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メデューサの瞳4




 声をかけてきたのは頭を金色に染めた若い男だった。

 マスターから得た情報をもとに、仕事帰りに少しずつ聞きこみを始めた矢先のことだ。仕事が終わるのが日が落ちてからの為、必然的に聞きこみも夜になってしまい、あまりはかどってはいなかった。その為、三浦はともかく、祥子は少なからず苛立っていた。そんな中、若い男は外見に違わぬ不遜な態度で「おい」と言った。

「お前らなにを嗅ぎまわってんだ?」


 思わず祥子と三浦は目を合わせた。若い男の登場に驚いた訳でも、気が退けたわけでもなく、ただ自分たちに対して高圧的な態度にでる目の前の若者が可笑しくて、思わず笑ってしまう。

「なにって、ねぇ?」三浦が目配せをする。

「ふむ。大したことではないわ」祥子は頷いた。

 二人の反応があまりに薄かった為、若者は立ちくらみでもしたようにふらっとよろめいた。あわてて目に力を入る。睨んでいるのだろうが、よく見ると幼さの残る顔立ちをしていてあまり迫力は感じなかった。一重のまぶたは頑張って大きく見開いているのだろうがどう見ても眠たそうだし、ほおの内側に何かを詰め込んでいるんじゃないかと思うほど膨らんだ頬のせいで輪郭が丸い顔は、髪を金色に染めていなければ某有名子供向けアニメの顔がパンでできたキャラクターにそっくりだった。

 仕方ない、この金髪をからかってほんの少し憂さ晴らしをしよう、と心に決める。この目の前に現れた金髪が憎たらしい訳では決してない、むしろ幼さの残る顔立ちは好印象にも見て取れたが、いかんせん祥子は機嫌が悪かった。

「お前ら、バカなのか? 普通ビビるだろ」

「なぜ?」

「なぜって、よく見ろよ! どう見てもオレ、カタギじゃねぇだろ」

 若い男は苛立ちのあまり立ったまま貧乏ゆすりを始めた。その仕草がまた可笑しくて祥子は思わず口元に笑みを浮かべた。

「頑張ってチンピラ止まりかな」

「んー、僕から見ればヤンキーくらいですかね」

「チンピラとヤンキーは何か違うのか?」

 ふと思い立った疑問を三浦にぶつけてみる。三浦は「さぁ?」と首を振った。

「響きの違いですかね、やってる事は大して変わらないでしょうし、チンピラとヤンキーでは何となくヤンキーの方が格下な感じがしませんか?」

「そんなものか。キミはどう思う?」

「おまえらおちょくってんのか!」

 思わずその通りだと言いそうになるのをぐっと堪えて、祥子は「何か用があるのかしら?」と訊ねた。金髪はからかい甲斐があったが、今にも堪忍袋の緒が切れてしまいそうな雰囲気に、キレられたら面倒だな、と思った。まぁ、三浦がいる限り大事に至る事は無いだろうが。

「お前らヤクザなめんなよ。俺らを見かけたら目をそらす、因縁つけられたら謝る、殴られたら泣きねいる。それがお前ら一般人の正しい行動だろうが」

「そんな事誰が決めたのかしら? お前はそれほど偉いのか?」

「世間一般がそうなってんだよ。殴られたくなかったらお前らもそうしろよ」

「確かに、それがお前の仕事なのかもしれないけど、あたし達がそれに従わなければいけないという法律は無いわ。それに――」

 祥子は金髪の後方、少し離れた場所でガードレールに腰をおろしてコチラを伺っている男に目をやった。

「あたし達に用があるのはお前じゃなくて、あっちの男よね?」

 そうよね、と遠巻きに見ていたスーツの男に声をかける。すると男はゆっくりと目を動かして二人を見回した。


「まったく、素人さん相手になにをやってるんだか。そんなんじゃお前ぇ出世できねぇぞ」

 ひょろりと背の高い男は気だるそうにゆっくりと足を動かし近づくと、若い男の金髪に手を置いてぐしゃぐしゃと掻き回した。

「すんません、若村さん」

「ねぇさんもねぇさんだ。ちょっと顔が良いからって、あんまり世の中を舐めてもらっちゃ困る。世間は美人に優しい人間ばかりじゃあ、ねぇんだよ」

 男の眼光は鋭く、目を合わせると背筋に寒いモノが走った。三浦の体に緊張が走るのが分かる。なるほど、これが本物のヤクザか、と初めて接触した人種を見定める。初めからこの男が声をかけてきたら、あるいは対応も違ったものになっていたかもしれない。そう考えて自分が後ずさりしそうになっている事に気付いた。

