五、『星空の下で初めて犯す罪』
現れた女は、カーテンで作った拘束が無くなっている以外、最後に見た時となんら変わらない姿だった。
どこにも怪我をしている様子もない。
あれだけの高さから、なんの装備もなしに落ちたというのに、無傷な上に、拘束を解いているということは……
素早く女の周りを確認すると、そこには高速回転している赤のリングだけではなく、橙、黄、緑、青、藍、紫のリングも確認できた。
両手首・両足首・腰・首・頭上の七カ所の周りにリング達は展開されている。
それらが彼女を宙に浮かせているのか、ふわふわと明らかに重力に逆らった長くゆっくりな跳躍をしながらこちらに近付いてくる。
つまり、予備が存在し、それを使って地面に叩き付けられるのを防いだということなのだろう。
女がなにかを言いながら、奏達の前の地面に着地した。
言われた言葉によるのか、それとも女が現れたからなのか、あるいは両方か、マリティアがぎゅっと奏に抱き付く。
まずい状況だった。
マリティアを抱え、ケースを持っているため飛行船のような打撃を与えることができない。
女も女で、飛行船のような不意打ちを警戒してか、歩数にして五歩ぐらいの距離で立ち止まる。
背後は崖であるため、逃げようにも逃げられない。
しかも、飛行船の惨状から考えて、女が使う魔法は熱光線のようなものだと推測できる。
状況・距離・場所・間合い、どれも好転する材料がなかった。
そのことを女もわかっているのか、嘲りの笑みを浮かべながら話し掛けてくる。
だが、いくら話し掛けても奏が無反応なことに首を傾げ、不意に、
「なになに? あなたこっちの言葉がわからないの? わからないの?」
日本語を喋ってきた。
眉を顰めつつ、とりあえず頷いてみる。
「あはは。傑作だわ。傑作だわ。まあ、当然よね。当然よね。召喚封じの結界が張られている現代で、そんな骨董品で召喚したんだもの。召喚したんだもの」
独特な喋り方をする女だ。日本語で喋っているからそうなっているのか、それとも元々なのかよくわからないが、少なくとも言葉の端々に見た目以上の異常性を奏は感じた。
しかし、召喚封じの結界? そんなことを謎の声も、マリティアもいってはいなかった。もしかしたら、なにかしらの齟齬がそこに存在している可能性があるが、今はそんなことを考えている場合ではない。
向こうが嘲って話し掛けているのなら、その時間を利用させて貰うだけだ。
「あ~警戒してピルットさんはとても損したわ。とても損したわ。そんな様子なら、なんの召喚能力も有してなさそうね。なさそうね」
ピルットさんってのは名前か? いや、そんなことより、召喚能力ね……
少なくとも、特に召喚される前と後でなにかしらの特殊能力に目覚めた気配はない。なにかしらの異変が自身の身に起きていれば、奏はそれを直ぐに察知するはずなのだ。
まるで物語の中の主人公のような話だが、世の中そう上手くことが運ばないということなのだろう。
もっとも、奏はないものねだり、希望的観測で動くタイプではない。
自らで知り、己で得たものだけを信じ、現実的観測で動くタイプなのだ。
「じゃあ、じゃあ、とりあえず、とりあえず、さっさと死んで、さっさと死んで」
その言葉と共に、女が見に付けているリング達が、その色と同じ輝きを発し始めた。
光線が放たれる。
飛行船で同じ現象を目撃していたであろうマリティアが、ビクッと身体を震えさせた。
その瞬間、ピルットが眉を顰める。
奏にはその理由が手に取るようにわかった。
何故なら喋り掛けてくる前まで五歩あった距離が、今は二歩にまで近付いているからだ。
やったことは飛行船でピルットに対して行ったことを変わらない。
軸をぶらさず、身体を揺らさず、真っ直ぐ近付いただけ。
それを話し掛けられている最中、ゆっくりじりじりと行っていたのだ。
故に、抱き抱えられているマリティアもその接近に気付かず、彼女が動くまで距離の変化を認識させなかった。
