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10/12

まだ揺れる叶わない恋模様

 電車を降りたあと、私たちはしばらく駅前で立ち話をしていた。


 吐く息は白く凍え、足元のアスファルトもほんのりと霜をまとっている。吐くたびに生まれる白い息が、空へ溶けていくのを見ているだけで、時間がゆっくりと流れている気がした。


 そんな冬の夕暮れの中、トモはどこか名残惜しげに、私の隣に立っていた。


「……今日、すごく楽しかったです」


 その素直な言葉に、思わず私は吹き出しそうになる。


「そっか。勉強してただけなのに?」


「でも、一緒にいられたから」


 ——この子は本当に、飾らないな。


 胸の奥が、ふわりとあたたかくなった。


「……私も。なんか、ちょっとだけ元気出た気がする」


 私がほんの少しだけ笑みをこぼすと、トモも安堵したように柔らかな表情を見せた。まるで、雪の中に咲いた小さな花みたいな、そんな笑顔だった。


「それじゃ、私こっちだから」


 そう言って、私は自分の首元から外したマフラーを、そっとトモの首に巻いた。


「洗って返してくれれば、大丈夫だから」


「え、でも……」


「いいのいいの。遠慮すんなって」


 彼が言葉を飲み込む前に、私は軽く笑って背を向ける。


「それじゃあ、またね! トモ!」


「――は、はい! また!」


 背後から聞こえたその声は、少し震えていて、それでも嬉しそうだった。


 ──ここで、トモが私の手を引き止めたらどうしよう。そんな期待と不安が交錯したけれど、彼はただ、そこに立ち尽くしていた。


 ※


 

「はあ〜……寒っ」


 駅前を離れた私は、両手をこすりながら、自販機の前で足を止めた。冷たい風がコートの隙間から入り込んでくる。吐息が白く空へ溶ける中、ボタンを迷いなく押す。


「えーと、あったかい缶コーヒー、と……」


 コトンと落ちた缶を手に取ると、その温もりが指先からじんわりと染み込んできた。私はその熱を逃すまいと、両手でぎゅっと缶を包み込む。


 ……トモ、ちゃんと帰れたかな。


 不意に脳裏に浮かぶのは、さっきまで隣にいたあの少年の姿。頼りないようで、どこか真っすぐで。


 あんなふうに、まっすぐに「楽しかった」って言えるの、すごいな。


 自販機の明かりがぽつんと足元を照らす中、私はそっと缶コーヒーを口元に運び、ひと息ついた。


 ※


 翌朝、私はいつもより少し早く登校していた。明日はテスト本番。今のうちに最後の確認をしておきたかった。


 静かな教室。まだ誰もいない時間帯の空気は、いつもより少し澄んで感じた。席に着いた私はノートを広げ、数式とにらめっこを始める。


「ここの公式は……この問題に使えそうかな」


 ペン先を走らせながら、独りごちる。集中していると、突然背後から元気な声が響いた。


「おはよう! 神木さん!」


 その声にハッとして顔を上げる。そこには、笑顔を浮かべた裕貴が立っていた。


「えっ、あれ? 悠里は……?」


「んー、今日はちょっと用事があるって。先に行ってて、って言われたから……」


 裕貴はどこか寂しそうに頬をかいた。


 私は咄嗟に悪い考えが頭をよぎりかけて、それを首を振って振り払う。ダメだ、そういうのはもう終わったって決めたじゃん、私。


「……で、神木さん。この問題、ちょっと教えてくれない?」


 裕貴が自分のノートを差し出す。そこには例の苦手な数学の問題が。


「ここは、ほら、この公式を使うの。変形して……」


 自然と顔が近づく。


 ちょ、近いって!


