18. 憎悪の瞳
黒いセダンのそばに、大衣とボーラーハットを身に着けた三人の特務がもたれ、茂る灌木に囲まれていた。彼らは別荘の前で、誰かが現れるのを待っていた。
「うん、M252迫撃砲300門、XM5突撃ライフル1000丁、来週月曜の納品でいいか?了解、ありがとう」と松実眞一が携帯で話していた。彼は当時若く、白い髭もなく、顔に今のような渋さはなかった。
「松実、羨ましいな、美女と電話だなんて」と佐伯洋右が煙を吐き、冗談めかして。洋右は200斤近い巨漢だった。
「何が羨ましい、仕事の話だ」と松実は淡々と。
「なんで組織は俺に交渉させないんだ?彼女に会ったことある?」と洋右は好奇心で。
「一度、武器の受け渡しで会った」と松実。
「噂通り美人?組織じゃ、アイドル福喜多寧音に似てるって噂だ、本当か?」と洋右は猥瑣な笑みを浮かべた。
「福喜多寧音?知らん。詮索するな」と松実は眉をひそめた。
「じゃ、美人だと思う?」と洋右は諦めず。
「まあ、悪くない」と松実は適当に。
「やっぱり噂は本当だ!お前の目は確かだ。彼女を口説けたら…」と洋右。
「仕事中にマジメになれ。この仕事じゃ、恋愛なんて夢のまた夢。生きてりゃ上等だ」と久森智啓が厳しく遮った。彼は顔に弾痕の傷を持つ男だった。
「こいつの目には仕事しかない。自分の人生を生きたくねえのか?」と洋右は不満げに。
「組織に入った瞬間から、俺の人生は組織のために死ぬと決めた」と智啓は冷たく。別荘の方を一瞥し、「来た、客を迎える準備を」と低く。
別荘の門がゆっくり開き、綾香夫妻が怯えた顔で出てきた。
「綾香中尉、やっと来た」と洋右はニヤリ。
当時、日本内戦は1年半続き、復興党叛軍は東京都進攻を準備し、民主政府は京都に遷都、叛軍は南進を計画していた。
利美の父、綾香芳晴は東京都戦役で捕虜に。復興党は全財産の没収と降伏で命を保証し、彼と妻の原木佳歩に安定した公務員職を約束。だが、復興党の欲はそれに留まらず、芳晴が無力な隙に特務三人を送り、叛軍への参加と戦闘協力を強要した。
軍人である芳晴は屈辱を許さず、戦友を裏切る降伏を拒否。その代償は過酷だった。
「パン!パン!」と二発の銃声、松実は躊躇なく引き金を引き、子弾が綾香夫妻の頭を正確に撃ち抜き、二人を血の海に倒した。松実の目は憐れみも感情も無く、殺人は日常だった。
「家にまだ誰かいるか見に行く」と松実は淡々と、別荘に入った。
「さっきまで楽しく話してたのに、別人みたいだな」と洋右は松実の背中を見、夫妻の遺体に目を落とし、「可哀想に。素直に東京占領に行けば、生きて帰れたかも」と呟いた。
松実は別荘に入り、1階ホールは無人。2階に進み、冷静さを保ち、書斎のドアを開けた。
10歳の利美が振り返り、松実を見た。彼女は虚ろな目で窓から両親の遺体を眺めていたが、殺親の仇を見て、鋭い視線が無数の針のように松実を刺した。
松実は初めて子の憎悪の目に不安を感じ、思わず銃を背に隠した。過去の殺戮、壊れた家庭が脳裏に浮かび、麻痺した心が「良心」の痛みに揺れた。
「松実、家に誰かいるか?いなけりゃ早く行こう!」と洋右が下から叫んだ。
松実は我に返り、利美の憎む目を見て、「うん、誰もいない」と洋右に嘘をついた。
「じゃ、早く降りてこい!政府が家を接収しに来るぞ!」と洋右。
「了解!」と松実は答え、利美に「早くここから逃げろ」と言い、ドアを閉めて去った。
松実は別荘を出、洋右と智啓が夫妻の遺体を荷物のようにトランクに詰めるのを見、敬意の欠片もない姿に複雑な思いを抱いた。利美の憎悪の目が脳裏に焼き付き、感情が揺れた。
「何ボーっとしてる?乗れよ!」と洋右は苛立ち。
遺体を片付け、智啓がエンジンをかけ、本部へ。謎の女が林に潜み、三人の動きを鷹の目で見ていた。彼らが去ると、彼女は別荘に入り、2階のドアを開け、利美を連れ去った。
道中、松実は黙り、顔は暗く、感情が収まらなかった。
「松実、なんでボーっとしてる?」と洋右が不満げに。
「いや…疲れただけ」と松実は不安を隠した。
「この仕事は常に警戒しろ。感情で判断を誤るな」と洋右。
「分かった…」と松実。
