10 勘違いによる祝福
魔王は、ナーシャの複雑な感情を常に感じ取っていた。
とはいえ正確にわかるわけではなく、幸せな感情の中にある諦念をなんとなく察知している程度だ。
魔王には人の感情というものがよくわからない。
だからこそ完全に幸せとは呼べないナーシャの、中途半端で煮え切らない感情に振り回され苛立ちを感じるのだ。
相変わらず彼女に対して怒ったような態度を取るのもそのためだった。
親切にしなければ、守らなければという思いが日に日に膨らんでいくのも、ナーシャが時々やけに魅力的に見えるのも。
(すべてテイムのせいだ。くそ、最近の僕はどうかしている……!)
しかしそんな魔王の心情など露知らず、四天王たちほうから歓喜の声が響き渡った。
「魔王様~! ついに番が見つかったのですね~!?」
「ふがっ!」
「ああっ、よかった。このまま生涯、魔王様のお心が癒されることはないのかと心配しておりました」
「相手が人間だということには驚きでありますが、恋は落ちるものと言いますからな! 我々は応援いたしますぞ!」
「ふごぉぉぉっ!!」
四天王が感激しながら口々に喜びを告げてくる。オーガのオルグバルモスはもはや号泣しており、耳が痛いほどだ。
魔王は一瞬、呆気に取られていたが、すぐ我に返ると彼らの言葉を思い切り否定した。
「なっ、何を勘違いしている! 僕はこんな人間のことなど……」
「魔王様の新たな一面を見られて本当に嬉しい~……ず~っと心配していたんですよぉ~?」
「これで魔国の者たちにも、魔王様が本当は愛に溢れたお方だとわかってもらえます!」
「我らが偉大なる魔王様に足りないものは親しみやすさだけでしたからな! これで国民も安心するというもの!」
「ふがぁぁ!」
しかし彼らの耳に魔王の言葉は聞こえていない。
というより、敬愛する魔王様にやっと番ができた、という朗報を前に喜びすぎて何も耳に入らない状態のようだ。
ずっと側近や四天王から、番は見つからないのか、伴侶を側に置いてはどうかと懇願され続けていたが、魔王は頑として断り続けていた。
番や伴侶の存在は、怒りっぽい魔王の精神安定のためにも必要な存在。
彼らが大げさなほどに喜んでいるのは悲願が叶ったからだった。
魔王としてもほんの僅かに悪かったという気持ちがないでもない。
そう思うと、悪気なく喜ぶ配下たちの気持ちをバッサリ切るのが少しだけ躊躇われた。
なにより自身を敬ってくれる彼らのことは、魔王もそれなりに大切に思ってはいるのだ。
罰する時は容赦しないが、何かしでかしたわけでもない配下たちに対して無暗に圧力をかけることはできない。
結果、魔王にできるのは悪態を吐くことくらいだった。
「ああ、くそっ」
「あ、あの。なんというか、ごめんなさい……」
「謝られたってどうにもならぬ。少しでも悪いと思うのならば、すぐにでもテイムを解除する方法を考えるんだな」
「っ、そう、ですよね……」
近くにいたこの状況の原因でもあるナーシャが隣で謝罪してくるが、そんなことくらいでどうにかなるものではない。
苛立ちも露わにすげなく告げると、落ち込んだように項垂れるナーシャが視界に入り、魔王はバツの悪そうな顔を浮かべた。
ナーシャの罪悪感はテイムしたことだけではないのだが、彼女が本気で申し訳ないと思っていることだけは、魔王にも伝わっている。
思えば、テイムしたからといってナーシャが何かを命じてくることは今のところ一度もない。
それどころか、彼女はできるだけ迷惑にならないようにと気を配ってくれていた。
(人間とは強欲な生き物だと思っていたのだが。この僕を自由に動かせる立場だというのに、利用する気配が微塵もないとは)
テイムされたあの日から荒れていた魔王だったが、冷静になってみればこの娘にとっても想定外だったのだとわかる。
顔見知りがいないどころか、人間にとっては魔族たちの中で生活するだけでも恐ろしかっただろうに、文句の一つも聞いたことがなかった。
ここへきて魔王はようやく、ナーシャに対する気づかいの気持ちがわずかに芽生えた。
「いや、どうにもならぬのはお前とて同じだな。……あれは事故だったのだ。そもそも、無力なお前を脅かそうとしたのは僕のほうで、返り討ちにあったのだから自業自得というもの。八つ当たりをした。気に病むな」
「え」
それは、魔王の精一杯の謝罪だった。
自分たちは現在、運命共同体とも言える。この状況をなんとかするには協力し合わねばならないのだ。
そもそも主人はナーシャなのだから、解除方法がわかったとしても彼女が動いてくれない限りはそれも叶わないだろう。
自分のためにも魔王は改めてナーシャに対する態度を改めようと、歩み寄ろうとしているのだ。
しかしナーシャの目は戸惑いに揺れているように見える。
それに先ほどよりも強く罪悪感を覚えているのが伝わってきた。
(なぜそんなにも自分を責めるのだ? やはりこの娘には謎が多い)
魔王が訝しげにナーシャを見下ろした時、側近のイヴァンディアンがバサッと翼を広げて空から舞い降りてきた。
「主君、報告がございます」
「む。聞こう」
「……例の件ですので、ここでは少々」
イヴァンディアンがちらっとナーシャのほうに視線を向けたことで、魔王はすぐに得心がいったように頷く。
「執務室に向かう」
「御意」
魔王はナーシャを一瞥し、すぐに目を逸らして背を向けた。
(ようやく娘の素性調査が終わったか。さすがに本人の前で聞くわけにもいくまい。さて、お前は一体どのように生きてきて、なぜあの森に一人でいたのだろうな?)
ひとまず四天王や使用人たちの誤解はそのままに、魔王はイヴァンディアンを伴って執務室へと向かう。
「これがテイムの解除の手掛かりになればよいのだが」
去り際に見たナーシャが、どこか不安そうな眼差しで魔王を見つめていたことに気づかぬフリをして。




