サンタクロースの内臓
子供の頃から体が弱く、少し外で遊んでは鼻血を出して寝込む。その繰り返しだった。
病院で診てもらったが特に異常は見られず、成長と共に治る。そう言われ暫くはそのままだった。
流石にこのままでは、そう思った両親が俺を大学病院へ連れて行ったのは小学校三年生の夏休み。俺はそのまま精密検査からの流れで入院となった。
「いつ死んでもおかしくない状態でした。なぜもっと早く連れてこなかったのですか?」
そう医者から告げられた母親は、ショックで意識を失いその場に倒れた。
……そして俺は二度と病院を出る事が出来なくなった。
何故なら、日を追うごとに体調が悪くなる一方だったから…………。
「日村くん、寒くない?」
「ゲホッ、ゲホッ。だ、大丈夫です」
十二月、いつになく寒い夜がやって来た。
ホワイト・クリスマス。世間ではそう言うらしい。
「明日、お母さんが来るね」
「ゲホッ、ゲホッ」
看護師さんが背中を擦りながら、声をかけてくれる。
俺自身もう分かっていた。自分の体はもう、長くはないってのは。
カレンダーに丸をつけた十六の誕生日。それまで持つかどうか、正直自信はない。医者ですら苦笑いからの口を濁すのがやっとだ。むしろ死ぬ確率の方が遥かに高いのだろう。
「何かあったらすぐ呼んでね。今日は私の夜もいるから」
「あ、ありがと……ござ……ますッゲホ」
死の足音はもうすぐ近くまで来ていた。
「クリスマスに死ねるのか……」
独り言が冷たい窓ガラスに吸い込まれてゆく。
消灯の時間になり、薄暗い病室の隅っこで、俺はただ死とは何かをずっと考えていた。眠るまで。
「や」
「!?」
誰か──明るい声と顔が近くに迫った。驚き、声が出なかった。
「驚かせてごめんね。悪い者じゃないから安心してよ。ね?」
明らかに部外者と思しき女の子が、俺の顔を覗き込んでいたのだ、驚かない方が難しい。
「私の名前は三多美樹。永遠の十六歳。よろしくネ♪」
「は、はぁ……」
他の病室の人かと思ったが、自分が居る病室は一般病室から少し離れていて、入る為には看護師の許可が必要になっている。つまり、彼女はどうにかしてそれを突破してのだろう。
俺はナースコールを押すか一瞬迷った。
「どう?」
彼女は自分の服を指差した。
赤いと白の、まるでサンタクロースみたいな格好だった。
「パジャマ?」
「違うってば。まぁ、そりゃあまだ駆け出しだから仕方ないよね」
彼女はそう言って、そっと窓の外をつついて差した。
目を向けると、トナカイとソリが宙に浮いたままになっていた。
「──!?」
たまらずナースコールに手をかけた。
が、押しても反応が無い。
「ん」
今度は病室の小窓から廊下を指差すと、ナース室で大きな欠伸をしたまま固まる看護師さんが見えた。
「──!?!?」
「ほれ」
そして病室の時計を指差した。
時計の針は、午前0時ピッタリで止まっていた……。
「──!?!?!?」
「そ。そう言うこと」
「ど、どういうこと!?」
彼女は笑った。優しい笑顔で。この非常事態にちょっとドキッとしてしまう。
「私はサンタクロース。アレはソリ。アッチとソッチは時間が止まったまま。ご質問は?」
彼女の説明で納得出来る筈もなく、ベッドから起き上がりドアを開けた。
「待って! 外に出ると死ぬわ」
「え?」
彼女はさらっと恐ろしい事を言い放った。
逃げようとした足が止まってしまう様な事を、だ。
「私はサンタクロースだから、プレゼントを、ね?」
「……死をくれるのか?」
ひねくれた返事に聞こえるだろうが、きっとよくある物語のオチだろう。明日の朝には冷たくなった俺の死体が病院の外に転がっているに違いない。
「んーん。あ、勿論死が欲しければあげるけど、基本的には欲しい物をあげられるから、何でも言ってみて。ね?」
ニコニコと、彼女は笑いながら俺が開けたドアを閉めた。
「なんでも?」
「お金でも何でも」
「じゃあ助けてよ」
何でもくれると言うのならば、この病気を治してほしい。それはずっと願ってきた事だから。今更お金や地位や名誉なんか居るわけがない。死ねば全ては無意味なのだから。
「……それは」
彼女の表情が少し曇ったのを俺は見逃さなかった。
「何でもくれるんじゃなかったのかよ。ウソ付きめ、すぐに出てってくれ!」
真夜中の不法侵入者に声を荒げる。少し呼吸が苦しくなったが何とか耐え凌ぐ。こんな事で死ぬなんて馬鹿げてるから。
「ごめん、命は無理かも。でもその他なら──」
──ドンッ!!
