1 公爵家の面汚しと呼ばれる娘
ナーシャは元来、好奇心旺盛な明るい子どもであった。
そんな彼女はかれこれもう十二年もの間、薄暗い半地下の部屋で暮らしている。
この部屋に連れてこられて最初の一年は家族が時々顔を見にきたが、今では使用人が決まった時間に食事を運んでくる程度。
『必要最低限のマナーと知識は身につけておけ』
そう言われてたくさんの本を貰ってはいたが、数年前からそれもパタリと止まった。
今ここにある本はもはや時代遅れのものもあったが、ナーシャが知識を得られる貴重なものだ。
薄暗い半地下の部屋で、ナーシャは何度も本を読み込んで勉強を繰り返す日々を送った。
唯一、光源がもたらされる天井付近の鉄格子。
それも日の光が射すのは晴れた日の夕方だけ。
朝起きて、食事をし、本を読み、眠る。
ただ生かされているだけの人生だ。
公爵家の娘であるナーシャがこうして監禁生活を強いられているのには訳があった。
五歳になると誰もが受ける神からギフトを授かる儀式。
ナーシャにはたくさんの期待が集まっていた。
ウェンデル公爵家は優秀な血筋で先祖代々、攻撃魔法や空間魔法などあらゆる魔法に関するギフトを授かってきた。
そのおかげで公爵家の地位は確固たるものとなり、王家の次に力を持つ家として君臨し続けている。
周囲の者たちには幼い頃から素晴らしいギフトを授かるでしょうと言われ続けて育ったナーシャは、ワクワクした気持ちで儀式に臨んだ。
しかし。
『ナ、ナーシャ様が授かったギフトは……テイマーです』
テイマーとは、獣や魔物を使役するという、貴族の間ではあまり良い印象のない能力だった。
それだけではない。
『それも、生涯でただ一体のみマモノをテイムできる、という……制限付きです』
目をキラキラさせて話を聞いていたナーシャとは裏腹に、周囲はざわめき、一気に雰囲気が悪くなっていく。
ただでさえ、印象の悪いテイマーというギフトだというのに、まさか制限付きとは、と。
ほとんどの者はギフトに制限などつかない。
しかし稀に使用制限がつくギフトを贈られる者が存在する。
そうした制限付きは神から愛されていないとされ、人々から忌み嫌われるのだ。
『お父さま? お兄さま……?』
周囲の不穏な雰囲気を察知し、徐々に不安になった幼いナーシャは、震える手を彼らに伸ばした。
しかしその小さな手は、無情にも払いのけられる。
無慈悲で冷酷な言葉の刃とともに。
『このっ、公爵家の面汚しめ……! ウェンデル家から制限付きが現れるなど……!』
十二年経った今も、ナーシャはあの時の家族の恐ろしい顔を思い出すと身体が震える。
あの日、ナーシャは命を落とすところだった。
たとえ制限付きでもウェンデル公爵家の娘というだけで多少の価値はあり、いずれ政略結婚させるための道具にもなる。
ナーシャは、すんでのところで生かされたのだ。
(そうは言っても、自国はもちろん周辺諸国の貴族は誰も制限付きと結婚したいなんて思わないわ)
このままここで一生を終えるのかもしれないという恐怖は、常にナーシャの心を蝕む。
(せっかく神様が与えてくださったギフトだもの。制限付きでも私は嬉しかったのに。でも……使うことなく人生を終えてしまうのかしら)
ナーシャは、そのことがなによりも悔しく、悲しかった。
生涯にたった一体だけでもマモノをテイムできるなら、そのマモノだけは自分の味方になってくれるということだ。
周囲に敵しかいないナーシャにとって、マモノとはいえテイムすれば唯一の友達になり得る。
自分の指示に従うマモノではなく、ナーシャはただ味方になってくれる友達がほしいだけだった。
(諦めたくないわ)
あの日のことを思い出し、何度も何度も心が折れかけたナーシャだったが、いつか会えるかもしれないテイムしたマモノを思って心を奮い立たせてきた。
それにたくさんある本の中のどこかに「人生とは最期まで何があるかわからない」と書いてあったのだ。
もしかしたらいつかこの部屋から出て生活をする日が来るかもしれない。
どこかでマモノと運命的な出会いをはたし、テイムできるかもしれない。
誰かが自分を連れ出して、自由で幸せな日々を送れるかもしれない。
……家族が、やはりナーシャのことが大事だと迎えにきてくれるかもしれない。
それらはただの願望で、儚い夢だとナーシャもわかっている。
それでも希望を抱くのは、自分に生まれた意味などないと考えてしまうよりずっといいからだった。
(そろそろいい時間ね)
いつも同じ時間に運ばれてくる質素な食事を終え、食事係が立ち去った室内は夜の静寂に包まれた。
これから朝の食事の時間まで誰かが来ることはない。
ナーシャは食事係の足音が遠く聞こえなくなるのを待った後、勉強机にたくさんの本を積み重ねていく。
少しばかり本を踏み台にすることに対して心は痛むが、背に腹はかえられなかった。
十二年の監禁生活のせいで同じ年頃の娘よりも小柄なナーシャは、机に乗っても鉄格子には手も届かない。
しかし、たくさんの本を階段状に積み重ね、その上に乗れば簡単に手が届くのだ。
「さ、今日も気分転換をしに行くわよ」
ナーシャは小声でそう言うと、本に乗って鉄格子に手を伸ばし、その内の一本をできるだけ音が鳴らないように慎重に外した。それから鉄格子の隙間に身体を滑り込ませ、外に這い出て行く。
やせ細ったナーシャだからできることだった。
外は雑草だらけで人気がなく、夜は真っ暗だ。
ここは普段から手入れのされていない裏庭で、公爵家の者はもちろん使用人たちでさえ滅多に寄り付かない。
ナーシャは雑草だらけの裏庭に裸足で立ち上がると、うんと両腕を上げて伸びをした。
数年前からの、秘密の時間。
束の間の自由、いわゆる脱走である。