四、『闇夜の森の中を』
落下速度を緩やかにしていた勾玉の魔法具は、森の中に着地すると共に砕け散って消滅してしまった。
どうやら使い捨てだったらしい。
時間が夕方であり、うっそうと生い茂る木々の下は、ギリギリ物の形がわかる程度の明るさしかないので、丁度良い光源だったのだが……
とはいえ、暗闇の中でも視野が効くように鍛えている奏からしたら、それでも十分になにがあるかわかる。
のだが、森の中は、特に異世界らしいと思わせる植物があるわけではなかった。
広く平たい緑の葉っぱを持つ広葉樹の森。
常緑樹なのか、地面に落ち葉らしきものはなく、光も届かないのか、草の代わりに苔がみっしりと生えている。
植物に対する具体的な専門知識を持っているわけではないが、修行などのために山に籠ったことが何度もある奏からしたら、特に日本の山と違いがあるようには見えない。
それが残念なような、安心したような……
若干複雑な心境になりながら、向き合うような形で抱き抱えていたマリティアを抱え直し、お姫様抱っこ状態にする。
マリティアが恥ずかしそうに顔を赤らめているが、光源が少ないので流石にそこまでは良く見えない。
ついでに文字もわからないので、恥ずかしいから下ろしてくださいと書かれたノートも読めなかったりする。
そんなはわはわしているマリティアを抱えながら、奏は根や苔ででこぼこしている森の中を歩き出した。
向かう先は山頂だ。
落下中に見られた範囲内では、町らしきものは確認できなかった。
異世界の人の生息域がどのようになっているかわからないが、少なくとも飛行船中継都町というのが存在しているのなら、他にも人が住んでいる場所が近くにある可能性がある。
そこに向い、警察のような組織が存在しているのなら、それに保護を求める。そのためにはまずは高い場所に向い、この近辺の地理を把握する必要があると、奏は判断したのだ。
町の場所を確認できればよいが、最低でも道路のような人工物があればいいな。
そう願いながら上へ上へと向かう。
最初は恥ずかしそうに奏に抱えられていたマリティアだったが、更に日が落ち、ほぼ視界が失われてしまってからは闇に対する恐怖心からか、ぎゅっと自身が抱えるケースに抱き付き始める。
その動きを見えなくても気配で感じていた奏は、立ち止まり、マリティアを左腕で抱くように抱え直し、彼女の腕の中からケースを取り上げた。
突然の奏の行動に、マリティアから困惑する様子を感じ取る。
だが、喋れない奏が、筆談できないこの環境で行動の真意を伝えられるはずもない。
なので、代わりに更なる行動で示した。
少し強めにマリティアを抱き寄せたのだ。
ビクッと振るえる彼女だったが、直ぐに奏の真意に気付いたのか、強く強く抱き着き返してきた。
人を安心させる温度は、同じ人の体温。
それを逆の意味で知っていたからこそ、奏はより自分の体温を彼女に感じられるように抱え直したのだ。
これで少しでも不安が取り除かれればいいんだが……
そう思いながら、それは難しいことを奏は知っていた。
何故なら、今の状況下では他に意識を集中させることができないからだ。
なにもない静かな闇の中では、どうしたって強烈な負の記憶が呼び起される。
それは記憶の鮮度が良ければ良いほど起こり易い。
故に、マリティアは今、思い出してしまっているのだろう。
飛行船で起きた大量殺人の瞬間をだ。
その証拠に、暫くするとマリティアがすすり泣く声が聞こえてきた。
彼女の顔が肩に置かれているため、やがてその場所に冷たさを感じ始めるが、奏は嫌がる素振りすら見せず、歩き続ける。
例え喋れたとしても、復讐に生きた自分に彼女を慰める言葉など吐けるはずもない。
しかしそれでも、自分と同じように大量殺人を目の前で目撃し、生き残った少女に対してなにもできないというのは、酷く酷く歯痒いものだった。
マリティアが泣き止む頃、満点の星空が見える開けた崖の上へと出ることができた。
月が出ていれば更に視界が確保できたかもしれないが、空に浮かんでない以上、星明かりのみで下を見渡すしかない。
そもそもこの世界に月があるかどうかわからないのだ。空が曇ってないだけで上々と思うべきだろう。
見える範囲を隅から隅まで、確認する。
すると、遠くに不自然に森が開けている場所があるのに気付いた。
闇と木々の邪魔で夜目の効く奏でも詳しく確認はできないが、直線的に見える範囲まで開け続いているのは、明らかに人の手が加わっている証拠だといえる。
つまり、そこに道路があるのだろう。
なら、道沿いに歩けばいずれは人のいる場所に辿り着ける。場合によっては車などが通り、ヒッチハイクでもできればいいんだが……問題はどれほどの距離かだ。日本のように狭い国土であれば半日も歩けば人里に辿り着けるだろうが、アメリカのようにとてつもなく広かった場合、数日の野宿が必要になるなんてことになりかねない。その場合、俺は暫く飲み食いしなくても大丈夫だが、幼いマリティアには酷なことになってしまう。せめて地図でもあればいいのだが……
そう思って抱き抱えているマリティアに意識を向けるが、彼女からは小さな寝息が聞こえており、寝てしまっているようだった。
泣き疲れて寝てしまったのだろう。そんな彼女を無理矢理起こして確認を取るほど、奏は思いやりがない男ではない。
せめて悪夢を見ないように、温かい寝床でも用意するべきだろうが……
ここまで歩いている時、奏は時折剣呑な気配を幾つか感じていた。
人ではない。明らかに動物の、しかも肉食獣の気配。
奏が警戒しながら歩いているがために襲い掛かってこないようだが、一カ所に留まって寝ようものならどうなるかわからない。
手元にあるのは刀モドキが一振り。切れ味は良さそうだが、果たしてマリティアを守りながら獣と戦えるか、奏には疑問だった。
そもそも、奏が身に付けているのは復種のための技だ。
人を守るための技術など身に付けてなどいない。それどころか、自分の命すら軽視しているのだ。ただ一度の復讐をなにがなんでも成功させるため、自分の命すらその道具にした奏に、他人などそもそも守れやしない。
なのに、マリティアの窮地に奏は選ばれて召喚された。
壊れてるんじゃないんだろうな。これ。
思わずそう持ってケースを見た時、不意に悪寒を感じた。
それは修行中に、幾度も感じた生死に関わる気配。
殺気!?
反射的に伏せた次の瞬間、真上をなにかが通り抜けた。
背後で木々が雪崩のように倒れる音が聞こえる。
その音にマリティアが驚きの声を上げて起きるのを確認しながら、立ち上がりつつ振り返った。
倒れた木々の幹に、何者かが着地する。
星明かりに照らされ現れたのは、飛行船と共に落下したはずの女だった。