「あたし達に何の用かしら?」

 一呼吸おいて、男をまっすぐに見据える。

「ほぅ――」

 自分を前にして表情を変えない祥子を見て男は小さく声を上げた。

「なるほど。失礼をしたのはこっちのようだ。すまないね、あんたの相手はこいつじゃあ無理だ」

 そう言って若い男を後ろへ突き飛ばし、男はじっと祥子の顔を覗きこんだ。

「いい眼をしてる。ねぇさん、あんた何者だい?」

 男に睨まれながらも祥子はまっすぐに立ち、怯むことなくじっと男の目を見返した。

「変に買いかぶられても困るわね。あたしはただのOLよ」


 刃物の切っ先を突きつけられているようなただならぬ緊張感に三浦は体を震わせていた。男はひょろりと背が高いだけでガタイがいいわけでもなく、例えば、空手の先生から教わって以来二十年近く毎日練習を重ねた突きを一つ入れれば簡単に崩れてしまいそうなのに、そうできない自分がいる事に驚いていた。男の持つ雰囲気が言い知れぬ迫力を備えていた。頭で考える事とは別に体が必死に警告を発しているようだった。まともにやり合えば危険だと。


「OLね……」

 男はスローモーションのようにゆっくりと口の端を持ち上げると、突然高らかに笑い声を上げた。

 突然の出来事に唖然とする。そんなに爆笑するような事言ったか? と祥子が目で訊くと、三浦は無言で首を振った。

「いや、すまない。部下の手前ちょろっと格好つけてみたんだけど、やっぱり駄目だ。思わず笑っちまった」

 あー肩凝った。と呟いた男の目からはすでに鋭さは消えていた。大きい口を真横に広げてにこやかに笑っている。

「しかし、あんたも度胸があるね。俺も必死に眼力を入れてみたんだけど全く怯まない。ねぇさん、あんたカタギにしとくのはもったいないよ」

 俺は若村公平わかむらこうへいだ、とポケットから手を出し握手を求める。祥子も名前を名乗って握手に応じた。


「あなた達は黄龍会の人間ね?」

 単刀直入の質問に若村は気軽に「そうだよ」と答えた。

「どうやらねぇさんには初めからばれてたみたいだな。じゃあ、俺たちが奴を追ってる事も知ってるな?」

「ええ、聞き伝だけどね。あたし達に用っていうのはその事なんでしょ?」

 若村は大きく首肯すると、話が早いねと祥子の肩を叩いた。

「奴はうちの人間に手を出しちまった。俺たちはまがりなりにも暴力で食ってるからな、けじめは取らなきゃいけねぇんだ。あんたらがどんな理由で奴を探してるのかは知らねぇけど、手を出さないでくれや」

 にこやかに話しながらも、肩に置いた手には徐々に力が込められる。

「ねぇさんにも腕の立つ護衛がいるみたいだけど」と三浦を横目でちらりと窺った。祥子の肩に置かれた手を離そうと三浦が動こうとした矢先だった。

 軽く見られただけで躊躇が生まれる。まるで祥子の持つ力と同じような感覚を三浦は覚えた。もっとも祥子の眼のように動けなくなるほどではないが。


「さて、そういうわけにもいかないわ」

 静かに祥子が口を開く。腕を組み、あくまで態度を変える気はなかった。

「あたし達も知り合いを殺されていてね。可愛い後輩がどうしても自分の手で捕まえたいと訴えているのよ。なら、手伝ってあげるのが筋でしょ? あなた達の事情はそこには全く関係ないわ」

「あんたならそう言うと思ったよ。だがねぇ、俺たちも、はいそうですかと引き下がれねぇんだわ。これ以上首を突っ込むつもりなら、少し痛い目を見てもらうしかないんだけどね」

 若村の後ろで金髪の若い男がナイフを取り出した。反射的に先手を打とうとする三浦を手で制して、祥子はより一層背筋を伸ばした。

「残念だけど、この男はナイフくらいでは驚きはしないわ。今すぐ引っ込めなさい」

 祥子の毅然とした言葉に金髪は明らかに動揺し、恐怖の表情を浮かべた。この程度ならやりやすいのに、と若村のポーカーフェイスを睨む。さすがにこの男に子供だましの言葉や仕草は通用しないだろう。


