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8 大切な客人


 ふと、メイドたちからの視線に気づく。

 ナーシャがちらっとそちらを見ると、彼女たちはさっと視線を逸らした。


「おい、人間。心穏やかに過ごさなければ許さぬからな!」

「ええ。ありがとうございます、アル……魔王様。親切なのですね」

「親、切……? 僕が?」


 ナーシャの返答が予想外だったのか、魔王はぽかんとした様子だ。

 その反応がナーシャも不思議で、暫し互いに首を傾げてしまう。


 再びメイドたちからの視線が集まっていることに気づいたのだろう、魔王は気を取り直したように一つ咳をすると、威圧感を放ちながらメイドたちに告げた。


「ごほん。この人間は僕の……そう、客人だ! 怖がらせたり不安がらせたりするな!」


 威圧的な態度とは裏腹に言っていることが親切以外の何物でもないため、メイドたちは目を丸くしている。

 魔王としては、いちいちナーシャが怖がって何度も駆けつけるようなことになるのが面倒なだけで他意はない。


 魔王は鼻息荒く踵を返すと、足音荒く再度部屋を後にした。


 残されたナーシャがメイドたちに視線を向けると、何やらひそひそと話し合っていた。


「この方がもしそう(・・)なら……!」

「ええ、誠心誠意お世話しないと!」

「魔王様の怖さが和らぐ日も近いかも……?」


 それからバッと揃ってこちらを向き、メイドたちは満面の笑みを浮かべた。


「怖がらせてしまい申し訳ありませんでした!」

「どうか遠慮なさらず、なんでもお申しつけくださいませ!」

「ささ、せっかくですもの。ご迷惑でなければどうかお手伝いをさせてくださいませ!」

「えっ、あっ、その」


 先ほどまでのどこか戸惑う雰囲気はなく、優しい対応にナーシャは戸惑った。

 今度は怖くない。不安な気持ちもいつの間にか消えており、なんだか不思議な気持ちだ。


 結局ナーシャがメイドたちにされるがままに身を任せていると、三人はまるで緊張を解すかのように話しかけてくれた。


「正直に申し上げますわ。実のところ……貴女様がどういった方なのかわからず、私たちは戸惑っておりました」

「ですが、先ほどの魔王様のお言葉。貴女様の心の平穏を願っていたご様子」

「私たちも同じことを願うのみですわ!」


 どうやら彼女たちは、ナーシャが魔王にとって大切な人なのだと認識したようだ。

 実際は恨まれているくらいなのだが、あの魔王の誤魔化し方を思い出してみるに、そう勘違いされるのも無理はない。


(どのみち、私が心穏やかでいないと迷惑をかけるものね。それなら……甘えても、いいのかしら? 複雑だわ)


 まだ迷いはあるものの、拒否なんてして彼女たちの顔を曇らせるようなことはナーシャもしたくはない。

 いずれにせよ、手際よく体や髪を洗う彼女たちの手は、ナーシャの遠慮の一言で止まるような気もしなかった。


 温かなお湯なんて幼い頃以来だ。

 花のようないい香り、白く心地よい湯気、久し振りに全身がスッキリと気持ちよくなるこの感覚。


 湯舟に浸かり、ホットタオルを目の上に乗せ、マッサージをされていると、もしかすると今は夢を見ているのかもしれないと思えてくる。


「みなさん……ありがとう、ございます」


 うとうとしながら告げると、メイドたちは嬉しそうに微笑んだ。


「うふふ、殺伐とした魔王城に癒しが訪れましたわね!」

「それにこの方、汚れで気づきませんでしたがとても美しいですわ」

「私たちの腕の見せ所ですわね!」


 メイドたちが楽しそうに会話しているが、睡魔のせいでほとんど耳に入ってこない。


 夢現にナーシャが考えるのは、自分の思い込みについてだ。

 魔の森は恐ろしく、魔王は残酷で、魔族も争いばかりしていると思い込んでいた。読んできた本にもそう書いてあったからだ。


 けれど実際に会ってみるとずいぶん印象が違う。


 魔族の中にも、親切な人はいる。

 久しぶりに優しくしてくれたのは人間ではなく魔族だった。


(でも、ここに来た本当の理由がわかればこの人たちも……)


 ある日突然、周囲の人たちの態度が急変したトラウマは消えない。

 だからこそ余計に、ナーシャは魔王のテイムを解くわけにはいかない、いや解きたくなかった。


(嘘の関係でも、ほんの少しの間だけでも)


「あら? 眠ってしまわれましたわ」

「そうね。……ねぇ、この方ってもしかして」

「ええ。虐待されていますわね……」

「酷いことをしますのね、人間って。精一杯、優しくしましょう」


 いつかは消えてしまう幸せでも、縋りつかずにはいられない。

 愛に飢えたナーシャは、頭では理解していても今の幸せにしがみついていたかった。


 ◇


 執務室にいた魔王は、胸に感じる奇妙な温かさに首を傾げていた。

 ナーシャの感情が流れてきているのだろうことはわかるのだが、これがどういった感情なのかが魔王にはわからない。


 不快なものではないということだけはわかる。

 むしろ、良いものだと。


「主君?」

「なんだ」


 同じ執務室で仕事をしていたイヴァンディアンが、驚いたように目を丸くして魔王を見ている。


「いえ、その。なぜ笑っておられるのかと」

「何を言っている? 僕は笑ってなどいない」

「……」

「くだらぬことを言ってないで、仕事を進めろ」

「……御意」


 魔王は不機嫌そうに眉根を寄せて書類に視線を落とす。


(笑っていた……? この僕がか?)


 イヴァンディアンが意味もなく嘘を吐くことはないと魔王もわかっている。つまり、自分は本当に笑っていた可能性が高い。


 だとするならば、原因は間違いなくあの人間だとわかる。


(胸がざわついて妙な気分だ)


 魔の森でたった一人、ボロボロの姿でへたりこんでいた人間の娘。

 ちょっと脅せば逃げていくだろうと思っていたのに、あろうことか自分をテイムしてきた得体のしれない小娘。


「……くそっ」


 だというのに、彼女の穏やかな気持ちが流れ込んできて嬉しいと感じてしまう自分自身が、魔王にとってはなにより納得しがたいことだった。


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