魔喰いの森のお人好し。side.人
最後に少しだけR15程度の場面があります。ご注意ください。
目を開けると、そこは真っ暗だった。
「こ、こは……?」
自分の知る場所でないことは一目瞭然。だが、外でないのも確かだ。
ふかふかと寝心地の悪くない感触に、不可解な状況にあると思い当たる。自分の持っている記憶に間違いがないのだとしたら、こんな目覚め方はあり得ない。
(痛い……怪我をしているのなら、記憶が間違っているわけでもなかろうが)
それなら、何故、外の地面にではなく、こんな寝台の上に寝ているのだろうか?
「奇妙だの」
唇の端をクイッと上げて、笑いそうになる。が、どうも肋骨を痛めているようで痛くて仕方ない。
笑えなくて少し機嫌を悪くした彼女は、不意に気配のした薄暗い部屋の向こう側に目を遣った。
扉が開いて、スルリと誰かが入ってくる。
「誰、じゃ?」
「 ! 」
声を発したことで、入ってきた人物は狼狽えたようだった。
近づく歩みを止め、思案するように体を左右に揺らす。
名乗る様子はなく、だからといって去ることもなかった。
「妾〔わらわ〕を助けてくれたのか? それとも喰らうつもりか? どちらでも、好きにするがよい」
身を起こすこともできない状況では、相手に委ねるしか選択肢はなかった。どちらにしろ、退屈で死にそうだった日常よりはずっと刺激的で心地いい。
うっそりと笑うと、相手は「喰らう、しない。助けた、わけでも……運んだ、だけ」とやけに掠れた声で答えた。
少女のようでもあり、少年のようでもある、高い声音。愛らしい、と思った。
「そうか。では、礼は言わぬ。世話をかけたな……もうしばらく世話になっても、よいかの?」
「……はい」
「妾はエリル。解っておろうが、魔族ではない。向こうではもう少し長い名を持つが、ここでは意味がなかろう? 好きに呼べ」
「エリル、さま」
ホ、と可笑しくて笑いそうになり、「胸が痛い。笑わせるな……ふっはははっ」と堪えきれずに吹き出した。
何故。
屋敷の主たる影が介抱した相手に敬称をつけるのだろう? 人間〔アチラ〕の世界での地位(一応、某王族に属する。第三公女を名乗っている)を知るワケでも、知ったところで魔族〔コチラ〕では意味をなさない。
「あー、胸が痛い」
相手は「え、エリルさま!」と慌てて駆け寄って、落ち着かせるように胸を撫でた。
ふくよかな女の胸に触れる手のひらは、女性の持つ柔らかなものではなく、男性の骨張ったものだった。ただ、その動きは乱暴な所作ではなく――尖った爪が服を裂かぬよう労りに溢れている。
「昏〔くら〕いな」
「………」
「明かりをつけて、くれぬか?」
「………」
「イヤ、か。まあ、よいわ……名は?」
「 シエン 」
震えるように答えた名前に満足して、エリルは目を閉じた。
*** ***
さて、それからの彼女の日々はと言うと――思いの外、快適である(部屋の中は昏いがな)!
『なんじゃ……コレは。食べ物か? 人間が食す代物ではないのう』
最初に持ってきた食べ物らしき物体(なんか原色の色がマーブルで渦を巻いていた。嗅いだことのない匂いがして、スープらしいが浮かんでいる固形物は元の生き物がコチラの世界にしか存在しないと断言できる程度に生きていた時の形をとどめている)にエリルが発した言葉を聞いて、すぐに人間界の食べ物をエリルに訊ねてきた。
そして、次の食卓には完璧な食事(柔らかく炊かれた穀類に、消化の良さそうな野菜の煮物と果物が添えられている)が用意された。
(ふむ。なかなかの有能さじゃ……妾とて、アレを食す覚悟はしていたのだが)
コチラの世界に来た時点で、それくらいの境遇は覚悟の上だ。
最初に口にしなかったのは、言わばほんの少しの余興のつもりだった。
「お気に、召しませんか?」
暗い部屋の中、目深にフードを被った屋敷の主は赤い瞳に困惑を浮かべて首を傾げる。
暗闇にはっきりしない影を観察しつつ、フッと笑みを浮かべて「上出来じゃ」と答えれば魔族とは思えぬ無垢な反応を示す。
「良かったです」
ホッと安堵を浮かべた表情は、あどけない少年のようだが背丈はエリルよりも高く体つきも貧弱ではない。
見た目通りの年齢だとすれば、十七あたりかと想像するが……コチラの年齢は人間よりもずっと長寿らしいので本当はかなりの年上なのであろう。
エリルが粥に口をつけると、部屋から出て行こうとする。
「待て、シエン」
ビクリ、背中をふるわせて彼が振り返る。
「何か、不備でも?」
「そうではない。味は初めて食すものだが、いい腕をしておる。ただ、どんなに美味しい食事も一人で食していては味気ないものよ。部屋も昏いしのう」