「あたし達としても、黄龍会さんと揉めたくは無いわ。若村さんでしたわね、この場はあなたの言う通りにしましょう」

 そう言って軽く頭を下げる。すると若村は祥子の肩から手を離して、うむ、と頷いた。

「理解が早くて助かるよ、俺もあんたみたいな綺麗なねぇさんを殴りたくはないからね」

 満足げな若村の声を頭上に聞きながら、祥子は「でも」と言った。

「あたし達とあなた達の目的は一緒よね? あたし達はまだ捜索を始めたばかりで、まだなにも情報が無いのと同じなのよ」

 顔を上げると若村は目を丸くしていた。一体祥子が何を言いたいのか全く分かっていないようだった。回りくどすぎたかな、と祥子は苦笑する。そう言えば前に、三浦にも分かりにくいと言われた事があったな、などと考えてしまう。

「見ての通り、あたし達は二人。でもあなた達は全国に支部を構える大きな組織よね? その黄龍会さんが、あたし達と同じ場所にいるって事は、まだあなた達もロクな情報を掴んでいない証拠よね」

 そこまで言ってようやく理解したのか、若村の顔から余裕が消えた。後ろで金髪がてめぇ、と声を荒げているが祥子は構わず続けた。

「あたしの言いたい事、あなたなら分かるでしょ? 若村さん。あたし達は協力できるんじゃないかって事なんだけど」


 それは一種の賭けだった。マスターから黄龍会が犯人を追っていると聞いた時から、いずれは黄龍会とかち合う事は避けられないだろうと思っていた。思っていたよりも早くその時が訪れたが、考えようによってはこの方が都合がいい。

 まともに衝突すれば間違いなくただではすまない。下手をすれば殺されてしまうかもしれない。人をたった二人くらいなら抹消出るくらいの事は黄龍会ならば造作もない事なのだ。衝突しないためにはどうするか? 利用すればいい。その為にはお互いの立場はできるだけイーブンの方が交渉しやすかった。もちろん黄龍会よりも多くの情報を持っているのが理想的ではあるが、情報量が同じなら言い含める自信が祥子にはあった。あとは、この話に若村が乗ってくれれば良し、だ。


「ねぇさん、あんた何者だい?」

「言ったでしょ。あたしは、ただのOLよ」

 この男なら乗ってくるはずだ。損得や利益だけじゃなく、興味と余興に楽しみを覚えるタイプだと、祥子は確信していた。

 はたして、若村は「面白いねぇ」と呟き、にんまりと口を広げた。

「素人が本職を使おうってか。いいねぇ、気に入ったよ」

「誤解されては困りますわ。あたしは協力しましょうって言ってるのよ」

「あんた、大したタマだよ」


 何か分かったら教えてくれや、と連絡先を渡して若村は踵を返した。金髪がおろおろと後を追いながら「いいんですか?」と若村の顔を伺ったが、若村は「いいんだよ」と一喝した。

 少し歩いてから、はたと立ち止り、祥子達の方を振り返ると、負け惜しみと言う事もないだろうが、若村は「ねぇさん達も掴んでるかもしれねぇけど」と前置きをして、祥子が初めて聞く情報を口にした。

「奴さん、この界隈の年寄り連中からこう呼ばれてるらしいぜ。『夜行の再来』ってな」

 夜行? と聞き返した時にはすでに若村達は遠くに停めてある車に向かって歩き出していた。


 黒塗りの車が走り去るのを見送ってから、三浦は不満げに口を開いた。

「なんで協力するんですか。あいつらヤクザですよ?」

「正義の味方には耐えられないかもしれないけど、海に沈められるよりはマシでしょ?」

 そりゃあ、死にたくは無いですけど。と納得のいかない顔で目をそらす。それ以上強く言わないのは自分でも事態が飲みこめている証拠だ。

「なんでいつものようにあの力を使わなかったんですか?」

 納得できない三浦の最後の抵抗は、祥子の胸に小さく穴を開けた。

「……使ったさ」と小さく呟く。

「何か言いました?」

 最初から最後までいつものように睨み続けたにも関わらず、若村には一切祥子の不思議な力は通じなかった。こんなことは祥子にとっても初めてだった。





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