避雷針
視界が一瞬、真っ白になった。
「ギョワァ~!」という俺の悲鳴は、すさまじい落雷音にかき消された。
全身から焦げ臭い臭いがする。
「誰かが雷に打たれたぞ!」という声と共に、周りにいた人々が駆け寄って来た。
だが、「大丈夫か?」と覗き込む者達が次の瞬間、一様に驚愕の叫びをあげる。
いつものことだ。
「うわー、何だこれは?」
サラリーマン風の男が、持っていた傘でおそるおそる俺の背中をつついた。
俺の背中には銀色の巨大なショウリョウバッタが、まるで子泣きじじいのように乗っているのだから、彼らが驚くのも無理はない。
これは、エンテコ・マチマス。地球の生物ではない。ケプラー22bという惑星の生き物だそうだ。
そんなものが何故地球にいるのかは、長くなるので省く。
大体のところは、映画・メン・イン・ブラックの世界を連想してもらえれば良いだろう。
世の中には信じられないような事実も存在するのだ。
俺は銀色の巨大なバッタを背負ったまま、むっくりと起き上がった。
「おい、マジかよ。生きてるぞ。あいつ・・・」
見物人が遠巻きで見守る中、俺はゆっくりと仕事先に向かって歩き出した。
学園都市にある、国立情報処理研究所。ここが俺の勤め先。
俺はこの研究所で働く一等情報処理官なのだ。
「ああ、但馬君、また雷に打たれたのか。それは気の毒に」
所長が平然と言った。
彼は俺が、この半年で十数回も雷に打たれていることを知っている。
しかも背中のバッタのおかげで、無事なのも分かっているのだ。
「お疲れのところ申し訳ないが、昨日君に頼んだツノトカゲのゲノム解析は終わっているかね」
俺は電撃を遮断する特殊なトランクから、解析し終わったデーターディスクを取りだした。
通常ゲノム解析は、スパコンを利用しても一晩では終わらない。
しかし、エイリアンバッタと共生している俺の脳は、世界最速の日本のスパコン「京」の数千万倍の速度で計算することができる。
そう、俺がこんな変な生物を背負っている理由とは、情報処理官としての職務をまっとうするためだったのだ。
「いつもながら仕事が早いね。次は厚労省から癌の新薬17種類の安全性をシミュレートして欲しいという依頼がきているので、お昼までに仕上げてくれたまえ」
所長が俺ではなく、バッタの背中をポンポンと叩きながら言った。
よくわかってらっしゃる。
確かに、この驚異の情報処理能力は、俺が持っているものではないですから。
とはいえ、こんなものを背中に担いで働いている部下に対し、休暇を増やすなど、もう少し気遣ってくれてもよさそうなものだ。
そうでなくともバッタと共生するのはストレスがかかるのだ。
横向きでないと眠れないし、温水シャワーやお風呂は禁止。
直接俺の体から吸盤を使って栄養を取るバッタの好みに合わせて、殆どキャベツだけの食事。
お酒禁止。煙草禁止。バッタが嫌う賑やかな音楽禁止。その他ズラズラと禁止事項が並ぶ。
これが、バッタの寿命である7年間も続くのだ。
だからこそ、高給が取れると分かっていても、わずか数名しか任官を希望する者がいなかった。
その中から選ばれたのが、もっとも忍耐強い性格の俺というわけだ。
しかし、そんな俺でも我慢できないことがひとつあった。
「あら、また雲行きが怪しくなってきたようね」
2等情報処理官の菜々美が言った。
その声にドキリとした俺は、すぐに外が見えない地下の喫茶店に避難しようとしたが、遅かった。バッタはすでに気付いてしまったのだ。
実は、数千ゼタバイト(テラの次の次)もあるバッタの記憶器官(ハードディスクのようなもの)も、時々データーの掃除をしてやる必要がある。それには雷に打たれるのが一番なようで、雷鳴が轟くと、こいつは俺を操って雷が落ちそうな場所に移動させるのだ。
「ちょっと待て! さっき雷に打たれたばかりだろ? 何故もう一度、落雷を受ける必要がある!」
俺は背中に向かって叫んだが無駄だった。
どうやら、先程の雷は小さかったようで、不完全な消去しかできなかったみたいなのだ。
「た、助けてくれ!」
俺は必死で菜々美をつかもうとしたが、彼女は悲鳴を上げて逃げ去った。
バッタはうれしそうな思念を送りつけながら、俺の体を操り研究所裏手の丘に連れ出した。
空を見上げると、発達した積乱雲が雷鳴を響かせながら近づいて来る。
そう、これが一番我慢できない事だった。
バッタがいる限り、なぜか宿主に被害は及ばないものの、雷に打たれたい者などいない。
「来ないでくれ~!」俺は積乱雲に向けて力の限り叫んだ。
それなのにバッタは、雷を呼びこむ避雷針の役割がある光る触手を、
数メートルも空に向けて伸ばしたのっだった。
視界がまた真っ白になった。
( おしまい )