俺は彼女の襟を掴んで、そのまま体を病室の壁に叩き付けた。
「ふざけるなよこの野郎……!! どれだけ人を馬鹿にすれば気が済むんだ……!!」
「ゴメン……説明が足りなかった」
叩き付けた勢いで、服が乱れ胸元が少し露わになった。俺は、なんの躊躇いもなく、今までとうしようも無かった物を彼女にぶつけた。
「ならやらせてよ」
「……」
「どうせ死ぬんだ……。死んだら『アイツは童貞のまま死んだ』って影で笑われるんだ……! 何でもくれるって言うんだったら…………だったらやらせてくれてもいいよね!?」
「うん、いいよ」
あっけらかんと彼女がこたえたので、俺は熱くなった熱が冷め、慌てて手を離した。
「……ごめん、今のは忘れて」
「折角だから、外に行かない?」
彼女はそっとドアを開け、俺を促した。
「さっき外に出たら死ぬって……」
「あー、それは一人で出たらって意味で。私と一緒なら大丈夫。半径二メートルより離れなければ心停止しないから」
「……君、説明が足りないってよく言われない?」
「よく分かったね。ほら、行こう?」
「あ」
手を引かれ、そのまま病室の窓からソリに乗って外の世界へ。
街は、何も無い世界みたいな静けさだった。
「……信じられない」
車も人も、鳥も犬も、居るのに動いてなくて、並んでいるのにまるで静か。言うなれば、違和感だけが生きてる世界だった。
「サンタクロースが世界中の子ども達にプレゼントを配れるのは、こういったカラクリがあったんだ。絶対にナイショだよ?」
彼女は得意気に言って、人差し指を口に押し当てた。
「そのサンタクロースが一人に付きっきりで良いのかよ」
「……実はね、君に会うために時間を貰ったんだ」
「え?」
「どうしても、君の顔が見たくて」
不思議な事を言う彼女に、なんて答えてよいのか分からぬまま、とりあえず苦笑した。
「な、なんで……?」
「……ナイショ♡」
はぐらかされ、そのまま手を引かれ、俺達は噴水広場に腰掛けた。
「ねえ、キスしようか」
「!?」
ついさっき『やらせてよ』とか言っておきながら、俺はその一言で心臓が跳ね上がった。
「い、いいの……!?」
「あ、すっごい挙動不審……」
童貞ムーブをさとられないようにするだけで、挙動が更におかしくなる。重ねれば重ねる程に不可思議な事になる悪循環。
「ただ……本気になっちゃうかもよ?」
「!?」
血が煮えるような、今まで感じたことの無い不思議な感情が体中を駆け巡る。
「いや、やっぱほら、まだ知り合って間も──」
じたばたとする俺の唇に、彼女の柔らかいそれが重なった。
一瞬で、俺の脳は停止した。
「……」
「……おーい」
「…………」
「おーいってば」
「………………ハッ!」
「そんなに良かった?」
「──なっ! いやっ! ななっ!」
「分かりやすいね、君。メッチャ顔赤いよ?」
「……!!!!」
そう言われ顔に手を当てる。明らかに熱を帯びていた。
しかし、そんな事よりも、俺はキスをしてしまった!
しかも出会って間もない女の子と、いきなりキスをしてしまったのだ……!!
「良かったんだよね〜?」
「ち、違います……!」
ニヤニヤと笑う彼女にそうこたえたが、ぶっちゃけ良かった!! 出来ることならもう一回したい!!
