二、『異なる空の上で』
添乗員室らしき場所と通路を仕切っていたカーテンを使い、奏は女の手足を縛り付けた。
その際に他の添乗員や乗客がいないか確認してみたが、見付けるのは胸や顔に向こう側が見えるほどの大穴を開けられた遺体ばかり。その断面は男性添乗員の首と同じように、断面は焦げているため、血は流れていない。
老若男女関係なく、中には幼児と呼べる小ささの手足が落ちており、奏は強く強く眉を顰めた。
しかし、ここで怒りに任せて無力化した女を殺しては、彼が最も忌み嫌う通り魔殺人者となんら変わらなくなってしまう。
生じた怒りを心の奥底に押し込め、別のことを考える。
遺体のほとんどが備え付けの椅子に座った状態であることから、皆即死であったと推測できる。人体に開いた焦げた大穴は、映画などで見たレーザー兵器などを思い出すが、それらしき物を女が持っている様子はない。加えて、穴の先にある壁や椅子などには焦げはあっても穴が開いてはいなかった。つまり、人体だけを焼き開ける調整ができるなにかということになる。
そんな都合のよいものなんてあるのか?
どんな武器で、どうやって使えば、こんな惨状ができるのか、奏には皆目見当もつかなかった。
とりあえずわかるのは、それをしたのが拘束中の女であろうことと、唯一の生存者が金髪金目の少女であるということだけ。
いや、パイロットも生きているか?
そう思った奏は、添乗員室より奥にある扉に向って歩こうとした。
が、それに気付いた少女が、若干躊躇いながら奏に近付いてきたため。その場に留まざるを得なくなる。
怯えた視線を床に転がされている女に向けた少女だったが。立ち止まらずに奏の前に移動すると、その両手を自身の首に掛けていた紐に伸ばした。
服の下に隠していた青い涙滴型のペンダントを出し、それに右手を置き、左手の掌を上にして差し出し、何事かをつぶやく。
すると、不思議なことが起きた。
ペンダントが淡く輝いたかと思うと、左掌の上に黒い穴が開き、そこから噴き出すように一冊の本が現れる。
手品? いや、その割にはどこにもトリックらしき物が見られなかった。
本が現れると共に消える黒い穴を凝視しながら、奏は驚くしかない。
奏は、復讐するための技術を獲得するために、殺しに役立つであろう技術をなんでも吸収していた。
その中に手品の技術も含まれていたので、大抵のマジックの種を見破ることも可能なほどになっているのだが……
困惑している奏をよそに、少女はふわふわと浮く本を持ち、パラパラとめくって、中身を見せるように差し出した。
そこには文字がびっしりと横書きで書かれており、最初の行には見たことがない文字が描かれている。
ただ、その下の文字には、どこか見覚えがある字が書かれており、行ごとに違う種類の文字が使われていると推測できた。
そして、奏は、少女はそれを使って自分とコミュニケーションを図ろうとしていることに気付く。
何故なら、種類の違う文字の中に、日本語あったからだ。
書かれている内容は、
『あなたのお名前は?』
だった。
つまり、そこに書かれているのは、違う文字ですべて同じ内容ということなのだろう。
要するにそういう本なのだ。
しかし、そうなると一つ困ったことがある。
じーっと名乗るのを待っている少女に、奏は首を横に振り、日本語を左手で指差しながら、書く動作を見せた。
そのジェスチャーの意図に直ぐに気付いてくれたのか、少女は目を見開いて驚く。
奏としては困ったように苦笑するしかない。
大体この事実を知られると、皆似たような反応をするのだ。
そう彼は喋ることができない。
とはいっても、喉や舌・脳に障害があるわけではない。十年前の事件以降、奏は喋ろうとするたびに母の最期の言葉が浮かんでしまうのだ。
喋らないで、悲鳴も上げちゃ駄目よ。絶対に、なにがあっても動いちゃ駄目よ。お願いだから。
その言葉が、ずっと心の中に残り、口の動きを阻害する。無理に喋ろうとすると、嘔吐すらしてしまうほどにだ。
動いては駄目という言葉に関しては、復讐心から死に物狂いで克服した。
だが、復讐にさして障害にならない言葉に関しては、駄目だった。
奏自身が心の底から治そうという気がなかったことや、復讐を捨てられずにいたからこその言語障害だといえる。
ただただ復讐のためだけに生きていた奏にしてみれば、別段困ることではなかった。必要なことは筆談で済ませることが可能だったからだ。
しかし、相手が日本語を話せない外国人? だとするのなら、名乗れないというのは少々困ったことかもしれない。
文字を書いても、伝わらないのであればどうしようもないのだ。
とはいえ、そのことを伝える努力を怠るのはこの場合は良くないだろう。
なんせ、こんな惨劇の現場に彼女は一人でいたのだ。
自分がどうやってこの場に来たかどうかわからないが、少なくともコミュニケーションをすることで安心感を与えられれば。と思っていた奏だったが、少女はその配慮を上回る行動に出た。
奏が指差している文字を見た少女は、再びペンダントに触れて小さな黒穴を出現させると、その中に吸い込ませるように本を消し、代わりにノートとシャーペンらしき物を取り出す。
ノートを持った少女はさらさらと何事かを書き、奏にそれを見せた。
そこに書かれていたのは、明らかな日本語。
『私はマリティア=ムリリム。あなたのお名前は?』
そう綺麗な字で書かれていた。
漢字も見事に書いていることに、奏は混乱しかかったが、それを強引に抑え、差し出されたノートとペンを受け取り、彼女・『マリティア=ムリリム』が書いた場所の下に書き返す。
『俺は白技 奏』
「シラギ ソウ」
日本語とは違うイントネーションで名前を呼ばれた奏は、頷く。
そこから筆談によるマリティアとの会話が始まった。
『奏さん。状況はわかっていますか?』
『なにも』
『なにもわかっていないで、あの犯女を殴ったのですか!?』
犯女という文字に、奏は疑問符を浮かべたが、とりあえずそのことは後回しにして。
『まずかったのか?』
ふるふると慌てて首を横に振るマリティアの様子に、奏は思わず目を細めてしまう。ふわふわとした金髪が揺れるのがなんとも愛らしかったからだ。
『いえ、助かりました』
『やっぱり君はなにかを知っているのか。できる限りでいい。なにが起きたか、起こったか説明してくれないか?』
その質問に、マリティアは困ったような表情になった。
説明はできるが、どう説明したらいいか迷っている。っという感じだ。
ならばと、
『とりあえず、操縦室に移動しないか?』
あまり遺体が散乱しているこの場に、彼女を長居させたくないという思いからの書いたのだが、首を横に振られた。
『この飛行船は、自動操縦で動いていますから、添乗員さん以外入ることはできません』
自動操縦な上に、飛行船ね……そんな代物なんてあったか?
