二、『魔なる神』
目・鼻・口・耳・髪・指が存在せず、唯一人としての部分が残っているのは、その形だけ。
まるでマネキンのようだ。
そう思った奏は、自分が微かに震えていることに気付く。
流石に正真正銘の化け物を見るとなると、恐怖感を覚えるか……
思わず自嘲する奏は、細かく震える手を自身の前に出し、強く握った。
僅かに生じた恐怖感を握り潰すかのように。
一種の自己暗示だが、それだけで震えが収まる。
心に生じた僅かな乱れも落ち着いたことで、奏は冷静な分析を始めた。
理由はわからないが、中身があんな状態であったのなら、打撃が効かないのは当然だ。光の紐の塊の中から抵抗なく出てきたということは、身体が光の粒子のみで構成されていると考えるべきか? まあ、この部分はどうでもいい。問題なのは、優先順位だ。俺がここにいるのはマリティアを守るためだ。その為に召喚されたのだし、そう俺自身も誓った。なら、あんな化け物と馬鹿正直に戦う必要はない……が……
思考しながら観察していた広場の様子は、良くなかった。
警察達が、拘束魔法の性質を変えたのか、ライフルから撃ち出された光弾が光の壁となりピルットを閉じ込めるゲージとなる。
しかし、直ぐに全身から短い光線が放たれ、穴だらけにされてしまう。
それと同時にピルットの身体が光の粒子となり、開いた穴からまるで水のように流れて外に出て、瞬く間に渦巻く七色のマネキンに戻った。
「あっはは、あっはは、なにこれ、なにこれ、ピルットさん。無敵? 無敵?」
口がないのに、何故かピルットは言葉を発し、笑い声を上げながら警察に向けてゆっくりと歩き出す。
一歩一歩踏み出すたびに、石畳が熱せられて赤くなり、どろりと足元が溶ける。
全身があんな状態だったからこそ、奏の掌は火傷したのだろう。
既に肩同様に治っているが、だからといって直接攻撃が使えなくなったことには変わらない。
拘束することをあきらめた警察達は、光弾を槍状に変化させ、攻撃に転ずる。
しかし、撃ち出された光の槍はピルットに命中しても、ただ貫通するのみであり、穴が開いても直ぐに塞がってしまう。
発狂したかのように攻撃し続ける警察達の中で、何人かが両手に持つライフルの銃身を額に付け、何事かをつぶやいていた。
そのつぶやきに呼応するように銃口が闇色に輝き出す。
「なになに? なになに? そんなのでピルットさんを殺そうって言うの? 言うの?」
嘲り笑う光のマネキンに向け、警察達は闇色の輝きを宿すライフルを撃った。
撃ち出されたのは光弾ではなく、闇の弾丸。
それはピルットに命中すると同時に、一気に膨張し、彼女の身体を吹き飛ばす。
「あは! あは! 痛いわ。痛いわ」
嬉しそうな声を上げ、転がり、石畳を赤く溶かし続けるピルットに、他の警察達も闇の弾丸を放ち、立てないように弾き続け始めた。
痛いと言っているのだから、ダメージを受けてはいるのだろう。
しかし、それが致命傷まで至らせているかというと、それを聞こえてくる哄笑が否定する。
少なくとも、これで時間稼ぎはできるか……だが、果たしてこっちが逃げれるほどあるかどうか。相手は光の化け物だ。移動手段もそれ基準である可能性も考慮すべきだろう。だとするのなら、ここで倒さなければ……
ふと背後に気配を感じ奏は振り返った。
少し離れた場所の角から、奏の召喚主マリティアが飛び出してきた。
成長すれば絶世の美女になることを窺わせる金髪金目の美少女が、そのふわふわとした金色の髪を揺らしながら、息を切らしてこっちに近付いてくる。
その背後には白いローブを着た人物が付き添っていたので、反射的に警戒心を強め、いつでも動けるように身体を少しだけ脱力させた。
奏のそんな様子に気付かないマリティアは、彼の近くで立ち止まり、目を丸くする。
「そ、奏さん大丈夫ですか!?」
肩の服が焼かれたように無くなっているのに気付いたが故の驚きだったが、直後に不思議そうな顔になった。
どう考えても火傷してないとおかしな服の状態なのに、露出している肉体は綺麗な物なのだ。
とりあえず、その疑問に答えられる状況ではないので、視線で後ろの人物に目線を向け、疑問を送る。
「町の皆さんを眠らせていた魔法具があったので、それを停止させたのです。それで起きた警察の皆さんに事情を説明したのですけど……」
言い淀んだマリティアが向ける視線の先には、警察とピルットとの戦いが続いている。
といっても、ただ警察の攻撃にピルットが身を任せているだけなので、これを戦闘と呼べるかどうかは不明だ。
「あれって……魔神ですよね?」
