17 言いがかりには暴論を
ナーシャはハピレアピーチェとともに、少し離れた場所から隠れて様子を窺っていた。
遠目で見た兄はやはり記憶にある兄とはまったく違い、ナーシャにはなんの感情も湧いてこない。
今はそんなことより、どんな状況になっているのかが知りたかった。
「何を喋っているのかまではわからないわね……」
「聞こえないんですか~? じゃあ、これならどうです~?」
「え? わ、聞こえるわ! ありがとう、ハピーちゃん」
眉間にシワを寄せて唸っていると、ハピレアピーチェが軽く風の魔法を使ってくれた。そのおかげでナーシャの耳にも魔王たちの声が聞こえてくる。
人間の持つ強力なギフトの力もすごいが、元々の身体能力の高さや、自在に魔法を使うことのできる魔族もすごい。
(ないものねだりだけれど。でも、だからこそ人間は魔族を恐れるのかもしれないわ)
どちらのほうが優れている、とは思わないが、みんなが自分に自信を持っている魔族に対し、人間は人を羨むことが多い気がする。
人間は欲深い、と魔王や他の魔族たちが言うのを耳にしたことがあるが、まったくもってその通りだとナーシャは思う。
(私だって、私以外にはなれないのだもの。今の自分を好きになる努力をすべきね)
ナーシャは人間よりも、そういった魔族の姿勢を見習いたいと感じた。
その時だ。じっと見つめていた先にいる魔王が目だけでチラッとこちらを見た。
「えっ、目が合った?」
「あ~、さすがは魔王様ですね~。やっぱり気づいちゃいますかぁ~」
ハピレアピーチェは苦笑いを浮かべながらそう言うが、これはあとで怒られるのでは? とナーシャは冷や汗を流す。
ふと隣を見ると、苦笑いを浮かべながらもハピレアピーチェがあり得ないほどガタガタ震えていた。やはり後のことが怖いのだと気づいたナーシャは慌ててフォローする。
「わ、私が無理を言ったって、ちゃんと説明するから」
「それはぁ、た、たたたた助かりますぅ~」
ほんのわずかに震えが収まったようだが、まだどこか顔が引きつっているようにも見える。
気休めかもしれないが、ナーシャはギュッとハピレアピーチェにくっついて背中を撫でてあげた。
◇
(まったく……大方、あの娘が無理を言ったのだろう。止められなかったハピレアピーチェには呆れるが、怖いだろうにわざわざ来るとは。弱いくせにやはり肝が据わっているな、僕の番は)
一瞬だけフッと小さく笑った魔王はすぐに気を取り直し、隣に立つネクロマンサーに声をかけた。
「デスローネクロー、あの騎士たちをやれるな?」
「ふふふ、もちろんでございますとも。我が闇の軍勢の前に人間の騎士など虫ケラ同然! お任せくだされ!」
デスローネクローの背後にはたくさんの死霊たちが並んでいる。その数はおよそ数百。十数人ほどの騎士たちに対して、いささか過剰戦力である。
騎士たちはすでに及び腰で、戦う前から負けているのは一目瞭然だった。
「我が城に訪問もせず、火を灯し僕をおびき寄せるとは。ずいぶんと舐めた真似をしてくれる」
そんな中、魔王は仁王立ちで腕を組み、ジェイロを見下ろしていた。
周囲はいまだ炎に囲まれているというのに落ち着いた態度なのは、この炎が木々を焼いていないとわかったからだろう。言葉通り、ただ明かりを点けただけだ。
魔王と対峙しているジェイロは、それもお見通しかと冷や汗を流しながら口元に笑みを浮かべた。
同時に、手を軽く振ることで周囲の炎を一瞬で消してみせる。
彼のギフト炎使いは、炎の温度も、何を燃やすかも自由自在。
森への放火は見せかけ。魔王の言う通り、彼やナーシャをおびき寄せるためのものだったというわけだ。
「申し訳ありません、魔王様。しかし我が妹がこの森で行方不明になりましてね。兄として心配でなりふり構ってなどいられなかったのですよ」
ジェイロによる我が妹の言葉に、魔王の心がざわめいた。主人であるナーシャの暗い感情が伝わってくる。
まるで妹を心配しているかのような言葉だが、そこに心がないことは魔王にだってわかる。それをナーシャが気づかぬわけがないのだ。
(こんな男の言葉など、聞く必要はないというのに)
以前までのナーシャであれば、ジェイロの言葉に希望を見出していたかもしれない。
だが今のナーシャの心はジェイロに対する懐疑心と嫌悪感のみ。そのことが、魔王をホッとさせた。
「妹、か。そのような者は知らぬぞ」
「おや、魔国の王ともあろうお方が嘘はよくないですね」
魔王は別に嘘を吐いたわけではない。血の繋がりはあろうとも、彼女をジェイロの妹とは到底呼べないからだ。
しかしそんな魔王の憤りに気づかず、ジェイロは偉そうに言葉を連ねていく。
「貴方には、俺の大事な妹を誘拐した嫌疑がかかっているのです。おわかりになられていないようですが」
「は、戯言を」
優位に立っていると勘違いしていたジェイロの表情が急に引きつる。
魔王が言葉を遮ったと同時にとてつもない殺気を放ったからだ。
それでいて魔王はニィと唇の端を上げて獰猛に微笑んでいる。続けて猫なで声で言葉を続けた。
「まぁよい。たとえばお前の言うように僕が妹とやらを連れ帰っていたとしよう。……それで?」
「は……?」
「魔の森に入ったものはどんなものでも魔国のもの。僕はそのルールに従う。つまり」
殺気とともに、魔王は周囲に膨大な魔力を練り上げていく。
空は暗くなり、強風が吹き始め、雷鳴が轟いた。
魔力を感じ取れない者であっても、異常事態が起きているとわかる現象が起きており、ジェイロを含めた騎士たちはざわめいている。
「我が領地に勝手に侵入し、あまつさえ森に放火したお前たちの命も、僕のものということだ。言い訳を聞いてやる余地など、最初からない」
魔王が手のひらの上で作り上げた巨大な黒球。それが何かわからずとも、喰らえばひとたまりもないことはわかる。
デスローネクローと死霊軍団は魔王の高貴な姿に歓喜の涙を流していた。
一方、ジェイロと騎士たちは膝が震えており、戦闘態勢を整えるだけで精一杯の様子だ。
離れた場所で見ていたナーシャとハピレアピーチェは互いに身を寄せ合い、固唾を飲んで様子を見守っていた。