運転中の智啓が突然、「綾香中尉に子はいなかったか?」と。
松実は一瞬固まり、「いや、別荘に他は見つからなかった」と。
「そうか…」と智啓は考えながら運転。松実は深い思索に沈み、葛藤が強まった。
「今回の標的は政務官高繁洋太一家。遺体は持ち帰れ」と長官が松実、洋右、智啓に命じた。
深夜、静かな町に三人。無人の通りで高繁一家を見つけ、目隠しし、麻縄で手を縛った。
「家族を助けてくれ!俺だけ殺せ、妻と子は無関係だ!」と洋太は跪いて懇願。
「黙れ!町を起こしたら皆殺しだ」と智啓は脅した。
松実は銃を抜く準備だったが、目隠しの洋太の子女を見て、利美の目が浮かび、激しい頭痛が。引き金を引けなかった。
「準備しろ」と智啓が銃を装填。
「待て!」と松実が止め、二人に怪訝な目で。「ここで撃つと町民が気づく。後山の川辺で処刑する。血痕も処理しやすい」と松実。
「じゃ、俺も行く」と洋右。
「いや、ここで監視しろ。後山への道を塞げ」と松実。
「遺体は忘れずにな」と智啓。
「うん」と松実は偽り、跪く洋太を引き、「立て、前へ!」と命じた。
高繁一家は震えながら車に乗り、後山へ。
「アイツ、いつも慎重だな」と洋右。
智啓は車を凝視。松実の行動に単なる慎重以上の意図を感じた。
「家族を…」と洋太は道中、懇願を繰り返した。
「降りろ、前へ」と松実は後山で冷たく命じ。一家は震えながら森へ。
小川に着き、松実は洋太を蹴り倒し、悲鳴が。
「愛する人!」
「パパ、大丈夫?」
目隠しで状況が見えず、妻と子は叫んだ。
「全員黙れ!」と松実は雷鳴の声で静寂させた。
洋太を冷たく見、「選択肢をやる。一、妻と子を殺し、お前を生かす。二、お前を殺し、妻と子を生かす。選べ」と。
洋太は即座に「二!妻と子を…」と。
松実は頷き、満足そうに。「よし、叶えてやる」と。
銃を装填し、洋太の後頭部に銃口を。冷たい金属が死の脅威を伝えた。
「パパ!」
「愛する人!」
銃の音に妻と子は泣き叫び、声が山に響いた。だが、洋太は穏やかで、口元に笑み。「洋次、昌子、杏奈、来世で」と運命を受け入れた。
妻と子が泣く中、松実は引き金を引かず。突然、縄を切る音。洋太の目隠しが落ち、縄が解けた。松実は妻と子も解放した。
「あっちへ逃げろ、山の反対側だ。遠くまで走れ」と松実は急かした。
洋太は呆然。「なぜ…」と。
「正しい選択をしたからだ」と松実は意味深く。
洋太は90度のお辞儀。「心から感謝します」と妻と子を連れ、指示の方向へ逃げた。
松実は彼らの背を見送り、「なぜ心軟らかくなった…」と呟いた。
銃を上げ、空に4発。処刑の偽装音。真実は彼が隠した。
「もし一を選んだら、どうした?」と背後から低い女声。
「誰だ!」と松実は振り返り、林に立つ謎の女を銃で。月光が遮られ、顔は見えなかった。
「なぜ逃がした?上層部に知られれば重罪だ」と女は静かだが圧迫感。
「お前に関係ない」と松実は冷たく。
「毎夜の夢のせいか?」と女の声は心を突いた。
「夢」の言葉に松実は雷に打たれ、息が荒く、目が揺れた。
「何者だ?何を知ってる?」と松実は歯を食いしばり。
「子連れの家庭を見るたび、あの子の両親を殺したことを思い出す。自責が苦しめる」と女の声は洞察力に満ち。
「もう言うな…」と松実は震え、利美の憎悪の目が浮かび、手が銃を握れず震えた。
女は木陰から出て、月光が三十代の細身の女の顔を照らし、目は堅く深遠。
「私が助けられる」と女は確信。
「彼女の両親は生き返らない。神でも助けられない」と松実は苦笑、絶望を滲ませ。
「だが、同じ悲劇を防げる」と女の言葉は光のよう。
松実は黙り、彼女の意を理解。暴行を終わらせろと。
「自解党の指導者、野島郁美だ。党員千人超は金岩武一郎と復興党の迫害か、暴行に耐えかねて反抗した。お前の経験は、ファシストを祭り上げた結果、暴行の道具にされたからだ。罪を贖え、暴君を倒し、日本に民主と自由を取り戻せ」と郁美は誠実で、目が輝いた。
「そんな話は聞き飽きた。屠龍者は龍になる。権力の誘惑は強すぎる。俺には遅すぎる。他を当たれ、密告はしない」と松実は低く疲れた。
