負けヒロインの依存する失恋
学校の食堂。
湯気を立てる肉うどんを前に、私はひとり箸を動かしていた。
昨日の出来事――トモと一緒に行ったカフェの記憶が、つるりとすすった麺の温もりと一緒に、脳裏をちらつく。
……あの顔、ちょっと反則でしょ。
「おっ、神木じゃん!」
突然声をかけられて、私は顔を上げた。
そこには、カツ丼をお盆に乗せた春樹が立っていた。
「なぁんだ、春樹か……ビックリした」
「なんだよその反応……ってか、噂聞いたぞ? 彼氏できたんだって?」
「できとらん!」
「だろうなぁ……」
即答した私に、春樹は苦笑しながら私の隣へ腰を下ろす。
「てかさ、合コンどうだった? 成果は?」
私は肉うどんをすすりつつ、軽口を叩く。
「全然だったよ……見た目はみんな可愛かったんだけど、なんかこう……ビビッと来る感じがなくてさ」
「贅沢な悩みだな、まったく」
私は呆れながら春樹の肩を軽く叩いた。
すると――
「あれ、神木さんに春樹?」
聞き覚えのある声に顔を上げると、今度はカレーライスを手にした裕貴が立っていた。
「おや、悠里は? ……まさかフラれた?」
私はからかうように笑いながら言う。
「ち、違うって!」
裕貴は焦った様子で手を振った。
「今日は悠里が忙しくてお弁当作れなかったんだって。他の友達と食べる約束があるらしくて、だから俺はここに来たんだ」
「ふぅん、そっか。……隣、空いてるよ」
「ありがとう」
そう言って、裕貴が私の隣に座る。優しげな笑みが、なんだか眩しく見えた。
「で? 最近どうなのよ? 悠里とは」
私は裕貴のほうへ少し体を向け、肩肘をつきながら軽口を飛ばす。
「んー、変わらないよ。……今も、悠里のことが大好きなのは相変わらずだし」
そう言って、裕貴は照れたように頬をかく。その仕草に、私は少しだけ胸が締めつけられた。
――愛おしいな。
このまっすぐなところ、変わらないところ、全部。
こんな風に応援したくなるカップルに、私もなれたらよかった。
私も……悠里みたいに、可愛くて、素直で、愛嬌のある子になれてたら。
気づけば、私は裕貴の横顔をじっと見つめていた。
……本気で好きだった。
でも、終わったはずの恋。手放したはずの想い。
それなのに、目の前にいる彼を見ていると、心の奥がズキンと疼く。
――最低だな、私。決意したくせに、未練だけ残してる。
「……神木さん?」
ふいに裕貴が、私の顔を覗き込むようにして言った。
「ボーッとしてたけど、どうかした?」
はっ、と我に返る。
この感情は、今はまだ見せちゃいけない。
「……いや、なんでもない。それよりさ、春樹の合コンの話、続き聞かせてよ」
「えぇ!? そっち!?」
春樹は戸惑いながらも、箸を止め、顔をしかめて語り始めた。
「まぁ……可愛い子ばっかだったな。優しい子もいたし、清楚で胸がデカい子もいた」
「……アンタ、ほんとむかつくわ」
「なんで!?」
思わず私は春樹の腕を肘で軽く突く。
そんな私たちを見ながら、裕貴は穏やかな笑みを浮かべていた。
……この空気、懐かしいな。
「で? 神木、お前の恋愛事情はどうなんだよ?」
春樹の一言に、私は一瞬だけ呼吸を止めた。
「……特に、なにもないよ。平和」
口をついて出た言葉は、嘘じゃないけど本音でもない。
春樹はニヤリと笑みを浮かべた。
「へぇ~? もしかして気になる人でもできたんじゃないの?」
「えっ、本当に? 神木さん!」
裕貴まで、興味津々に顔を寄せてくる。
……あんたに言われたくない。こっちは、まだお前のことが気になってるってのに。
「いないってば! 気になる人なんて、い・な・い!」
語尾に力を込めて否定する。
けど――
「神木さんには、きっといい人が現れるよ」
裕貴は、そんな言葉を真顔で言った。
――ズルいよ。
なんでそんなに優しいの。
自分が誰かの“希望”になってることに、なんで気づいてくれないの?
「……あんたのそういうとこ、ほんと嫌い!」
「えぇ!? なんで!?」
「ちょっとは自覚しろ、この鈍感バカ!」
※
昼休みも終盤。
裕貴と春樹と別れ、私はトレイを返却して食堂を出た。
空になった廊下を、一人で歩く。
胸の奥でくすぶっていた気持ちが、じわじわと広がっていく。
――未練なんか、ないはずなのに。
「お、神木じゃん。珍しいな、一人でウロウロとは」
声をかけてきたのは、私たちの担任・沢田先生だった。
ラフなジャージ姿に、いつも通りのド直球スマイル。
だけど、今の私にはその明るさがやけにまぶしく見える。
「先生……先生って、いい人見つかりました?」
我ながら、突拍子もない質問だった。
「――その話、二度と言ったら〆るぞ」
冗談めかしてそう言った先生の目は、どこか本気だった。
けれど、すぐに表情を和らげて、問い返してくる。
「どうした、神木。らしくないじゃん。なんかあったか?」
先生の何気ない言葉に、私の中に張りつめていた糸が、ふっと緩んだ。
「……実は。好きになっちゃいけない人に、まだ未練があるんです」
吐き出すように、私は言った。
「もう終わった恋だって、何度も自分に言い聞かせてるのに。
顔を見るたびに、心が――どうしようもなくドキドキするんです。
私、やっぱり……変ですよね」
笑おうとしたけど、うまく笑えなかった。
それでも沢田先生は、からかったり、茶化したりせず――真剣に、私の言葉を受け止めてくれた。
「神木、それって全然、変じゃないぞ」
「え?」
「恋ってのはさ、“しちゃいけない”も、“するべき”も、ほんとは誰にも決められない。
ただ、現実には“しちゃいけない恋”ってのも、あるにはある。そりゃ、な」
先生の言葉は、不思議と胸にすっと入ってきた。
「でも、どう終わらせるかはお前次第だ。
諦めきれないなら、無理に忘れることはない。
けど――その未練のままじゃ前に進められないと思う」
「……」
「本当に忘れたいなら、そいつより“もっと好きになれる誰か”を探すことだ。
そいつを上書きできるくらいの、本物の恋を、してやれ」
その言葉は、私の胸にしっかりと届いた。
だけど先生は、最後にいつもの調子で付け加える。
「ちなみに私は、恋人どころか結婚どころか、彼氏いたことねぇ独身だけどな!」
「えっ、先生……!」
「なーにわろてんねん」
それでも、先生の目はどこか優しかった。
「……でもさ、いいよなぁ。恋に悩める学生って」
ぽつりと漏らしたその言葉には、少しだけ寂しさがにじんでいた。
私は思わず、笑いながら返した。
「先生にも、いつか素敵な出会いがありますよ!」
「おう、ありがとな――って、黙れコラァァァァ!!」
先生の怒号が、誰もいない廊下にこだました。
――でも、なんだろう。
さっきまで心の奥にあった霧みたいなものが、少しだけ晴れた気がする。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。
応援が次回更新の励みになります!