24 安心できる眠り
最初の夜、アルテムはただ純粋にナーシャと離れたくないという理由で一緒に眠ろうと誘った。
下心がないわけではなかったが、魔族は番が許さぬ限り決して手は出さない。番から嫌われることを何より恐れるためだ。
ただひたすらに、ナーシャの側にいたかった。
さらに言えばこれまでの態度を反省するため、そして自分の気持ちが本物だと信じてもらい、本当の意味でナーシャに番になってもらうためにも、愛情表現を抑えるつもりはなかった。
彼女に伝えた本気で求愛するという言葉を、そのまま実行するつもりなのだ。
周囲の目も気にしない。むしろ、みなようやく魔王が番を見つけたと喜び応援してくれる。
「頼む。僕にナーシャの時間をくれ。これまでの分を取り戻したい。眠っている時間とて惜しいのだ」
「で、でも」
「絶対に手は出さぬ。ただともに眠るだけだ。僕はそなたが側にいると安心できるのだが……ダメか?」
「う……」
最初こそ拒否されたものの、少し頼んだだけで許してくれたナーシャに手ごたえを感じ、アルテムは歓喜に震えた。
腕の中にある愛しい存在の温もりはアルテムに心からの安らぎを与えてくれ、その日は実に幸せな眠りについた……はずだった。
まだ外も真っ暗な深夜、腕の中のナーシャが苦しむ声で目が覚めた。
「ナーシャ……?」
「ぅ、あ……うぅ」
「ナーシャ!? どうしたのだ!?」
身体を思い切り縮こませ、ナーシャがガタガタ震えている。
明らかに怯え、目尻に涙を浮かべながら呻く姿に心臓が止まるのではないかというほど驚いた。
小声で聞き取りにくかったが、魔族の耳はナーシャの寝言をはっきりと拾う。
——どうして。ここから出して。お願い。お父様、お兄様。怖い。
「まさか、ずっとこうして苦しんでいたというのか……? テイムで繋がっているというのになぜ察知できなかったのだ?」
さすがに夢の中での苦しみまでは察知できなかったのかもしれない。
それでも彼女の心は、幼い頃に家族から見捨てられたあの瞬間にいまだ捕らわれているのだとアルテムはこの時初めて知った。
普段は笑顔を見せてくれているし、コロコロと表情も変わるようになってきた。
アルテムにも周囲の使用人たちにも頼る姿も見られ、過去のことを思い出す機会が減っているのが目に見えてわかり、安心していたというのに。
心が無防備になる睡眠中は、今もなお恐ろしい記憶に苛まれていたのだ。
翌朝、アルテムはナーシャに問うた。
「よく眠れたか?」
「は、はい。その……びっくりするぐらい、安心して眠れました」
ふにゃりと笑いながらそう言ってくれたのが心から嬉しく、同時に胸が締め付けられる思いがした。
本人は悪夢に魘されていたことを覚えていないのだろう。安心したという言葉にも、よく眠れたという言葉にも嘘はないと思えた。
良いことだ。良いことなのだが、しかし。
(まだ心の奥深くは癒えておらぬのだな。……無理もない。まだあの生活から離れて日も浅いのだからな)
そう思えば思うほど、ウェンデル家の悪魔のような所業が許せない。
やはりあの時、兄だけでも消し炭にしておくべきだったかと後悔してしまう。
(本当なら今すぐ人間の国を滅ぼしに行きたいが……それはナーシャが悲しむ)
ベッドから下り、腕を上げて伸びをする彼女を見ていたら胸に込み上げてくるものを感じ、アルテムは後ろからナーシャを抱きしめた。
「きゃ、アルテム!?」
「安心して眠れたのならよかった。これからも毎日、共に寝てくれ、ナーシャ」
「ええっ!?」
腕の中で身動ぎ、恥ずかしそうな声を上げるナーシャが愛おしくてたまらない。
その身はもちろん、アルテムは彼女の心も救ってやりたかった。
忌まわしい過去のことなど思い出す隙もないほど、幸せで満たしたい。
自分のことでいっぱいにしてほしい。
自分のことだけ見てほしい。
(今はナーシャの心の傷を少しでも癒すことに全力を尽くそうぞ)
初日の夜、アルテムはそう決意したからこそ、片時もナーシャの側を離れようとはしなかった。
仕事を与えられ、喜ぶナーシャを見つめながらアルテムは頬を緩ませる。
夜中魘されていることを、彼女は知らなくていい。
アルテムの真意も気づかなくていい。
少し鬱陶しいくらいがちょうどいい。甘えることが苦手なナーシャには、とことん甘やかす存在が必要なのだ。
いまだ、ナーシャが魘される日々は続いている。
毎夜アルテムは、いつでも魘されるナーシャを落ち着かせられるよう朝まで背中を撫で続け、抱き締め続けている。
とはいえ、いくら魔王と言えどそれが何日も続けば疲労も滲む。
それに気づかぬナーシャではなかった。
「アルテム、疲れているの? もしかして……やっぱりよく眠れていないんじゃ」
「そんなわけあるものか。僕はナーシャが側にいるだけでいつだって絶好調だ」
「……」
これでも魔国を統べる魔王で、睡眠不足で落ちた体力も有り余る魔力によって補える。
四天王や使用人、いつも側にいる側近イヴァンディアンも気づかぬほどうまく取り繕えていたはずだった。
「私、ずっとアルテムの近くにいるからわかるの。それに、テイムで繋がっているから……感覚でわかるんです。貴方はとても疲れてる。休息が必要です!」
「そんなことは」
「いいからこっちにきて」
普段は控えめで恥ずかしがりやなナーシャだが、こうと決めたら譲らない頑固さを見せることがままある。
むっとした表情で手を引いてくるナーシャに逆らえるわけもなく、アルテムは執務机から離れ、渋々彼女について行った。
ナーシャは大きな長椅子に座ると、ぽんぽんと膝を叩く。
まさかこれは、とアルテムが衝撃を受けた時。
「ほら、横になってください。きっとアルテムは休めと言われたって無理を続けるのでしょう? それならせめて仮眠をとって?」
「し、しかし、重いぞ? ナーシャの足がつぶれるやもしれぬ」
「ふふっ、そんなことあるわけないでしょう」
ナーシャがぐいっと腕を引く力は魔王にとって酷く弱々しいものだったが、アルテムにはとても抗えず、されるがままナーシャの膝に頭を乗せる。
戸惑っていると、至近距離で照れたように微笑みながら見下ろすナーシャと目が合った。
「でも、もし私の足が痺れて動けなくなったら、アルテムが抱えて運んでくださいね?」
「っ!」
かわいい。かわいすぎる。
胸がきゅんとなり、今すぐにでもナーシャを抱きしめ頬擦りしたい気持ちだったが、優しく頭を撫でる彼女の手を払いのけることなどできやしなかった。
「ああ! 任せろ!」
「はい。だから今は……ゆっくり休んでください。こうしていれば、私もアルテムの側から離れないってわかってもらえるでしょう?」
「そう、だな……ナーシャは天才だな」
「大げさですよ」
声も、香りも、手つきも、すべてが甘く温かい。自然と睡魔もやってきた。
アルテムはナーシャの言葉に甘え、しばし幸せな休息時間を過ごすことにした。