マリティアの問いに、俺がわかる訳ないだろ? って感じに奏は肩を竦めて見せるしかない。
奏のその反応にマリティアは頷き、説明を始める。
「魔神というのは、五百年前の魔王大戦時に使われていた現在では失われた禁術で、一種の自爆魔法です。元々は、自らの身体すら全て魔法と化し、魔なる神にならんとした太古の魔女の秘術らしいのですけど、人ではなく魔法そのものになるということは、自我を支える肉体が消失することと同意義なのです。余程精神力が高い人でない限り、魔神化魔法を使った瞬間に自我を失い、ただの魔物と化します。仮に自我を失わなくても、やがては心すら魔法に侵され……最終的には暴走して、周囲に身体を構築している魔法を撒き散らして消滅するそうです」
近くに化け物がいるという状況なのに、よくまあ、スラスラと言葉が出てくるものだ。いや、これも単純に恐怖をそらすためなのかもしれない。
そう思いながら、マリティアの後ろにいる警察を見る。
奏の鋭い視線を受けた警察は、少したじろぐ。
「奏さん?」
こういう時、喋れないのは困るな……
と思いながら、マリティアに書く動作を見せ、ノートとシャーペンを受け取り、書く。
「町の警察で勝てるのか?」
日本語が読めるのはマリティアだけなので、彼女が代弁すると、警察官は首を横に振った。
「我々では勝つのは難しいだろう。拘束封印しようにも、記録された過去の魔神は、暴走すれば戦略級魔法に匹敵する破壊を周囲に撒き散らしていた。そうなってしまえば、例え対魔獣用に立てられている建築物でも耐えられないだろう」
対魔獣用ね……
ピルットの光線が壁に当たっても魔法陣が発生するだけで無傷だった。石畳すら溶かす光線を耐えられる仕組みすら耐えられないとなれば、どうしようもない事実だといえる。だが、奏が着目したのはそのことではなかった。
「つまり、倒すことはできるのか?」
マリティアの代弁に、警察官は驚いた表情を見せる。
「元は人であり、この世界に存在している以上は倒せないということはないだろうが……」
口籠る警察官に、それ以上は有益な情報を得られないと判断した奏は、マリティアに視線を向ける。
「「魔神が暴走する条件は、時間以外にあるのか?」」
自分に向けられたノートの質問に、マリティアは戸惑いながら頷く。
「魔神は人としての全てを魔法に変換した存在です。ですので、魔法を使えば使うほど精神が摩耗していきますし、削り取っても同様だったはずです」
攻撃させても、攻撃しても、させればさせるほど、すればするほど、危険になるとは厄介な。
「「一撃必殺で倒すことは可能なのか?」」
「変質はしていますが、人と同様に魂が存在していますので、そこを直接攻撃する魔法か、あるいは相殺属性の魔法を同魔力量使ってぶつけるか……でも、魔神の魂を直接攻撃できる魔法だなんて、最高位の魔法使いじゃないと無理です。相殺属性だって、魔神は魔力孔から人の時の何十倍、場合によっては何百倍の魔力を得ていますから、町一つ程度の魔女を集めた所で……」
つまり、現在、この町にはピルットを倒せる手段がないということだ。仮に削れたとしても、暴走して、結局は核爆発と変わらない結果になってしまう。
昨日から一難去ってまた一難の繰り返しだな……
ふーっと息を吐き、苦笑する奏は、集めた情報をまとめて、一つの結論を導き出し、覚悟を決めた。
そして、自分の足下を見る。
向こうでの最後の記憶では靴下しか履いていなかったはずなのだが、どういう経緯でか普段使っている運動靴をいつの間にか履いていた。
黒いその靴を、手を使わずに足で脱ぎ、ついでに靴下も脱ぐ。
「奏さん?」
唐突な行動に、マリティアが戸惑った視線を向けてくるが、特に説明らしい説明はしない。
代わりに、警察官に視線を送る。
目は口ほどに物を言うということわざ通りに、それだけで奏の思いが彼女に伝わったのか、彼女は頷く。
警察官が、そっとマリティアの両肩に両手を置き、少し強く握りしめ、彼女を戸惑わせる。
それを確認した奏は、ポケットから指輪を二つ取り出し、下に落として両足で一つずつ掴む。
これで両手足に防御魔法が使えるようになった。
「まさか……奏さん!?」
マリティアが気付くと共に、彼女の頭を撫でて背を向ける。
「駄目です! 奏さんは、奏さんは魔法使いじゃないですよ!? いくら強くたって、人間な魔女ならまだしも、相手は魔神なのです! 死んじゃいます! 死んじゃいますよ!」
マリティアの悲鳴に近い声を聴きながら、奏は歩む。
死地へと。