 心臓がバクンと跳ねた。こうして距離が近づくだけで、まだこんなに動揺してるなんて——。ダメだってば、恋しちゃ……。


『どう終わらせるかは、お前次第だ』


 昨日、沢田先生に言われたあの言葉が胸の奥をくすぶらせる。


 ちょうどそのタイミングで、教室のドアが開いた。


「おはよう! 神木ちゃん! 真一郎!」


 明るい声とともに現れたのは悠里だった。


「おはよう、悠里」


「……おはよう」


 彼女の笑顔を見ながら、私はぎこちなく返事をする。胸の奥が少しだけ、痛んだ。


「ちょっと、私購買行ってくる」


そう言って席を立ち、悠里の前に立つ。


「悠里」


「ん? なに、神木ちゃん?」


「裕貴……アイツ、無自覚に人をたぶらかすから。ちゃんと見張ってないと、どこでフラフラするか分かんないよ?」


「え!? わ、分かった……!」


「あと、男なんていつ浮気するか分かんないから! それも気をつけて!」


「ええっ!? 俺が!?」


 戸惑う二人を置いて、私は「言ってやったぞ」とばかりに、にやけながら教室を後にした。


 ※


 

「たく……悠里はちゃんと裕貴を見張ってないとダメなんだからね。あの天然たらし……」


 自販機の横でパンを選びながら、私は軽くため息をつく。


 ……どう終わらせる、か。やっぱり、まだ私には難しいよ。


 そんなことをぼんやり考えていると、不意に耳慣れた、ちょっと気だるげな声が後ろから飛んできた。


「おーっす。これはこれは、朝から購買に現れるとは珍しいね〜神木ちゃん」


 振り向けば、頬張ったおにぎりを片手に笑っている――青原先輩だった。


「青原先輩! こんな早い時間に会うなんて、奇跡ですね」


「いやいや、奇跡って言うほどじゃないでしょ。こちとら受験生ですから〜。朝早く来て、誰よりも勉強しようって思ってさ」


「……もうすぐ卒業ですもんね」


 私が言うと、先輩は少しだけ口元を引き締めて、それから悪戯っぽく笑った。


「ふふ、寂しい?」


「はい。ちょっとウザいけど、先輩いなくなると寂しいです」


「ウザい言うな! いや〜でも嬉しいねぇ。こうやって後輩に惜しまれるのも」


 先輩は笑いながら、自販機でジュースを買い、トンと私に差し出してきた。


「はい、オレンジジュース。朝から戦ってる同志への差し入れってことで」


「え、いいんですか? ありがとうございます!」


 私は少し驚きながらも、それを受け取る。


「ほら、あたしあんま登場シーンないから、今のうちに好感度稼いどかないとさ」


「メタいんですよ、先輩……」


 ふたりで軽口を叩きながら、購買の外にあるベンチに腰を下ろした。冬の朝らしい澄んだ空気のなか、ほんのり温かいオレンジジュースが、指先から心までほんのり温めてくれる。


「で? 最近はどうよ、神木ちゃん。彼氏できた?」


「……好きな人は、いないわけじゃないんですけど……」


 私は缶を握ったまま、そっと目線を落とす。


「でも、その人にはもう彼女がいて。私の気持ちは、届かないままなんです」


「ふーん……裕貴くんのこと、だね?」


「ッ! えっ、な、なんで分かるんですか?」


 あまりに直球な指摘に、私は思わずオレンジジュースを喉に詰まらせそうになった。


「分かるよー。あの夏合宿の時、見てれば分かるって。神木ちゃん、ぜーったい目で追ってたもん、裕貴くんのこと」


「……うわぁ。マジで見られてたんですね。恥ずかし……」


 私は両頬を手で覆いながら、小さく呻いた。


「好きになっちゃいけない人……確かにね、そういうのって罪深いかもしれないけどさ」


 先輩は私の隣で、ふっと空を見上げた。


「でも、好きって気持ちは誰かに許してもらうものじゃないから。誰を想うかなんて自由だし、どう終わらせるか、どう向き合うかは自分次第だよ。答えを決めるのは、自分の気持ちだけ」


「……青原先輩」


 胸の奥を包むような優しい言葉に、思わず私はじんとした。


 そんな私に、先輩はぽんっと唐突な一言をぶつけてきた。


「ところでさ、神木ちゃん。今度テストが終わったら合コン、行ってみない?」


「合コン……? ――はっ!? ご、合コンですか!?」


 オレンジジュースを手にしたまま、私はベンチから半分飛び上がった。


「そ。まぁ息抜きにもなるし、神木ちゃんもまだ気持ちを切り替えきれてないなら、いろんな人と話してみるのもアリじゃん?」


「え、ええぇ〜〜〜……! ご、合コンかあ……!」


 先輩の真剣なのか冗談なのか分からない提案に、私は思わず口をぱくぱくさせるしかなかった。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

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