11 冷酷な小大公
ウェンデル家がナーシャの不在に気づいたのは、彼女が魔の森へと連れて行かれてから半月以上が過ぎた頃のことだった。
普段からナーシャに対して興味を失っていた家族はもちろん、使用人も誰一人気づかなかったのだ。
食事係が日替わりで交代していたのも、気づくのが遅れた原因だろう。
さすがに長く食事に手をつけていないのはおかしいと気づいた時には、すでに十日ほど過ぎていたというわけだ。
知っていたのは、ミラベルとその護衛騎士たちのみ。
「なぜそんな大事なことをずっと黙っていた?」
「お伝えしようと思いましたわ! 何度もお時間を作ってほしいと申し上げておりましたでしょう。忙しいからと断り続けていたのはジェイロ様ですわっ」
「ちっ」
ジェイロはミラベルを問い質したが、本来の末っ子王女の気質が出てきたのか彼女は頬を膨らませて反論してくる。
愛らしい姿に周囲の者は頬を染めるも、ジェイロはそんな感情など微塵も抱かず苛立ちだけが募った。
とはいえ、たしかにここ最近は鬱陶しいくらいにミラベルから時間を取って欲しいという要望があった。
どうせいつものことだろうと相手にしなかったのはジェイロの失態ではある。
(そういう日頃の行いが俺に勘違いをさせたのだ。寂しいだのなんだの……感情論で物事を考える無能な妻を持つと苦労する)
ジェイロは軽く鼻を鳴らすと、努めて冷静に質問を口にした。
「ふん……それで? ナーシャの亡骸はどうした」
「え?」
「まさか、持ち帰っていないのか? 万が一、ナーシャが生き延びていたらどうする」
「そ、そんなはずありませんわ! 騎士には魔の森の木に縛り付けるように命じましたもの。あっという間に魔物の餌食になったに違いありません!」
「騎士はそれを確認したのか?」
ジェイロの質問にミラベルは焦ったように護衛騎士を振り返る。騎士は顔を真っ青にしながら目を逸らした。
「ま、まさか確認を怠りましたの!? なんて使えない……怠慢ですわ!」
憤慨するミラベルに対し、ジェイロは視線だけを騎士に向けて威圧的に睨みつけた。
その後すぐさまミラベルを見下ろすと、彼女はびくりと肩を揺らす。
「父上も、もしナーシャが逃げたというのなら確実に殺せとおっしゃっている。ウェンデル家の汚点を野放しにするくらいなら必要はないと。目の前にあいつの首がない限り許さない、とも」
淡々とした低い声が、怒鳴っているわけでもないのに妙に室内に響いた。
視線だけで周囲を黙らせるジェイロの姿は、大公にそっくりだ。
ウェンデル大公は現在、病に伏している。年々体力が衰え、長男であり小大公のジェイロが大公となる日も近いと噂されていた。
息子のジェイロが大公となる条件は父が亡くなるか、彼に息子が生まれるかのどちらかだからだ。
子が生まれる可能性が低い今、現大公が亡くなるほうがはやいのではという不謹慎な噂が囁かれている。
しかし病に倒れていても父の威厳は損なわれていない。彼と対面した者ならばまだまだ健在だということがわかるだろう。
ジェイロ自身、現状に不服はない。
いずれその時が来ることはわかっており、覚悟は決めているが急いでその座に就こうとまでは思っていなかった。
それはジェイロが自分にも他者にも厳しい性格ゆえであろう。
ジェイロの基準は全て父だ。彼に認められてこそ自身も胸を張って大公を継げると考えている。
そのため父が疎んでいる面汚しの妹を心底憎んでおり、おそらく父以上にナーシャの死をこの目で確認したいと思っているのだ。
ミラベルがナーシャの件をいつまでも黙っていた件について、腹立たしい気持ちはそう簡単に収まるものではない。
(だいたい、時間が取れないのなら話の概要くらいまとめて使用人に伝えさせればよかったのだ。どうせ俺に直接会えるチャンスを逃したくないがためにあえて黙っていたのだろう。……なんと浅ましい)
ジェイロの怒りの矛先は、ミラベルに向かった。
しかし当の彼女はそんなこととは露知らず、ここぞとばかりにジェイロの腕にしがみつき、しなだれかかってくる。
「ジェイロ様、あの子が生きているわけありませんわ。たとえ生きていたとして、あんな無力な面汚しに何ができますの?」
「どんな羽虫でも復讐の芽は徹底的に潰す。我が妻はそんなこともわからないのか」
ジェイロはしがみついていたミラベルを突き飛ばすと、あっという間に彼女を炎で取り囲んだ。
彼のギフト「炎使い」の能力は、温度も燃やす対象も自由自在に操ることができる。
今ミラベルを取り囲む炎は熱だけを感じるものとなっており、実際に燃えることはないがかなりの熱さと恐怖を感じることだろう。
「いやぁっ! ごめんなさい、ごめんなさいっ! すぐ、すぐに確認させますわ!」
「もし見つからなかったら……わかっているな?」
「絶対に見つけますわ!」
ミラベルの悲鳴が響き、うるさそうに顔を歪めたジェイロはパッと炎を消すと彼女を見下ろしながら告げた。
「ひと月だけ待ってやる」
「わ、わかりましたわ……」
震える身体を自ら抱きしめるようにして、ミラベルは逃げるように部屋を出る。
「今すぐ魔の森へ向かうのよ! 必ずナーシャの亡骸を持ってきて! 失敗したらただじゃおかないから!」
護衛騎士に向かって叫ぶミラベルの声は、扉が閉まった後もジェイロの耳に届く。
ジェイロは、妻ミラベルのことを全く信用していなかった。
「……影」
「はっ」
扉を見つめながらジェイロが呼ぶと、公爵家の密偵がどこからともなく現れる。
「あの女がうまくやるとは思えん。見張って報告しろ」
「はっ!」
音もなく姿を消した影を目で追うこともなく、ジェイロは何ごともなかったかのように執務机へと向かった。
(面汚しめ……やはりさっさと殺しておけばよかった)
ぎりっと歯を食いしばり、拳で机を思いきり叩く。
どことなく感じる嫌な予感が、ジェイロをいつも以上に冷酷にさせていた。




