白い息、2人きりの放課後
「そろそろ定期テストが始まるぞ! お前ら、ちゃんと準備はできてるかぁ!」
黒板をバンと叩きながら、沢田先生がいつもの調子でクラスに喝を入れる。
その瞬間、教室中が悲鳴とため息で満たされた。
……けれど、私はどこ吹く風といった様子で、自分の席に静かに座っていた。
なにせ私は“そこそこ”真面目系女子。テストに向けた準備は抜かりない。
そんな自信をひとり胸に秘めていた私の元へ、放課後すぐに泣きそうな顔で駆け寄ってくる男がいた。
「なぁ〜神木様ぁ〜! どうかこの哀れな子羊に、勉強の恵みを分け与えてくださいませ〜!」
春樹が手を擦りながら、まるで賽銭箱に祈るような勢いで頭を下げる。
「はぁ? 自分でやんなよ! 私だって勉強したいんだけど」
「そこをなんとかぁ〜、頼むよぉ〜神木様ぁ〜〜」
地味にしぶとい春樹に根負けして、私は放課後、街の図書館で一緒に勉強することになったのだった。
※
街の図書館。自動ドアが静かに開く音が、外の喧騒を切り離す。
「ここにしよっか」
私は窓際の席を選び、ガラス越しの景色を横目に座る。陽が傾いて、まどろむような光が図書館を包んでいた。
春樹も対面の席に座り、私たちは教科書を広げる。
春樹の疑問にひとつずつ答えながら、自分の勉強も進めていく。
あっという間に二時間が経った。静かな空気の中で集中していたからだろう。
「ふぅ、ちょっと休憩しよっか。さすがに疲れたわ」
「賛成! よし、オレは漫画でも読んでくる!」
そう言って立ち上がった春樹の襟元を私は無言でつかんだ。
「は? なにすんだよ」
「それやると二度と戻ってこないでしょ。ジュース奢るから、こっち来なさい」
「喜んでついていきます!」
※
図書館の外、自販機に向かう途中。
その瞬間、ひとりの男子が視界に入った。
「あれ? ……トモ?」
制服姿のトモが、夕暮れの中でぼんやり立っていた。
「神木コイツ知ってるのか?」
「えっと、友達……最近できたの。てか、なんでここに?」
トモは少し寂しげな笑みを浮かべて言った。
「定期テストの勉強をしようと思って……神木さんは、もしかして彼氏と勉強中……?」
「は? 春樹が彼氏? ないないないないない!」
「違うのか……よかった」
トモがぽつりとつぶやく。その声は小さくて、でもはっきりと耳に残った。
「私たちも勉強してただけよ。この人が勉強分からないから教えてあげてただけ」
「そうなんですね。あの……僕も一緒に、いいですか?」
「もちろん、ウェルカムよ!」
私の言葉に、春樹が一瞬だけ複雑な表情を見せた。
「……悪い、神木。俺ちょっと急用思い出した。勉強はまた明日、頼む!」
そう言い残し、春樹は走るように立ち去っていった。
※
春樹の置いていった荷物をまとめてから、私は空いた自分の隣の席をぽんぽんと叩いた。
「トモ、こっち来て。春樹のとこより、こっちの方が勉強しやすいでしょ?」
「は、はい……!」
頬を少し赤く染めながら、トモが私の隣に座る。
そこからは、静かな時間が流れた。教科書のページをめくる音、鉛筆が紙を走る音。それだけしか聞こえない。でも、不思議と気まずくない沈黙だった。
心地よい、ふたりだけの時間――。
※
それからさらに二時間が過ぎ、気がつけば外はもう暗く、時計の針は17時を指していた。
「そろそろ、帰ろっか」
「……ですね」
図書館を出ると、冷たい風が頬を刺す。思わず肩をすくめた私だったけど、それ以上に隣のトモが小さく震えていた。
制服の上着だけじゃ、さすがに寒い。
「トモ、これ使って」
私は鞄からマフラーを取り出して、彼に差し出す。
「え、いや……神木さんも寒いでしょ? 僕なんかのために……」
「私は平気なの。だから、ほら」
それでもトモが遠慮するので、私はマフラーの片方を彼の首に巻き、自分の方にももう片方を巻きつける。
「これなら、半分こ。平等でしょ?」
「……うん、ありがとう、神木さん」
ふたりの間に、白い息がふわりと立ちのぼる。
共有されたマフラーの温もりが、なんだか心まで温めてくれる気がした。
※
駅前に向かって歩く道。街灯がぽつぽつと灯り始め、夕暮れが夜へと染まり変わる。
ふと、私は隣を歩くトモに問いかけた。
「ねえ、トモって……好きな人とか、いる?」
突然の質問に、トモは小さく肩を揺らす。
「……いません。でも、気になる人は、います」
「そっか……」
私がそっと返すと、今度はトモの方から聞いてきた。
「神木さんは? 彼氏とか、気になる人とか……」
一瞬、裕貴の顔が脳裏をよぎる。
あの人に向けていた想い。叶わなかった気持ち。でも、確かにあった恋。
「いたよ……すごく好きだった人が。でも、その気持ちはもう届かないから」
私は強がるように笑って、そう言った。
「そうなんですね……。僕は、今まで人を好きになったことがないんです。昔、男女問わずよくいじめられてたから……今も、たまにそういう目にあうし……自分に自信がなくて」
「……トモ」
「でも、神木さんと話すようになって……世界が少しだけ明るくなった気がするんです。モノクロの世界に色が戻ってきたみたいで……ちょっと楽しいです」
その言葉に、胸がぎゅっと締めつけられる。
私が誰かの救いになれてるなんて――嬉しくて、ちょっと泣きそうだった。
「そっか……なら、よかったよ」
※
駅に着くと、ふたりで改札を通り、電車に乗る。
そして、帰りの駅に着いて、改札の前で立ち止まる。
別れ際、私はふと思ったことをそのまま口にした。
「トモってさ……意外と、頼りになるかもね?」
からかうように笑いながら言うと、トモは頬を赤く染め、でもまっすぐな瞳で返してきた。
「俺なんかじゃまだまだですけど……でも、頑張りたいって思うんです。神木さんともっと話せるように」
「うん……応援してるよ、トモ」
その言葉に、彼の目が一瞬きらりと揺れた気がした。
今日、マフラーを半分こにしたように。
心の距離も、ほんの少しだけ縮まった。
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