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第9話 それはあまりにも鋭くそして…

 あの重苦しい告白の後、結局その日、シオはアネットや他の娼婦たちから何かと理由をつけられ、普段よりもずっと早くプロメオンを追い出されるように帰された。シャノもどこか歯切れの悪い様子で、


「ま、今日はもう上がりだ、シオ」

とだけ言い、それ以上何も聞いてはこなかった。


 ただ、帰り道、彼の大きな背中がいつもより少しだけシオを庇うように見えたのは、気のせいだったのかもしれない。


 だが、その日を境に、プロメオンでのシオの立場は微妙に変化した。


 週に一度の訪問のたび、一部の娼婦たちから、あからさまではないが、しかし確かな悪意のこもった嫌がらせを受けるようになったのだ。狭い通路ですれ違いざまにわざと強く肩をぶつけられてよろめいたり、持ち物を運んでいる最中に不意に足をかけられて床に中身をぶちまけたり。


 それは決まって、シャノが小便だと席を外したり、他の古株の娼婦たちが客に呼ばれたりして控室を離れ、まだ年若く、あまり指名も入らないような若い娼婦たちが数人だけになった時に限って起こった。しかし、シオはその巧妙なタイミングにも、彼女たちの選別された悪意にも気づかない。


(……まあ、仕方ないか。女の園に、僕みたいな男が急に割り込んできたんだ。居心地が悪い人もいるだろうし、僕が邪魔なんだろうな)


 彼はそう自己完結し、ただ黙って耐えるだけだった。ぶつけられた肩の痛みに顔をしかめることもなく、散らばったトランプを黙々と拾い集める。その無抵抗な態度が、かえって彼女たちの嗜虐心を煽っていることにも気づかずに。ただ、早くこの時間が過ぎて、サルサの待つ家に帰りたい、とだけ願っていた。


 そんな日々が数週間続いたある日のことだった。


 その日もシャノが席を外し、控室にはシオと数人の若い娼婦だけが残されていた。シオはいつものようにテーブルでトランプタワーの作成に没頭していたが、ふと新しいカードの束を取りに立ち上がった瞬間、背後から伸びてきた華奢な足に、見事に引っ掛けられた。


「わっ……!」


 バランスを崩し、シオは受け身も取れずに床に手と膝をつく。積み上げ始めたばかりのトランプが、虚しく床に散らばった。


「……っ」


 ジン、と打った膝の痛みに顔をしかめながら見上げると、そこには意地の悪い笑みを浮かべた若い娼婦の一人が仁王立ちになっていた。見下ろすその目には、あからさまな侮蔑と嘲りが込められている。


 そして、その唇が歪み、毒を含んだ言葉が吐き出された。


「……そんななりでも、性欲はあるのね」


 静かな控室に、その声は嫌にクリアに響いた。シオの動きが、ピタリと止まる。


「あなたも、楽しかったんでしょ? ねぇ」


 追撃するように、さらに言葉が重ねられる。楽しかった? 何が。何を言っているんだ、この人は。


「この、薄汚いビッチ野郎が」


 最後の言葉が、鈍器のようにシオの頭を殴りつけた。

 ビッチ野郎。薄汚い。楽しかった。

 理解が追いつかない。頭の中で、その単語が意味もなくぐるぐると回り続ける。

 目の前の娼婦は、勝ち誇ったようにフンと鼻を鳴らし、仲間たちと目配せしてクスクスと笑いながら部屋の奥へと消えていく。


 シオは、床に手をついたまま、しばらく動けなかった。


 膝の痛みも、散らったカードも、どうでもよかった。


 ただ、胸の奥深く、硬く閉ざしていたはずの何かが、ギシリと軋む音が聞こえた気がした。それは、かつて父親に、あるいは見知らぬ男たちに、同じような言葉を投げつけられた時の、あの凍えるような感覚とよく似ていた。


 彼女の言葉が、まるで呪いのように、シオの心に深く、深く食い込んでいく。


 シャノが戻ってきた時、シオはまだ床に座り込んだまま、ただ一点を見つめていた。その黒い瞳からは、いつもの飄々とした光は消え失せ、底なしの沼のような、暗く淀んだ色が浮かんでいた。

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