「我々は民のために闘うと証明する」と郁美は堅く、木陰に消えた。
松実は明るい三日月を見上げ、ため息。心の重さは消えなかった。
松実は下山し、洋右と智啓と合流。車を停め、洋右がトランクを開け、空っぽに驚いた。
「人どこだ?遺体は?」と洋右は焦り、智啓は冷静で、予期していたよう。
「小川で処刑したが、遺体が流れに落ち、激流で止められず流された」と松実は悔しげに。
「そんなミス!終わった!」と洋右は頭を抱え絶望。
「俺の提案とミスだ。上層部に認め、君たちを巻き込まない」と松実は堅く。
「まず本部に戻り、長官に報告。遺体捜索を頼む。他人にバレたら面倒だ」と洋右は車に。
智啓は乗る前、「お前のやり方じゃねえな」と意味深く、運転席に。
松実は全責任を負い、情報局長は洋右と智啓を罰さず。二人を帰し、局長は松実と一対一。
「今回の失態を謝罪します」と松実はお辞儀。
局長は無視し、「捜索隊が川を調べたが、遺体は見つからなかった。何を意味する?」と刺す口調。
「誰かが遺体を運んだか」と松実。
「本気でそう思うか?」と局長の言葉は鋭く、松実は黙り、雰囲気が重く。
「感情に流されるな。特務に憐れみは禁物だ。まだ引き返せる」と局長。
「どんな処罰も受けます」と松実。
「処罰は不要。しばらく任務を休め、感情を整えろ」と局長。
松実は黙り、「長期休暇を申請したい」と。
「ん?」と局長は怪訝。
松実は辞職書を出し、局長に。
「理由は?」と局長は静か。
松実は深呼吸、「正直、特務の志を失った。最初は国の害虫を除き、文明社会を築くためだった。だが、何年も殺し続け、心が麻痺。罪の有無も分からず、子は無垢だ。もう奈落に落ちたくない。解放の時だ」と。
局長は10秒黙り、指を組み、松実を無表情で見つめた。
「分かった。明日、機密保持契約を結び、離職手続き後、去れ」と局長。
松実は90度のお辞儀をし、局長のオフィスを去った。
その後、松実は宇都宮の深山に引っ越し、木々に囲まれ、静かな小木屋を建て、川の前で釣りを楽しみ、悠々自適の隠居生活を送った。
今日、松実は川で大きな鏡鯉を釣った。魚は針で暴れ、松実は疲れるまで見つめ、桶に入れた。
黄昏、収穫を提げて帰路。鳥のさえずりと風に癒されたが、木屋近くで鳥が急に飛び散り、脅威を感じ、警戒した。
桶を置き、ドアを慎重に開け、屋内を確かめた。異常なしで踏み込むと、角に潜む特務が発砲。松実は素早くしゃがみ、2発目を撃つ前に肘で顎を打ち、銃を奪い、即射殺。
客間で二人の特務が援護に来た。松実は倒した特務の遺体を盾に、敵の弾を受け、弾切れの隙に二人を頭部に正確に撃ち抜いた。
客間を片付け、警戒しつつ他の部屋を。キッチンは異常なし。寝室は静かだが、クローゼット前の床に葉が。潔癖な彼にはあり得ず、葉を拾い、去るふり。
クローゼットから特務が飛び出し、松実の銃口に。一発で仕留めた。全員片付け、窓外で葉を踏む急な足音。
松実は外に出、視線を走らせ、川辺に逃げる太った影。「洋右」と呼び止めた。
洋右は緊張で振り返り、まさしく彼だった。
「組織の標的がお前とは知らなかった。殺す気はなかった、許してくれ…」と洋右は跪き、涙を流し、子のように。
松実は近づき、洋右を立たせ、「組織は何人送った?」と冷たく。
「6人」と洋右は目を泳がせ。
松実は眉をひそめ、「4人殺した。お前以外にあと1人。こうしよう。組織に俺を殺したと報告しろ。残りの1人は俺が始末する」と。
洋右は固まり、「残りは…智啓だ」と。
「パン!」と銃声、松実は肩に被弾、身体が震えた。振り返ると、川の対岸に智啓が無表情で銃を構えていた。
「なぜ…」と松実は信じられず、洋右も呆然、10年の友情の裏切りに。
松実は意識を失い、急流に倒れた。
「まずい!遺体を持ち帰らねば!」と智啓は叫び、川に飛び込む準備。
だが、急流は松実を瞬時に飲み込み、消えた。
「なぜ止めなかった?」と智啓は洋右を非難。洋右は呆然で動けず。
「もういい。本部に連絡し、川を封鎖しろ。すぐには目覚めない」と智啓は急ぎ携帯で連絡。
洋右は流れる川を呆然と見、松実が遠く流され、苦痛と共に消えることを祈った。