12 救いの手と監視の目
魔王は、ナーシャの境遇が思っていた以上に酷いものだったことに少々動揺していた。
発見時にボロボロだったこと、夜の魔の森に人間の娘が一人でいたこと。
訳ありだとは思っていたが、まさか公爵家の娘でありながら、いないものとして扱われていたとは思いもよらなかった。
イヴァンディアンの調査によると、ナーシャが暮らしていたのは外から鍵のかけられる半地下の部屋だというではないか。
(もはや牢と変わらぬ。だからあんなにも窓のある部屋に喜んでいたのか)
自分を勝手にテイムした忌々しい小娘の境遇などどうでもよいはずなのに、苛立ちが魔王を襲う。
今も無意識にナーシャのことを考えながら彼女の下に向かっている。その事実がさらに癪に障った。
途中、廊下でイヴァンディアンから声がかけられた。
「主君、魔の森に近づく人間がおります。公爵家の騎士かと」
「ふん、見つかりもしない死体を探しにか」
「ええ。いかがされますか?」
吸血鬼のイヴァンディアンは、使いのコウモリを通じてジェイロの様子を見聞きしていた。
つまり、あちらの出方は全てお見通しというわけだ。
「魔の森に入ったものは全て僕のものだ」
魔王が獰猛に笑った時、背後からハッと息を呑む気配を感じる。
その存在に最初から気づいていた魔王は特に驚くこともなく振り返ると、予想通りの人物が柱の影から姿を現わした。
「どういうことですか? 公爵家って……うちのこと、ですよね?」
あえてナーシャに聞こえるように話をしたのは、彼女の出方を窺うためだ。
声をかけられなければこのまま彼女に会いに行くこともせず、知らぬふりして森へ向かうつもりだった。
(逃げると思っていたが、声までかけてくるとは)
予想とは違うナーシャの行動に少しだけ感心しながら、魔王は目を細める。
「不届き者が魔の森に侵入しようとしている。僕が対応に向かうのは当然のことだ。何か問題でもあるというのか」
「いえ。やっぱり私のことを調べていたのですね。でも、当たり前、ですよね……」
ナーシャはどこか諦めたように一度目を伏せると、すぐに顔を上げた。
その表情は、覚悟を決めたかのように見える。
「私の家のことです。一緒に連れて行ってください」
「なっ」
意外な返答に、魔王は目を見開く。
あれだけの目に遭っていたのだから、ナーシャは公爵家から逃げたいはずだと思い込んでいたのだ。
それこそ、テイムされているのだから命じられれば公爵家を抹消することだって簡単だ。
少なくとも追い返してほしい、くらいは言うのかと思っていた。
(まさか行きたいと言うとはな……)
魔王は本能的に主人であるナーシャを危険な場所に近づかせたくはない。
難色を示す魔王に気づいたのか、ナーシャは絶対に断れない一手を打った。
「お願い。……アルテム」
「ぐっ、お前! 名を呼ぶなと言っただろうが!」
名を呼ばれてしまっては従わずにはいられない。
魔王は怒鳴ったが、ナーシャは震えながらも力強い眼差しで見返してくる。
(テイムしているとはいえ、この威圧に耐えるか)
弱いだけの人間だと思っていたが、意外と肝の据わった娘であるらしい。
魔王は僅かに口角を上げると、わかったと告げた。
「……隠れて様子を見るだけだぞ」
「っ、ありがとう!」
嬉しそうに笑うナーシャを見て、魔王はグッと言葉に詰まる。
彼女の嬉しい感情が伝わってきただけではない、なぜか心臓を鷲掴みにされたような感覚を覚えたのだ。
(なんだ、これは? またあの妙な気分だ)
魔王は奇妙な感覚を無視し、ナーシャの護衛として四天王のハピレアピーチェについてくるよう指示を出した。
◇
魔の森の上空に、大きな黒いドラゴンが滞空している。
公爵家の騎士が二人、圧倒的強者の存在に恐れおののき、口を開けて硬直していた。
騎士たちがドラゴンに気を取られている内に、ナーシャはハピレアピーチェとともに一足先に地面に降りて、木の陰に隠れる。
その間にドラゴンはゆっくりと降下すると、わざとらしくドシンと地響きを鳴らしながら地面に足を着けた。
「この森になんの用だ。今すぐ答えろ!」
「ひぃっ、あ、あのっ、この辺りに少女の遺体はありませんでしたでしょうか……っ!?」
「ない。用件はそれだけか」
「そ、そんなはずは……あ、あのっ、それでは銀髪の少女に、こ、心当たりはありませんでしょうかっ」
騎士も必死なのだろう、恐怖に足を震わせながらも質問を続けてくる。意外と根性はあるようだ。
「ない! 其方ら、ここに足を踏み入れたという意味を知らぬわけではあるまいな?」
「ひぃっ! す、すぐに立ち去りますのでっ」
「ならぬ。その命、置いていけ!!」
魔王は、この人間たちがナーシャに危害を加えていたのだと思うと怒りが抑えられなかった。今すぐに消し炭にしたかった。
しかし。
「だ、だめっ! アルテム、やめて!」
「ぐっ」
隠れていると約束したはずのナーシャが騎士の前に飛び出し、両腕を広げて立ちはだかった。
「この人は私を逃がしてくれたの。だから殺さないで!」
「ナ、ナーシャ、様? 生きて……?」
「貴方たちはなにも見なかった。私はもう二度とそちら側には行かないと約束するから……!」
暗に見逃してくれとナーシャが言うと、背後の騎士たちは暫し黙り込む。
「っ、我々は、ナーシャ様の亡骸を持ち帰るようにと命じられました。なので……獣の骨でも持って帰って偽装します!」
「お前っ、そんな勝手な」
「うるさい! せっかく生きていらしたのに……もうこの方を苦しめるようなことはしたくない!」
騎士はナーシャに深々と頭を下げると、もう一人の騎士を引きずるようにしながら馬に乗って去っていった。
一方、隠れて一部始終を見ていたジェイロの使いがナーシャを驚愕の眼差しで見つめている。
「まさか……黒龍をテイムしたのか?」
使いが慌ててその場を去っていくのを、魔王は視界の端で捉えていた。




