表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『脆い絆』  作者: 設楽理沙


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

114/117

114 ◇飛び込みなさい 

114 ◇飛び込みなさい  


さて、月が変わった頃 雅代は母と一緒に手縫いした袋もの([巾着袋・手提げ袋・風呂敷袋・お弁当袋)などを携え温子たちのいる工場へと出向いた。


お昼時間に合わせて雅代は電車に乗る。


出迎えてくれた温子と珠代。

雅代はすぐに応接室へと通された。


そこで手仕事で縫った袋物をテーブルの上で広げて見せた。


温子と珠代は『あっ、これもっ……あれもっ、素敵~』などと言い合いながら

品物を手にした。


そして雅代ときゃぴきゃぴ言いながら品物を見ていた温子が雅代にこんな

提案をしてきた。



「雅代さん、これねうち(工場/温子)で買い取らせていただくわ。


200人以上いる女工さんたちに見てもらうには、場所と時間に限りがあって難しいと思うし、雅代さんも毎回電車と人力車使っていたら折角の労賃が減っちゃうでしょ。


あれから考えていたんだけど今度からたくさん縫えたら送ってくれてもいいと思ってるの。ここのところは雅代さんにその都度いいようにしていただいたらいいと思います。


で、もし送ってもらった場合は郵便為替でお支払いしようかなって思ってるの。どうですか、この案」




「はい。助かります。いろいろ考えてくださり、ありがとうございます」




その後……

世間話と買い取りのお金を雅代に渡した辺りで温子が珠代に言った。


「珠代ちゃん、お茶の用意ありがとうございました。

私ちょっとこのあと、雅代さんにお話しがあるの」


「分っかりました~。じゃあ、私は失礼しますね。

雅代さん、またね。次の作品楽しみにしてます」


「珠代さん、いろいろとお世話になります」


『またね~』

雅代は笑みを作り軽く手を振った。


そして自分にどんな話があるのだろうかと、少しドギマギしながら温子の話を待った。


「雅代さん、忙しいのに時間をとってもらってすみません」


「いいえ、そんなこと……。お話というのは?」


「実は哲司さんのことなの」


「哲司くんのこと?」


「お節介なことかもしれないけど、大事なことだと思うので話しておいたほうがいいかなと思って……。

この間私の両親のことで哲司さんと会うことがあってね、彼が雅代さんに振られたって言ってたから……」


『ひぇ~、哲司くんったら何てことを~』


哲司の名前が出てくるだけでも緊張が走るというのに、自分とのことを温子に話しているだなんて、雅代はあまりのことに腰が引けてしまった。



「個人的なことだから、私は雅代さんが哲司さんのことをどんなふうに思っているかっていう点は何も聞くつもりはないのよ。ただ、自分がどんなふうな気持ちでいるかということは雅代さんに知っておいてもらったほうがいいと思ってお話させてもらうの。ふふっ。


もしもね、哲司さんと雅代さんが結婚を決めたとしても私は反対しないし、ちっとも嫌じゃないわ。むしろふたりの結婚推奨派だから。


離婚原因を聞けば、大抵の女性は結婚に二の足を踏むでしょうね。でもね、

妹との浮気があるまでは哲司さんは優しくて道徳心の厚い人間だったと思う。


絶対とは言えないけど、あの時のように同じ屋根の下に余所の女が同居すれば話は別だけど、普通に暮らす分には彼はちゃんと分別のつく(ある)人間でいられると思うわ。


だから前科はあるけれどこの先の浮気を心配する必要は余りないんじゃないかしら。それに私の時に痛い目に合ってるから懲りてると思うのよ」


そのように目の前の元妻で彼のことをよく知っている温子から、雅代は哲司の人間として、夫として、の太鼓判を押してもらった。


ここまできて、ようやく雅代のドキドキが少し収まった。



「それに余所の話を聞くと、姑がややこしくて泣かされているお嫁さんの話をよく耳にするけれど、哲司さんのご両親は良い人たちでイビリなんてとんでもよ。それでね、雅代さん、ここが大事。お給料もいいのよ。


