表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/10

メデューサの瞳




「その目で睨むなよ……怒ってんのか?」

 体を硬直させて顔を青くする三年来の友人は吸い込まれる様に祥子の目を見つめていた。

 知らず知らずのうちに目に力が入っていた事に気付き、祥子は目線をはずした。時折この力が面倒くさくなる。

 祥子が自分の持つ不思議な視線に気づいたのは五歳の頃だった。初恋の男の子を見つめていた時に『目つきが怖い』と泣かれた事がきっかけだった。それ以来初恋の男の子に避けられ、自分には恋が出来ないのだと、若干五歳にして達観するに至った。

 相手の眼を見つめると、それが誰であれ恐怖させることのできる視線。なぜ自分がこの力を持って生まれたのかは分からないが、望んで得た力ではない為、便利な半面、煩わしくもあった。

「そんなに怒る事無いだろ。俺はお前の事心配して言ってるんだぞ」と口をとがらせる岩崎拓実はグラスの中で氷の解けたウイスキーが泣いている事も忘れている。

「別に怒ってはいないけど……まぁ、あたしを怒らせそうな事をとうとうと喋るお前が悪い」

 岩崎を横目でちらりと流して、吉田祥子は不敵に笑う。


 住み慣れた我が家のように落ち着く狭いバーは、いつものように常連の岩崎と祥子の独壇場だった。このやかましい男は店内を心地よく流れるジャズのメロディーを遮る事に必死なのかと思うほどに、喋っている。時折カウンターの奥に居るマスターを巻き込みながら、その内容は恐ろしく空っぽだった。

「最近全然やってねぇンだろ? このままじゃお前、老けて行く一方だぞ、タイムリミットだよ、タイムリミット。カウントダウンはじまってるんだよ。もっと焦ったりしろよ」

「失礼な奴め」祥子は苦笑する。

「岩崎君、女性にその発言は良くないよ」

 マスターは顔に似合わない落ち着いた声で岩崎をたしなめた。

「こいつに失礼もクソもあるかよ。マスターだって知ってるだろ? こいつ今年三十三になるんだぞ。いつまでも彼氏の一人も作らないで、このままじゃせっかく美人に生まれたって宝の持ち腐れだ」

「あんたに言われたくないね。お前だってつい最近じゃないか、彼女作ったの。それまで散々遊んだくせに」

「自分が美人だってことは、さりげなく認めるんだなお前ってやつは。『自分は恋愛に興味無い』なんて言って、そんな言い訳通用する歳じゃねぇンだぞ」

「あんた……殴られたいの?」歯に衣着せぬ物言いに祥子は頭を抱えた。

「おお?」殴られると勘違いした岩崎は一瞬身構えると「ホントのことだろうよ」とほんの少しだけ小声になった。


「そう言えば、知ってる?」祥子の空になったグラスを回収し、マスターが新しいカクテルを差し出す。何も言わなくても、こうしてマスターは気を効かせてくれる。しっかりと料金は取られるが。

「最近この辺で変死体が相次いで見つかってるんだ。祥子ちゃんも気をつけた方がいいかもね」

「ああ、最近週刊誌で散々騒いでるやつな」岩崎が思いだしたように、もう五人くらい被害にあってるらしいな、と顔を歪めた。

「ここ三カ月くらいだよな、その事件が起き始めたのって」

「そうなんだよ。頻繁に発生してるのに、まだ犯人の手掛かりすら見つかってないらしいんだ」

「まぁ、あたしには関係の無い話だな」

 世間を騒がせている事件など祥子には全く興味がなかった。被害にあった者たちに同情はするが、「だから何?」と思うだけだ。この広い街で、自分が殺人犯に遭遇する確立なんて、皆無に等しい。

「気をつけろって言ってんだよ。お前だって一応女なんだからな」

「御心配痛み入るわ。その気持ちだけはありがたく頂いておくよ」

 祥子が軽く岩崎を睨む。すると途端に岩崎の動きが止まる。

「その目をやめろよな……」

 体を硬直させて、かろうじて岩崎が声を出すのを見て、祥子は口元にかすかな笑みを浮かべた。この力のおかげで、大抵の事は何とかできる自信が祥子にはあった。

「祥子ちゃんは不思議な眼差しを持ってるよね。俺も経験あるけど、その目で睨まれると体がすくんじゃうんだよな。その目があれば大丈夫だと思うけど、用心に越したことはないからさ」

 苦笑しながらマスターは祥子ちゃんが来なくなったら、うちは店をたたむしかないからね、と厳つい顔に似合わないウインクをした。

「ありがとう、気をつけるよ」

「なんなんだよ、その目。お前は『メデューサ』かってんだ」深く息を吐きながら、苦々しげに岩崎は祥子を見つめた。

「それはほめ言葉かしら? 『メデューサ』は海神『ポセイドーン』と交わる前は絶世の美女だったのよ」

「言ってろ、バカ」


「三浦にでも護衛してもらえよ」すっかり氷の解けたウイスキーを煽りながら岩崎はつまらなそうに言った。「あいつは正義感の塊みてぇなもんだろ」

 岩崎がウイスキーのお代わりを頼むのと同時に、入口のドアベルが鳴った。すかさずマスターが挨拶をする。

「いらっしゃいませ」

「ほら、噂をすればなんとやらだ」

「正義感の塊さんのお出ましか」

 入口には鳩が豆鉄砲を食らったような顔で三浦が立っていた。

「あの、何の話ですか?」

「得意の空手で大事な先輩を守ってやれって話だ」

 訳がわからない、といった困惑の表情を浮かべながら三浦は祥子の隣に座る。

「今話題の連続殺人の話だよ」マスターがグラスを寄越しながら言った。グラスにはすでに三浦の好きな酒が入っている。

「ああ、無差別に殺されてるってやつですよね。知ってます、知ってます。それと吉田さんと、どういう関係があるんですか?」

「あたしとお前で捕まえるってことさ」

 祥子は冗談のつもりで言ったが、予想に反して、三浦が「なるほど、僕と吉田さんならやれそうですね」と同意した。この反応にはさすがの祥子も驚きを隠せなかった。

「あんた、本気で言ってる? 一度死にかけたやつのセリフとは思えないな」

「そんな昔の事蒸し返さないでくださいよ。もうあんなミスしませんよ。やりましょうよ。これ以上犠牲者を出さない為にも」

「出たよ。正義感の塊発言」岩崎が茶化す。「バカな事言ってんじゃねぇよ。そういう事は警察に任せてろって」

「君子危うきに近寄らず、だよ三浦。わざわざ危険を冒してまであたし達がすることじゃない」

 放っておいたら本気でやりかねない三浦をたしなめる。三浦は意地を張る子供のように「やれると思いますけど」と少しだけごねていたが、時間が経つにつれ、仕事の愚痴や、三浦の恋人の話に、この話題は埋もれて行った。



自分の眼に宿る不思議な能力を使うはめになったのは、三浦の正義感を久しぶりに目の当たりにした晩から、三日後の事だった。

 この時、まさか自分が冗談で言った事が現実になるとは、祥子はもちろん、三浦でさえ思ってもいなかった。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