16 一触即発
自室で悶えていたナーシャの下に、ハピレアピーチェが訪れた。
しばらく魔王が城を離れるため、その連絡にきてくれたのだ。
本来ならメイドに言伝を頼むところなのだが、魔王が側を離れるということでナーシャの護衛のためにも彼女を送ったのだろう。
実際、ナーシャは彼女と特に仲が良い。話している内に意気投合したのだ。
ハピレアピーチェは特別な任務を与えられてご機嫌な様子で、言わなくてもいいことまでぺらぺらと話してくれた。
「愚かな人間が魔国に宣戦布告したのよ~! あたしも行きたかったけど~、番様を守る任務もと~っても大事。あたしがナーシャ様を守ってあげま~す!」
ルンルンと楽しそうに羽を広げながら告げられたその言葉に、ナーシャは真剣な表情で問い返した。
「宣戦布告……? どういうことなの、ハピーちゃん」
両肩を掴まれながら問われたことで、ハピレアピーチェはしまった、とばかりに顔を引きつらせ、目を泳がせた。
「あ、あたしも詳しくはわかんないんですけど~。森に火が放たれたみたいで~」
「火? もしかして、お兄様が……」
「た、たぶん~?」
乾いた笑いで誤魔化すハピレアピーチェだったが、ナーシャはもはやそれどころではない。
(こんなところにまで来るなんて。私のせいよね? アルテムはお兄様をどうするつもりなのかしら)
魔の森に入ったものはすべて魔王のもの。
そのルールが今回も適応されるのだとしたら、ジェイロの運命はすべて魔王が握っているということになる。
ここで問題なのは、魔王がジェイロを捕らえるつもりなのか、殺すつもりなのかがわからないところだ。
森に火を放った以上、無傷で帰すことはしないだろう。
兄が危険だというのに、ナーシャは自分がなにも感じないことに少なからず驚いていた。
(……不思議ね。ここにいる魔族のみんなのほうが家族のように感じるからかしら)
ここでの生活が平和で幸せだからこそ、あの監禁生活にはもう戻れない。
今ならウェンデル家の者たちが自分を家族だと思っていなかったことがよくわかる。
そもそも、最後に家族を見たのは十二年も前だ。兄だって大人になっているだろうし、父も歳を取っただろう。
その程度の関係なのだ。
(いつか昔みたいに、なんて希望を抱いていたあの頃が馬鹿みたい。そんなこと、あるわけないのに)
それでも、あの時の自分にはそれしか縋れるものがなかったのだと思うと、過去の自分が憐れでならない。
かといって家族に復讐しようだとか、不幸になってもらいたいだとか思うわけではなかった。
ただ、もう二度と関わり合いにならない場所で、お互い平穏に生きていけたらそれでいいというのに。
(でも、お兄様は魔の森まで来た。やっぱり、騎士たちが来た時に私もその場にいたことがバレたんだわ。でもどうして? 今さら私に何の用があるというの?)
ナーシャにはそれがわからない。いずれにせよ、血の繋がった家族が魔王に迷惑をかけているのだ。
一人城でのほほんと待っているわけにはいかない、とナーシャは顔を上げた。
「私、魔の森に行ってくるわ」
「えっ!? ちょ、魔の森って言っても広いですよ~? それに、放火された場所は森の入り口で、ここからは結構な距離が……」
「それでもじっとしていられないもの!」
「うぅ、あたしはナーシャ様の安全を守らないといけないのに~」
本当は一人でなんて出かけられないとわかっている。
自分のような非力な人間が魔の森に一歩足を踏み入れれば、あっという間に魔物の餌食。
それはあの日、魔の森に捨てられた時に身にしみてわかっているのだ。
ナーシャは賭けに出た。
「そうなの? なら、ハピーちゃんもついてくるしかないわね。私は一人でも行くつもり。途中で魔物に襲われてしまうかもしれないけれど」
「むぅ~! ナーシャ様ったら意外と強か~」
今の自分の立場を利用することだ。良心が痛むが、背に腹は代えられない。
じっとハピレアピーチェを見続けていると、ようやく彼女はため息を吐きながら折れてくれた。
「んも~、わかりましたよ~。あたしが連れてってあげるから一人で行かないでくださ~い」
「本当? うれしい」
「そう仕向けたくせに~。それに、一人で行かせたってバレた時のほうがこわいんですぅ~」
頬を膨らませながらも了承してくれたことにナーシャは胸を撫で下ろす。
今度、彼女のためにしてあげられることがあったら必ずすると心の中で決めた。
そうと決まれば行動は早い。ハピレアピーチェは近くにいた四天王の一人を呼び止めると腰に手を当てて告げる。
「オルグバルモス、今のやり取りの証人になって~? あたし、ちゃんと止めたんだから~」
「ふがっ!」
「じゃ、留守の守りをよろしくね~」
「マカ、セロっ!!」
「えっ。オルグ、喋れたのね……?」
「すこーしだけね!」
なんでも、オーガは発音がしにくいだけで簡単な言葉なら話せるという。
こちらの言うことはきちんと理解しているのだから、言葉がわからないわけではないのだ。
初めて会った時からその大柄な身体と強面によって彼を怖がっていたナーシャだったが、四天王の中でも素直で従順なオルグバルモスがかわいく思える。
今も任せろと力こぶを作っているので思わず笑ってしまった。おかげでナーシャの緊張が少し解けた気がした。
「魔法で補助するけど~、ナーシャ様も手を離さないでくださいね~」
「わかったわ。お願い!」
「おっけ~」
ハピレアピーチェはナーシャに確認を取ると、両手を広げて大空へと飛び立つ。
彼女の足に掴まって空を移動するのは怖かったが、小脇に抱えられて猛スピードで移動されるより、自分の手で掴んでいられる分いくらかマシだ。
それに、ハピレアピーチェは安全を心がけて移動してくれている。
とはいえ、魔王城に来る前のナーシャには考えられない行動だ。
ここでの生活が心を強くしたのかもしれない。
ナーシャには怖がっている暇などないのだ。
(何を見ても、大丈夫。心を強く持たなきゃ)
現場はすぐに見つかった。火の手が上がっているのが目印となっていたことと、もう一つ。
まさしく一触即発といった雰囲気で、魔王とジェイロ、そしてデスローネクローの死霊軍団と騎士たちが睨み合っていたのだから。