雅代さんが美味しい食事を作って家で待っていてくれるだけで彼は満足じゃないかしら。私は自分が働きたくて勤務していたけど、彼は外で無理に働けって言う人じゃないしね。


哲司さんはやさしいひとだから大事にしてもらえると思うわ。


舅姑も問題なし、お給料も良し、人柄も良し、断る理由ある? 雅代さん。


哲司さんの胸に飛び込みなさい。

あっ、好みじゃなかったら駄目だけどね。ごめんなさい。


ふふふっ、雅代さんの気持ちは聞かないなんて言いながら、押し付けちゃった

みたいでごめんね。今日の私からの話はこれだけよ。


私のことが理由で雅代さんが哲司さんの胸に飛び込んでいけないとかだと、困るっていうか。


ただ大きなコブ(鳩子)が付いているのでよく考えた方がいい物件(哲司)ではあるけどね」



温子の話を聞きながらいつしか雅代は泣いていた。

温子のやさしさが身に染みて、後から後から涙が零れ落ちるのだった。


* 一方この時、温子が雅代との縁を積極的に取り持とうとしてくれていることを知らない哲司がいた *





- - - - - - - - - - - メモ - - - - - - - - - - - - - - - - - - -


この時代すでに郵便局があって

・ 現金書留

・ 郵便為替

などがあったようです。


かかる費用は [郵便為替] が [現金書留] の半分ぐらいだったので

庶民は大抵 [郵便為替] を利用していたようです。






      ――――― シナリオ風 ―――――


― 秋めく頃 ―




〇製糸工場/応接室


   汽笛の音。

   昼前の工場。

   遠くで女工たちの笑い声。




(N)

「月が変わった頃。

雅代は母と縫った手仕事の袋物を携え、温子たちの工場へと出向いた。

昼の鐘が鳴る前、電車を降りると、汗ばむほどの陽気がまだ残っていた」


   


   温子と珠代が出迎える。



温子

「雅代さん、いらっしゃい! さぁ、どうぞこちらへ」


   応接室。

   テーブルに並べられる袋物。



珠代(目を輝かせながら)

「わぁ~、どれも可愛い! あっ、こっちの模様も素敵っ」


温子

「この風呂敷袋、私好みだわ~。どこでこんな柄、見つけたの?」


雅代(少し照れながら)

「古い反物を少しずつ集めて……母と工夫しながら縫いました」


   3人の笑い声が弾む。




◇温子の提案


温子

「ねえ、雅代さん。

これね、うち(工場)で買い取らせていただこうと思ってるの。


200人以上の女工さんに直接見てもらうのは難しいし、

あなたが電車や人力車を使って持ってくるのも大変でしょう?


今度から、たくさん縫えたら送ってくれてもいいの。

郵便為替でお支払いする形でどうかしら?」


雅代(目を潤ませて)

「はい……助かります。

いろいろ考えてくださって、本当にありがとうございます。」


   珠代が笑顔でお茶を置く。



温子

「ありがとう、珠代ちゃん。

ところで……ごめんなさい、このあと雅代さんと少しお話があるの」


珠代

「わかりました~。じゃ、私は失礼しますね。

雅代さん、またね。次の作品、楽しみにしてます!」


雅代(軽く手を振り)

「珠代さん、いつもお世話になります」


   珠代、退場。

   応接室は静まり返る。



◇温子の胸の内


温子(少し改まって)

「雅代さん、忙しいのに時間をとってもらってごめんなさい。

実は――哲司さんのことなの」


雅代(息をのむ)

「……哲司くんの、こと?」




温子

「お節介だと思われるかもしれないけど、

大事なことだと思うの。


この間ね、私の両親のことで哲司さんと会うことがあって、

“雅代さんに振られた”って言ってたのよ。」



雅代(心の声)

『ひぇ~……哲司くんったら、なんてことを……』



   雅代、言葉を失う。

   俯いたまま頬が赤くなる。


温子(やわらかく続ける)

「個人的な詮索をしたいわけじゃないの。

ただ、彼のことを知る者として伝えておきたくて――。


もしも、あなたが哲司さんと結婚することになっても、

私は反対なんてしない。むしろ、応援したいくらい」


   雅代、顔を上げる。


温子「妹との浮気があるまでは、彼は優しくて、道徳心の厚い人だった。

   確かに“前科”はあるけれど、今ならもう、同じ過ちは繰り返さないと

   思うわ。


   姑さんたちも穏やかでいい人たち。

   お給料もいいし、働けって強要するような人でもない。


   雅代さんが美味しいご飯を作って待っていてくれるだけで、

   あの人はきっと幸せだと思うのよ」


   


   雅代、涙ぐむ。



温子(微笑んで)

「人柄も良し、家も良し、お給料も良し――。ね、断る理由ある?

 ……まあ、“好みじゃなかったら”仕方ないけどね。ふふっ」


雅代(涙が頬を伝う)「温子さん……ありがとうございます……」


   温子、そっとハンカチを差し出す。



温子

「ただね、大きな“コブの鳩子”――が付いてるから……。

だから、それも含めて、よく考えてね」


(N)

「元妻の温子から、哲司のことを……

『この人は信頼できる』と太鼓判を押された雅代の胸に、

小さな光が灯り、温子に」


(N)

「温子の話を聞き、そのやさしさが身に染みて、雅代は後から後から涙が

零れ落ちるのだった」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