9 魔王直属配下の四天王
ナーシャが魔王城にやってきてひと月ほどが経過した。
ボロボロだったナーシャが、今では髪も肌も丁寧に手入れされ、綺麗なドレスを与えられ、見違えるように美しくなっている。
傷んだ部分をカットしたせいで髪は肩口で揺れているが、手入れされた輝く銀の髪はまるで絹糸のようにサラサラで、ナーシャの翠色の瞳がよく映えていた。
「ふん、だいぶ見られるようになってきたな」
「皆さんがよくしてくださるからです。それも魔王様のおかげですね」
「当たり前だ! ……曲がりなりにも、この僕の主人という立場なのだからな」
魔王は相変わらずナーシャに対して突き放すような態度を取ってはいるが、最初の頃に比べればずいぶんと柔らかくなった。
テイムされている、というのも原因の一つなのだろうが、できる限りナーシャのためになることを、という意識が行動から見て取れる。
あれ以来、ナーシャは不安に思うことはなく心穏やかに過ごせている。
だというのに魔王は毎日なにかしら理由をつけては顔を見に来ていた。
そんな魔王の姿は魔王城内の人々を大いに驚かせた。
理不尽なまでの強大な力を持ち、常に不機嫌ですぐに癇癪を起こす。
誰も軽々しく近付けなかった孤高の魔王が人間の女に毎日会いに行っていると聞けば、あっという間に噂も広がるというもの。
しかもその人間の女がとても美しいと聞いて、魔族たちの間では二人の関係についての推測話で持ち切りだ。
テイムの件を隠せているのはいいのだが、事情を知らない者からみれば伴侶候補なのかと思われるのも仕方のないことだった。
「忌々しい噂だ。勘違いするなよ? 僕が目をかけてやるのもテイムが解除するまでだからな!」
「……わかっています」
今日も魔王は悪態を吐きながら去っていく。
名を呼ぶことも禁止されているが、せっかく名前をつけたのだからと心の中でだけこっそり呼ぶ日々。
ただ、ナーシャはちゃんとわかっていた。
周囲の人たちが優しいから忘れてしまいそうになるが、これが期間限定だということを。
(解除できるとバレるのも時間の問題よね。そうしたら私はきっと……ものすごく恨まれるでしょうね)
その日が来るまでの幸せだ。
ズキリと胸が痛みナーシャが俯いていると、不意に頭上から影が落ちる。
顔を上げると、目の前には四人の魔族が並んでいた。
最初に目に飛び込んできたのは存在感抜群の大男だ。褐色肌に赤髪の男で、頭には二本の角が生えている。
その隣に立つのは紫色の髪で左目が隠れた細身の男だ。赤い目が妖しく光り、ナーシャを見定めるかのように睨め付けている。
黄緑色の美しく長い髪を靡かせた、男性にも女性にも見える糸目の人物は、何を考えているのかわからない不気味さがあった。
唯一、ピンクのふわふわとした髪を持つ、腕が鳥の羽になっている女の子だけは邪気のない笑顔を見せてくれている。
「貴女ね~? 噂の人間の女って~。うふ、弱そう~」
しかし飛び出してきた言葉は少々きつい。
優しそうな見た目とのんびりとした口調とは裏腹に、どうやら毒舌らしい。
「こらこら、ハピレアピーチェ。本当のことを言っては失礼ですぞ」
「デスローネクロウこそ、フォローになってない~」
左目が隠れた男は早口で軽い嫌味のような言い回しをしてきた。
のんびりしている羽の女の子との差が激しく、ナーシャは嫌味に反応するよりもそちらに気を取られてしまう。
何か言うべきだろうかと悩んでいると、美しい糸目の人物が目を開き、鋭い眼差しで睨んできたことでナーシャの身体は硬直する。
「君は何者? 急に魔王城にやってきて魔王様を独り占めして。我々四天王を差し置いてずいぶん大きな顔をしているそうじゃないか」
「ふがっ!」
糸目の人物に同調するかのように声を上げた大男の勢いもあって、ナーシャは急激に不安に襲われた。
(四天王……本で読んだことがあるわ。魔族の中でも特に優れた戦闘力を持つ四人って)
要するに、魔王に次ぐ強さを持つ四人ということである。
そもそもこの国においてナーシャが敵う相手などいないのだが、強者を前にするとやはり怖い。
あからさまに敵意を向けられてしまっては特に。
「わ、私は……」
恐怖に負けぬようどうにか声を上げた瞬間、ナーシャの目の前に黒い人影が現れた。
一体いつもどこから現れるのか。神出鬼没には慣れてきたとはいえ、自分を庇うように立ちはだかってくれるのは初日以来だった。
「貴様ら。手出しはしておらぬだろうな」
魔王の容赦のない殺気が四天王を襲い、四人は即座にひれ伏し全身を震わせた。
ナーシャとしては、あれほどの実力者を四人まとめて威圧だけで抑え込む魔王に改めて驚いてしまう。
「この人間の平穏を乱す者は許さぬ! 覚悟せよ!」
「っ、はっ!」
魔王の怒りが爆発寸前に見え、このままでは彼らが危ないと感じたナーシャは、咄嗟に魔王の腕にしがみついた。
「だ、ダメ、ですっ」
「っ!?」
魔王が驚いたようにナーシャを見下ろしてきたが、振りほどかれることはなかった。
「あの、私はなにもされていません、から!」
震えながらもぎゅっと腕を抱きしめて必死で告げるナーシャに対し、魔王は複雑な表情を浮かべている。
それから徐々に殺気が消え、魔王は細く長いため息を吐いた。
「……離せ」
「え?」
「奴らには何もしない。腕を離せと言ったのだ。それと……近い」
「え、あっ! ご、ごめんなさい……」
ほぼ抱きついている状態だったことに気づいたナーシャは、顔を赤くしてパッと手を離す。
意外だったのは、魔王もまた耳が赤くなっていたことだ。
(照れた、の? ううん、まさかね……?)
互いに顔を赤くしながら目を逸らし、黙り込んだ様子を見て声を失ったのは四天王たちだ。
彼らは確信する。
この人間は、我らが魔王様の番なのだと。
そして番の存在は、魔王の精神を落ち着かせてくれると。