「もう一回したそうな顔してる……」
「ち、違いますってば……!!」
「しないの?」
「するっ! しますっ! させて下さいっ……!!」
「分かりやすくて大変よろしい」
──ズキン、と別な意味で心臓が跳ねた。奴だ。確実なる死の足音だ。
「──ゴホッ! ゴホッゴホッゴハァッ!!」
「だ、大丈夫!? ごめん、そろそろ時間かも!」
な、なんだって……?
「ソリ呼ぶから待ってて! ポチ! こっちこっち~!!」
い、犬かよ……。
「まだ死なないで! 大丈夫! 必ず助かるから! でも今死んだら助からないから頑張ってよ!!」
どっちだよ……。
「ヤバッ! 呼吸止まってない!? あれやろう! マウストゥマウス! ひっひっふー! ひっひっふーっ!」
あー……おばあちゃんが見えてきた。
……あれ? おばあちゃん確かまだ生きてるはず。
あのおばあちゃん誰だ?
「お、おばあ……ちゃん」
「それ奪衣婆! 黄泉の国の奪衣婆だって! すぐに離れて!」
あー……結局死ぬのかぁ……。
「君は死なない!! 病気が治るのはプレゼントしてるから、開けるまでは死なないで!!」
だから説明が足りないんだってば……
「ポチまだ病院着かないの!?」
「ワン! ワンワン!!」
やっぱり犬かよ……。
…………。
……俺の意識は、そこで途絶えた。
「…………ぁ?」
目が覚めるといつもの病室だった。
「いでっ!!」
胸に激痛が走った。
「あ、日村君目が覚めたかな!? 無理に動かないでね。手術終わったばかりだから」
「?」
胸には包帯が巻かれていた。
「良かったわね。意識が無くなってすぐにドナーが見つかったのよ? あと少しでもズレてたら危なかったって。 よくナースコール押せたわね。偉いわ」
「……女の子は?」
「え?」
「一緒に居た……」
「え? やだ、誰か居たの? それとも夢でも見ていたのかしら?」
「……」
夢、だったのだろうか……。
ただ、やけにしっかりとした夢だった気がする。
「……キス……したっけ……」
唇を指でなぞる。指先にうっすらとしたピンク色の何かが着いた。
「夢じゃない……」
だが、それ以来彼女を見ることは無かった。
手術を終え、リハビリに三ヶ月。
見事に完治した俺は健康を謳歌し、それまでおざなり気味だった学問に力を注いだ。
食って学んで遊んで寝る。
ただそのローテーションが最高に幸せだった。
そして俺は教師を目指した。
俺のように不自由な学生を救うべく、更に力を注いだ。
そして、俺は普通よりも何年か遅れたが、やっとこ教員免許を取得し田舎の高校へと配属された。
生徒数少ないが、その分じっくり一人一人と向き合える。駆け出しには十分過ぎる環境だ。
「新任の日村です。みんな、今日から宜しくな!」
高校生は元気があってよい。
「では一人一人自己紹介をお願いしようかな。名前と何でも良いから何か一言」
顔と名前を覚えるべく、ノートに特徴をメモしてゆく。なるべく早く全員の顔と名前を一致させたい。
「……今村美樹、です。……宜しくお願いします」
と、今し方自己紹介を終えた今村美樹が、そっと俺に向かって右手で銃の形を作り、撃つ真似をした。
「──ウッ……!!」
急に胸が苦しくなり、手で強く胸を押さえた。
「先生?」
「いや、ゴメンゴメン……ちょっと昔の古傷が……」
手術以来特に何もなかったが、いきなりの強い痛みに俺は不安を覚えた。
「……先生?」
放課後、一人の女子生徒に話しかけられた。今村美樹だ。
「どうかしたかな?」
「ふふ……お元気そうでなにより」
「え?」
どういう事だろうか。よくわからないが、彼女はとても満足気に微笑んでいる。
「人のこと本気にさせたんだから……ちゃーんと責任を取ってよね? ね?」
「何を言って──」
彼女の顔が急接近し、そのままキスをされてしまった。
「相変わらず顔が赤いんだから」
「──!!」
人生二度目のキス。
俺はすぐにあの日の事を……夢だとばかり思っていた夜の事を思い出した。
「ま、まさか君は──」
「浮気したらあげた内臓爆発させるから♡」
「ふあっ!?」
そう言って、彼女はスキップをしながら去っていった。
「……マジかよ」
俺はとんでもないサンタクロースに目を付けられた様だ──。