13 魔王の動揺
「魔王様。報告にきました」
「ドリエストリエか。入れ」
夜、魔王の執務室に訪れたのは四天王の一人、ドリアードのドリエストリエだ。
糸目で表情の読めない彼は実のところ誰よりも魔王に傾倒している。
昨日から魔王の指示の下、ナーシャの実家であるウェンデル家を監視していたドリエストリエは早速有力な情報を得たと報告にきたのだ。
植物さえいれば盗み聞きが容易いドリエストリエは、側近のイヴァンディアンと並ぶ優秀な諜報員でもある。
側近にばかり頼ると拗ねるため、魔王は時折ドリエストリエにも特別任務を与えるようにしているのだ。
「昨日、魔の森に侵入した不届き者ですが、どうやら殺されたようで」
「殺された? 主人にか」
「いえ、息子の奥方の指示ですねぇ。ものすごい癇癪でしたよ。役立たずだの、お前のせいで私がジェイロ様に嫌われるだの。キンキン声は聞くに堪えませんでした」
耳を塞ぎながら告げるドリエストリエはよほどその声が不快だったのだろう、嫌そうに顔を歪めている。
一方、魔王はその報告を聞いてわずかに殺気を漏らした。ドリエストリエの背筋が瞬時に伸びる。
「せっかくあの娘が生かして帰してやったというのに……」
「なんと、そうでしたか。それでしたら、ナーシャ様には知らせぬほうが良いでしょうねぇ。さぞ悲しむことでしょう」
「な、別に! 僕はあの娘が悲しもうがどうでもよい!!」
魔王の殺気に緊張を見せたドリエストリエだったが、ナーシャの名を出した途端急に焦り出す魔王の姿を見て誤魔化すように咳をした。
今の魔王は照れ隠ししているようにしか見えないからだ。
ドリエストリエはにやけそうになるのをどうにか堪えつつ、少々言い難そうに口を開く。
「あとは、その。これはきっと何かの間違いだとは思うのですが……信じがたい話を耳にしまして」
「言え」
「……公爵家の息子の使いが報告をしていました。あの面汚しが黒龍をテイムしたようだ、と。そ、そんなはず、ありませんよねぇ?」
「……」
ジェイロの使いがその情報を得たことには、魔王も気づいていた。
その後、どう出てくるか様子見してやろうと思っていたのだ。
ただ、テイムの件を配下に知られるという可能性を失念していたようで、魔王は額に手を当ててため息を吐く。
こんなことになるならば、側近のイヴァンディアンを使うべきだった、と。
「あの」
「他言するな」
「っ、ま、まさか本当なのですか!? だとしたらあの人間の娘はっ」
「き、聞け!」
これまで魔王の番だと思って敬う気持ちを抱いていただけに、裏切られたと感じたのだろう、ドリエストリエから殺気が漏れ出した。
怒る気持ちは魔王が誰よりもわかっている。
だが魔王はなぜか焦って、すぐにナーシャを擁護する発言を口にした。
「あれもわざとではなかった。事故のようなものだったのだ。誰にも非はない」
その言葉を、ドリエストリエはどう捉えていいのかわからない様子だった。
魔王がテイムされるというのは前代未聞の大事件だ。しかも人間が主人だなどと到底許せるはずもない。
だというのに当の魔王本人が許す姿勢を見せていることに、ドリエストリエは驚きを隠せなかった。
「なんだ、その顔は」
「い、いえ。魔王様なら絶対にお許しにならないと思っていたので。やはり、ナーシャ様は特別なお方なのですねぇ?」
ナーシャが特別な存在。実際、それしか考えられない状況だ。
たとえ主人を守る使命に強制力が働くとしても、特別な存在でもなければ許す気持ちなど持てるわけがない。
しかし、魔王は声を荒らげながら否定した。
「な、ななな何を言う!? あの娘が主人となってしまったのは事故だぞ! 仕方がないだけだ!」
「そう、ですか? たとえテイムされていたとしても、心までは支配されませんよ? 魔王様がナーシャ様をご心配なさるということはつまり──」
「ええい、黙れ! 心配などしてはおらぬ!」
これ以上は聞きたくなかった。魔王は半ば無理矢理ドリエストリエを部屋から追い出し、逃げ去る配下を見ながら苛立たしげに叫ぶ。
しかし、その行動は迂闊だった。
「全てはあの娘が現れたせいだ! なぜ僕があの娘を気にかけてやらねばならぬのだ──」
「ごめ、なさ……」
か細い声で聞こえてきた謝罪の言葉に視線を巡らせると、すぐ側に顔を青ざめさせたナーシャが立っていた。
「お前、聞いていたのか?」
「あの、その……っ!」
「おい、待てっ!」
ナーシャに、聞かれてしまった。彼女は真っ青になって走り去っていく。
普段なら、ドアの向こうで誰かが聞き耳を立てていたら必ず気づく。
だというのに、今は心が乱されているせいかそこまで気が回らなかったようだ。
「くそ、どこから聞いていた? 助けた者が死んだことがショックだったか? それとも今の僕の言葉で……いや、なぜそんなことが気になる。どうでもいいことではないか」
主人であるナーシャの動揺が伝わってくる。
だがそれ以外にある胸の奥で膨らむ不安は、ナーシャのものだけではない気がした。
「僕は……テイムされておかしくなってしまったのだろうか」
胸元の服をギュッと握り、魔王は自問する。
「あやつを悲しませたくないと思うのも、テイムされているせい、なのか……?」
ずっと不快だった。ナーシャの存在は魔王にとって邪魔でしかなかったはずだ。
彼女が笑っていれば心穏やかに過ごせるのはテイムのせいだろう。不安になれば身体が勝手に動いてしまうのも。
しかしいつの頃からか、それらを感じる前に自ら動くようになっていた。
勝手に身体が動くのが癪で、前もって回避していただけだったはずなのに……なぜ忌々しい存在であるはずの彼女に、
──嫌われたくない。
そんな感情を抱いてしまうのだろうか。
「心までは支配されない、だったか。ならば僕はどうして……」
今ではナーシャが幸せでないのが許せない。
魔王は自身の感情の変化に誰よりも戸惑っていた。




