
「我々は異世界召喚管理局! 二度と魔王と勇者をこの世界に呼び込まないために創られた魔女同盟直轄組織だ」
「え? 召喚管理?」
聞きなれない単語だったのか、戸惑うマリティアを髑髏の女は再び鼻で笑う。
「知らんようだが教えてやる。異世界人の召喚は、今やこの世界では重罪なのだよ。知らなかったでは済まされないほどにな」
その言葉と共に、髑髏以外が赤ローブの下から水晶玉が先端にくっ付いた杖を取り出し、奏達に向ける。
「さあ! 魔女裁判を始めようではないか!」
エピソード零『復讐者だった少年』終了
ネクスト
エピソード壱『狙われる少女』
ピルット=クルットは森の中を歩いていた。
身に付けているぼろぼろの白いローブを自らの血で赤黒く染めながらだ。
胸の刺突の痕は勿論、落石に挟まれた腕はぶらぶらと揺れており、足も曲がっている。
身体が無事な所を探す方が難しような状態になりながら、ぶつぶつとつぶやきながらふらふらと歩き続けた。
「殺す。殺す。絶対殺す。絶対殺す」
その瞳に狂気の殺意を浮かべ、痛みなど感じてないかのように笑みを浮かべ続ける彼女だったが、やがてまるでゼンマイでも切れたかのようにピタリと止まり、前のめりに倒れた。
「ああ、ああ、駄目だわ。駄目だわ。このままでは死んでしまう。死んでしまう。なら、しょうがない。しょうがない」
死期を悟ってもなお、笑みを浮かべ続けるピルットは、唱え始めた。
「我が身、我が魂、我が魔力、我が魔法に全て奉げ、我、魔の神とならん」
その瞬間、ピルットは人ではなくなった。