首を傾げる奏だったが、そういう技術に聡いわけではないので、それ以上思考をするのをやめる。
代わりに、
『武器らしき物が見当たらないのだが、なにを使ってこんなことを起こしたんだ?』
そんな質問をすると、マリティアは何故か床に転がっている赤いリングを指差した。
こんなものが? どう見ても、人体に大穴を開けれるようには見えないんだが……
赤いリングを拾い、しげしげと見てみるが、特になにかしらのギミックがあるようには見えなかった。
とりあえず、折っとくか。
そう思って力を入れてみるが、ビクともしない。
プラスチック製のような手触りと、軽さを感じるのだが、一体どんな素材でできているんだろうか?
『とりあえず、後一時間もすれば次の飛行船中継都町に着きますから』
ノートでそう伝えてきたマリティアは、窓側の席に座り、座ってという感じにポンポンと隣の席を叩いた。
犯女と呼ばれた女は気絶中で、武器だという赤いリングもこっちにある。なら、とりあえずの安全は確保できていると考えるべきか。
そう思考した奏は、頷いてマリティアの隣に座ると、彼女がノートを差し出してきた。
ノートには、
『外を見てください』
と書かれていたので、指示通りに奏が窓を覗き込むと、そこには――
な、なんだこれは!?
驚愕とはこういうことなのかと、実感するような光景が目の前に広がっている。
日が沈み、夕日に照らされている空。
眼下には赤みがかった白雲が絨毯のように存在し、ここが空の上だということを自覚させる。
そんな光景の中に、いくつかおかしなものが混じっていた。
翼を持ち、空を悠然と飛ぶ鱗の生えた赤白黄緑などの様々な色の生物達。
鋭い牙と爪を持ったそれは、手足を二本ずつ持ち人型に近いが、長い首とそこに人が跨っていることを鑑みれば、少なくとも人の数倍の大きさを有している巨大な存在のようだった。
それを見て奏が思い出すのは、児童養護施設で他の子供達が遊んだり見ていたゲームやアニメなどに登場するドラゴン。
まさに架空の世界から飛び出したかのようなものが、遠くで悠然と飛んでいる。
そのドラゴン達が向かう先には、ビルディングが乱立している雲より高くに浮遊する都市があり、それが奏を更に驚愕させた。
文字通りの天空都市へとその翼を向けているドラゴン達は、その手に巨大なコンテナを持っている。
運送業でもやっているのか?
などと思いながら呆然自失となる奏。
遺体は、見たことがあり、自らも作り出そうとしていたのだから、それで動揺することはない。
しかし、だからこそ、目の前の光景には驚きを禁じ得なかった。
何故なら、確実に復讐を遂げようと思えば、とことんなまでに現実的にならなくてはならない。
できることできないこと、一つ一つ確かめ、確証を得られたものだけを身に付け、研ぎ澄まし、高める。
そんなことをしてきた奏は、いわゆる伝説やまことしやかに伝えられる噂の類を信じていなかった。
人を超える巨大な生物が空を飛べるはずもない。宙に都市を支えられるような岩が浮くはずもない。それら言い伝えは、人の空想力が生み出した絵空事だ。
そんな感じに思っていたからこそ、動揺してしまう。
明らかにここは日本ではない。いや、地球ではないのかもしれない。だとすれば、一体俺は……
ふと思い出すのは、やはり児童養護施設で見たアニメ。
それは主人公である少年が、人間とは異なる者達が住む世界に召喚されるという物語。
まさか……
とは思うが、目の前の光景が、その思いを否定する。
そして、駄目押しのようにノートが差し出された。
『ここは奏さんが住んでいた世界とは異なる世界。私達が魔女の世界と呼んでいる異世界に、奏さんは召喚されてしまったのです』