「……そういう、ものですか?」
「うむ。ここにはお主しかおらぬのか?」
「はい」
コクリ、と頷くシエンにうっそりとエリルは唇に弧を描く。
「では、シエン。妾に付き合え」
「は、はい?」
「ここで、一緒に食せと言っておる。人間の食事はお主には口に合わぬかもしれぬが……」
「……いえ、そんなことは。確かにあまり試したことのない料理法でしたが――でも」
戸惑ったように首を振り、エリルの方を赤い目がうかがった。
「貴女は、僕で……いいんですか?」
「お主しか、おらぬ」
怪我人の居候とは思えない傲然とした態度で、彼女は寝台の上で胸を張った。
不足はなかった。シエンの作る料理は魔界〔コチラ〕の食材を使っているのに人間界〔アチラ〕の味と遜色のない出来映えであったし、同じ卓を囲んでも(正確には、エリルは寝台の上、シエンは円テーブルで食べていた)うるさくなく、適度に会話も弾んで楽しめる(からかう、とも言う)。
彼に不足はない。だが……と、エリルには不満に思うことがあった。
(怖がられるのは、避けたいが――妾にも、限度がある)
そう、考えた彼女は彼の屋敷に厄介になってから一ヶ月程度経ったその日、行動に移したのだった。
灯りのない暗い部屋の中で、シエンの怯えた声が響く。
「ひっわぁぁぁっ! な、何を……なさるのです?」
体に受けた傷がほぼ癒えたエリルは微笑んで、寝台に(不意をついて←奴の名誉のために強調じゃ!)押し倒した彼を見下ろした。
肉食獣の獲物を見るそれによく似た眼差しを細め、「何、とな。簡単なことじゃ」とあたかも明日の食事はコレにしてくれ、と命じるように軽く繋げた。
「お主に、妾と契って欲しい」
はい。とんでもないこと言いました。
でも、本人は至って真面目。本気なので、大丈夫。
「ちぎっ?! 契る?!」
呆然となった影、は寝台の上で上向いた格好のまま、覆い被さる彼女の逆光になった(というか、もともと暗いんだけど)表情を訝しく見た。
「左様じゃ。この一ヶ月妾にしては我慢強く、健気に、お主に誘いをかけていたのじゃがのう……悉〔ことごと〕く受け流されてしまった」
フゥッ、とそれはそれは切なげにため息など吐いて、彼女は首を振る。
「この朴念仁め。乙女の最終手段を拒否るでないわっ!」
あわあわし始めた彼に、エリルは恫喝する。
「ひっ! も、申し訳ありませんっっ」
震えて目を瞬き、彼は困惑した。
「え、エリル様?」
「何じゃ」
「僕は、魔族ですよ?」
覆い被さる華奢な人間の、しかもか弱い女性の体に組み伏されるとは 彼からすれば 思ってもいない状況だ。
「だから? 妾では不満かの?」
「いえ。伴侶は欲しい……正直、飢えています」
「ならば、好都合じゃ。妾もお主がいいのだ、お主しかおらぬ――とさえ思うておる。今ではの」
「僕が、どんな、姿でも?」
ふっ、と彼女は覆い被さっていた体を持ち上げて、表情など見えるはずがない逆光の中、ホホホと妖艶に笑ってみせた。
「心配なら、見せてみれば良い。それで妾の気が変われば、いいがの?」
*** ***
翌朝、寝台の上でエリルは目を覚ました。
肌を滑る違和感に、身をくねらせる。
「こりゃ! くすぐったかろう、ふっ! ふははっ」
胸と腹のあたりを彷徨うグネグネと長く、ひんやりとした温度の柔らかな曲体。その者はシーツから顔を出すと、人型をとり彼女の唇をペロリと舐めた。
真っ赤な瞳と、白い髪。
見た目はどこか兎を思わせる愛らしい美少年で、皮膚のところどころに紋様が刻まれている。
掠める程度のそれ〔舌〕に不満を覚え、エリルは彼の首を引き寄せて唇を合わせる。貪るように絡めていると、素肌の胸を揉まれ恍惚となる。
互いに裸で、直に触れる肌は心地いい。
「シエン」
「エリル、さま」
内股を撫でる彼の骨張った手がひんやりと冷たくて、ゾクリと昨夜の官能を思い出させた。
触れる温度は決して高くはないのに、触れた体はカッと燃え上がって熱を帯びる。
シエンの種族は、三日三晩伴侶と睦み合うのが普通らしい。
……と、エリルは少々不安になった。
(果たして、妾は三日三晩で満足できるかの――?)
まあ、満足できなくても襲うまでじゃ……と、少年(あくまで見た目の話)に抱きついて思うがままに身を任せた。
自作品「小さき姫と年の差侯爵、の結婚」の脇役の彼女です。コチラだけでも大丈夫……のつもりで書いていますが、不親切な箇所があったら申し訳ありません。
よろしければ、「小さき姫~」も参考にしてやってください。