18 圧倒的な戦力差
それからの戦闘は一方的なものだった。
魔王やデスローネクローたちにとって、人間相手に戦うことは子どもを相手にしているようなものなのかもしれない。素人目にも余裕なのがわかる。
次々と倒れていく騎士たち、体力だけを無駄に削る攻撃。
デスローネクローは上機嫌で高笑いしており、ハピレアパーチェでさえ引いている。
魔王も魔王であえて腕や足など致命傷にならない程度のダメージをジェイロに与えながら、彼が体力を消耗するよう立ち回っていた。
しかしジェイロは、満身創痍になりながらも今度はしっかり燃え広がる炎を森に放つ。
おかげで魔王は途中から消火のほうに意識を向けざるを得なくなった。
ナーシャは自分がつくづく足手纏いだと感じながらも、唇を引き結んで戦いを見つめていた。
ほどなくして、ついに立っている騎士がいなくなる。
ジェイロだけが魔王の前に立っていたが、今にも倒れ込んでしまいそうな様子だ。
炎は周囲の木々を燃やしていたが、魔王がそれ以上広がるのを完璧に抑えていた。
この後どうするつもりなのかと固唾を飲んで見守っていると、ジェイロが急に叫び出した。
「魔王よ! 公爵家の娘を攫った罪は重いのだぞ!? まだ一方的な攻撃を続けると言うのなら、次は国の軍隊を連れてくることになる!」
軍隊と聞いて、ナーシャはびくりと肩を揺らした。さすがに話しが大きくなりすぎだ。
同時に、こんな時だけ自分を公爵令嬢として扱うことにモヤモヤした気持ちが広がっていく。
「大丈夫ですよ~」
「ハピーちゃん……」
「我らが魔王様を信じて~?」
胸の前でギュッと手を組んでいると、隣にいるハピレアピーチェがさっきのお返しと言いながらそっとナーシャの背を羽根で撫でてくれる。
(そうだ……今はこんなにも親切にしてくれる人がいる)
騙している罪悪感はあれど、ずっと望んでいた自分の味方の存在が、今はとても心強い。
ナーシャは小声でありがとうと告げ、どこか悲しそうに笑みを向けた。
「なるほど、それが人間のルールか」
一方、魔王のほうは怒りに震えていた。
声に滲んだ怒気に気づいてナーシャがハッと視線を戻すと、魔王が一歩ずつジェイロに近づく姿が確認できた。
「言ったであろう。この地に一歩でも踏み入ればそれらは全て魔国のもの。それが魔族のルールなのだ。どうするも僕の気分次第」
誰もが震え上がる獰猛な笑み。近くにいたジェイロや騎士たちはもちろん、デスローネクローやハピレアパーチェでさえ身体を硬直させていた。
しかし、ナーシャだけはあまり怖いと感じなかった。そのことが不思議で、わずかに首を傾げる。
「なお、今の気分は最悪だ。公爵家の娘? 妹? はっ、これまでの娘に対する態度を省みよ。令嬢や、ましてや家族にする態度ではないことくらい、お前もわかっているだろう」
「っ、人の家の事情に首を突っ込まないでいただきたい。ナーシャには教育をしていただけだ」
「ああ……お前はどこまでも僕を怒らせる」
魔王の言葉の一つ一つに胸がドキドキと鳴る。
これは恐怖ではない。胸の奥から熱いものが湧き上がってくる、これは「期待」だ。
(こんなの。こんなの、まるで……)
ナーシャはギュッと胸の前で両手を組み、魔王の言葉の続きを待った。
「あの娘は自由に生きる権利がある! それを奪うことは、誰であっても許されぬ!」
——まるで、魔王がナーシャのために怒っているみたいではないか。
目と鼻の奥がじんとなり、ナーシャの目が潤んだ。
テイムされているからだとか、そういうことではなく本心で怒ってくれていることがわかる。
勝手にテイムするという酷いことをしてしまった自分を許すどころか、ナーシャの心に寄り添うようなことを言ってくれたのがどうしようもなく嬉しく、罪悪感でいっぱいになる。
「軍隊でもなんでも連れて来るがよい。全てを消し炭にしてくれる!」
怒りが最高潮に達したのだろう、魔王の周囲にさらなる暴風が巻き起こり、雷が落ちた。
ジェイロはもはやその場から動くこともできず、服も髪も乱れてボロボロな状態だ。
まるで、魔の森に捨てられるまでのナーシャのようだった。
「これはまずいかも~! ここにいたら巻き込まれま~す。ナーシャ様、逃げますよぉ~」
「えっ、あ、はい!」
呆気に取られて様子を見ていたが、慌て始めたハピレアピーチェの声で我に返る。
どうやら魔王の攻撃はこの場所にまで及ぶようだ。
ここへ来た時のように足に掴まると、ハピレアピーチェはすぐに空へと飛び立った。
緊急事態だからか空へと昇る速度が速く、ナーシャはギュッと目を閉じる。
その時だった。
「がっ、あぁっ……!」
突然ハピレアピーチェが苦しそうな悲鳴を上げ、同時にガクンと落ちるような感覚があった。
どうやらジェイロが飛び立ったハピレアピーチェに気づき、苦し紛れに攻撃をこちらに向けて放ったようだ。
ハピレアピーチェの背中は炎によって焦げており、気を失ったのかふらりと身体が傾いていく。
「ハピーちゃん!? え、あ、きゃあぁぁぁぁっ」
続けて感じる浮遊感。落ちているのだとわかるのに数秒ほどかかった。
翼を持たず、魔法も使えないナーシャがこのまま落ちたら、地面に叩きつけられて簡単に死んでしまうだろう。
もしくはジェイロにナーシャの存在がバレて、炎の攻撃が飛んでくるのが先かもしれない。
いずれにせよ、絶体絶命だ。
「っ、ナーシャ!!」
地面に落ちていく中で、自分の名を呼ぶ声が聞こえてくる。
間違いなく魔王の声だが、聞き馴染みのない不思議な感覚だった。
(ああ……はじめて名前を呼んでくれたのね、アルテム)
たとえこのまま死んでしまったとしても悔いはない。
ナーシャは幸せな気持ちに浸りながら目を閉じると、静かに最期の瞬間を待った。