認識を齟齬させる独特な歩法は、真正面から暗殺するために身に付けた技術だ。
そして、身に付けた歩法はそれだけではない。
ピルットが奏にはわからない言葉でなにかを言った。
その瞬間、奏は認識齟齬歩法を止め、刹那といっていいほどの早さで彼女との間合いを詰めた。
視界いっぱいにピルットが入るほどに接近すると同時に、腰を落とし彼女の視界から消え、回転しながら背後に回る。
背中合わせのような格好になると共に、閃光が走った。
撃ち出された七つの光線が、奏が直前までいた崖を貫き、吹き飛ばす。
凄まじい爆発と土砂崩れが混ざった音に場が支配されると共に、奏はピルットの背中に自らの背を付けた。
瞬間、体全体の回転可能な部分全てを動かし、筋肉の脱力と収縮を瞬時に行うことにより、ゼロ距離の体当たりを行った。
いわゆる八極拳における貼山靠、鉄山靠などといわれているものと似た技だ。
ピルットが背中から受けた衝撃は凄まじく、肺に入った空気が全て押し出されたかのような声というより音を出すと共に、吹き飛ばされた。
飛ばされた先は当然、彼女が自ら破壊し、崩落中の崖。
巻き込まれる寸前、リングの魔法具を使ったのか、ピルットの身体が急停止する。
失った酸素を取り入れるために大きく息を吸い、咳き込みながら空中で振り返る姿を見ながら、奏はその彼女に向ってケースをぶん投げた。
ピルットは嘲りの笑みを浮かべて光線を放ち、ケースを消滅させる。
が、次の瞬間にはその表情は凍り付くことになった。
何故なら、光線によってケースから解き放たれた黄昏が、投げられた勢いのままピルットの胸に突き刺さったからだ。
奏は飛行船であった出来事の詳細は知らない。
だが、ケースが片側だけ穴が開き、通路に転がされていたことを考えると、黄昏には光線を無効化するなにかがあると推測できていた。
だからこそ、刃先が向いている方を前にしてピルットに対して投げていたのだ。
奏の目論み通り黄昏が胸に突き刺さったせいか、ごぽりと血を吐くと共に、浮力を失い落下し始めるピルット。
落ちる先は、今度こそ崩落中の崖。
黄昏と共に落石に巻き込まれ、ピルットはその姿を消した。
ほどなくして、土砂崩れは収まり、静かになると共に、マリティアが強く強く抱き着いてくる。
その身体は震えていた。
奏の耳に、彼女が同じ言葉を言っているのが入ってくる。
なんと言っているのかわからないが、雰囲気からして、なんとなく謝罪の言葉だろうと思った。
優しい子だ。奏が自分のせいで人殺しになってしまったことに責任を感じているのだろう。直前の自らが殺されるかもしれない事態を上回るほどに、自分のことを思って謝っている。
そんなマリティアに、奏は思わず微笑み、空手になった右手で彼女の後頭部を撫でた。
大丈夫だよ。と身体で現すために。
勿論、奏にとって、これが初めての殺人だ。
少なからず動揺している。
落石の中に落ちる血を吐いたピルットの顔は、ぞっとするものだった。
だが、後悔は不思議と感じていない。
あの女は十年前に自分の家族を奪った通り魔と同じことをしたのだ。
ざまあみろ。
そういう言葉が浮かぶ。
しかし、爽快感はない。
代わりに芽生えるのは、虚無感。
同じような殺人者を殺しても、所詮は代替。
心の中に渦巻くやり場のない復讐心が、今ので消えることはないのだ。
あるいは刹那的に癒されたかもしれない。
だが、もはや心に宿る炎を止める手段を無くしている以上、油断すれば虚脱感に襲われ、なにもしたくなくなりそうだった。
しかし、そんなことをこんな場所でしてしまっては、腕の中にいる優しい女の子を助けることはできない。
十年前は、助けることができなかった。
だが、今度こそは助けてみせる。
これもまた代替に過ぎないのだろうが、それでも。と決意して奏は歩き出した。
例え襲い掛かってきた元凶が死んだとしても、まだ彼女の命の危機は続いているのだ。




