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死亡督促状  作者: 昂平
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死亡督促状

 日常について(2)



「まぶしいな」ふと車の中で声に出してみる。まだ夕日とまではいかないけれど、少し傾いた日の光が車内にやってくる。次の人の場所へ行くには、少し高速を使わなくてはいけない。だるいとは感じつつ、都会のビル群を目の保養としてその感情をやり過ごす。

 道中、俺は猫を見た。下町に降りたあたりで、颯爽と道路を駆け、横断していった。口には何か食べ物のようなものを加えている。なんて生命力が高いのだと感心しつつも、これから行く人はその対極なのだと思いを巡らすと、心なしか背中が曲がった。

 ピンポーン ここもまた閑静な住宅街だ。少しぼろめの青いアパートの一階。そこに男は一人で住んでいるらしい。

 「……はい」低く、けだるい声。もう誰かと相手するのも面倒なようだ。声色で伝わってくる。

 ドアが開かれた先には、長髪で無精ひげを生やした男が立っていた。グレーのパーカーに下はジャージを着ている。そう、いつも通りの恰好。

 「どうも、私、あなた様に用事があってまいりました。太田と申します。」

 「……誰ですか?」

 「ええ、急な訪問すみません。実は私、あるものをお渡ししたくて……」

 男はこの訳の分からない俺の行動に、全く興味を示さない。もうどうでも良いといったものらしい。

 「実は、金銭関係のものなのですけれど、ちょっとこの、外で行うには難しくて………」

 この言葉の一部分、『金銭』という部分に男は今異常に反応した。やはりこの男、アパートや服装や顔、その他イインカイから送られて来た情報を元に推測すると、お金に困っている人と見た。

 「何ですか?集金ですか?なんの?」

 男は一人で焦っている。自分はまたなにか金を取られなくてはいけないのか、どこだ、どのタイミングでやらかしてしまったのか。本人には見当もつかないが、どうしても理性はそう反応してしまう。男の顔が青ざめてきたところで罪悪感を抱き、すぐさま説明した。

 「いや、集金とかお金を頂戴しに来たとか、そういった類の者ではないのですよ。むしろその逆で、今日、私はあなたにお金を譲渡しにまいりました。」

 「え?」男の眉が吊り上がって見えなくなった。

 「ええ、ですから、今から私、あまり大きい声では言えないのですが、百万円、あなたにお渡ししたいのです。」

 「な、なにを言っているんだ?」男は困惑し、スタスタ後ずさりする。もはや理性的にみる力もない。まだ現物を見せてもいないのに、百万円があるという前提で、話が男の中で始まっている。まあ実際持ってきてはいるが。

 「今私が手にしているこのバッグの中にございます。少しだけ、お見せしましょうか。」

 男は百万円を観測し、さらに驚きの表情を浮かべたかと思うと、今度は少しだけ笑みをこぼした。

 「これ、もらえるの?」

 「ええ。ですが少々手続きが必要なもので、ここで立って行うわけにはいかないのですよ。ですから、急なお願いなのですが少しお宅に上がらせてもらえないかと思って……」

 「あ、ああ…汚いですけど、どうぞ。」

 これで第一フェーズは完了した。

 男の家の中は思ったよりは綺麗だった。いつも俺はこの仕事で相手の所へ向かうとき、必ず相手の家はごみ屋敷なのだろうと仮定してから行くことにしている。でないと実際ごみ屋敷に出くわしたときに、心の配慮が難しくなり業務に支障をきたす。いつだったかそのせいで俺は任務を失敗し、東京の一部地域では、死亡督促委員会は新手の詐欺グループだから気をつけろ、なんて噂も流行っている。なんて不名誉な。

 岡倉、とこの男は案内がてら僕に言った。どことなく、お茶をたしなみたくなった。

 「この机を、使ってください。」男の家はワンルームで、真ん中には木製の低いテーブルが一つ置いてあった。テレビはなく、家具も必要最低限のものしか置いていない。しかし、気になるのは、ビニール袋いっぱいの空き缶と食べた後のもやしやインスタント麺なんかの袋だ。

 「では、早速ですが手続きを始めたいと思うのですけれど……よろしいですか?」

 「は、はい!」男はすっかり百万円の妄想をしたようで、目は大きくなり、背筋もシャキッと伸びている。

 「で、でもその前に、少し聞きたいことが、…あるんですけど」

 「何でしょうか?」

 「あなたって、誰ですか?なんで私の家に」

 「ああ申し遅れました。私は現在、死亡督促委員会という名前の委員会で活動している、太田と申します。私たちは、一度自死を行い、失敗した方々に対し、支援をするためにやってきているのです。」

 「死亡、督促?」

 「ええそうです。いやしかし、無理強いはしませんよ。ただその必要があればということで、まずはその前に、支援から入るのです」 男はしばらく黙っていたが、百万円を思い出すとどうでもよくなったのか、焦点を俺のバッグに移した。

 「では、百万円をお出しいたします。」

 そいつは、とてもワンルームには似つかわしいものだった。なぜだろう。光っているようにまで見える。男はその机の上にある塊を凝視して、こちらへ目を向けることはなかった。

 「これをお渡しする前に、一つ、質問をよろしいですか?」

 男はようやくこちらを向き、頷いた。 

 「あなた、まだ自ら命を絶つことについて考えていますか。」

男は黙るが、続ける。

 「あなたがもし死にたいと願うのでしたら、わたくし共はそれをお手伝いしに行きます。あなたがもし生きたいと願うのであれば、それをお手伝いいたします。さあ、どっちですか?」

 「僕は、百万円あったら、生きたいです。」

 「そうですか、そうですか、では、こちらの紙にサインをお願いします。」

 俺は男に督促状を渡した。ここには欄がある、死ぬか、生きるかサインするものだ。男は俺からボールペンを受け取り、震える手で「生きる」の方にぐるりと印をつけた、実際、その手は生の重みではなく、お金の重みなのだろうが。

 「これで、いいですか?ひゃ、百万円くれるのですか。」

 「はい確かに、では、約束どおりこの百万円。譲渡いたします。返済など一切ございません。そして、今後私たち委員会からは全く連絡は致しません。ですからそのようなメールが来た際には、すべて無視するようにお願いいたします。もしどうしてもあなたの方から連絡したいのであれば、この携帯番号にかけてください。その際はいささか料金が発生しますが…」

 百万円を渡し、立って帰りの支度をしながら話した。携帯番号が載った紙をテーブルの上に乗せ、そそくさと帰る。

 「ま、待ってください」

 「はい、何でしょう?」

 「これ、なんにでも使って、いいんですか?あと、使い切ってもいいんですか?」

 「何を言ってらっしゃるのでしょうか?それは私のお金ではなく、あなたのお金ですよ。ただ、それだけです。では、失礼いたしました。」

男は手に札束を持ちながら、笑顔で俺を見送った。ドアを閉め、一仕事終えたことにほっとする。今日はもう家に帰ろう。空は真っ赤に色づいているし。


       *


 百万円を使ってから一週間ほど経った日に、電話が来た。

 ・・はい、太田です。

 ・・お、太田さんですか、私、あ、あなたから百万円をもらった。

 ・・ああハイハイあなたでしたか、どうされました?それから、お金は順調に使っていますか?

 ・・順調も何も、それが、もう無くなってしまったんですよ。ちょっと、もう一回だけ、会ってくれませんか?

 ・・あらあらそうでございましたか。分かりました、ではまたお会いしましょう、しかし条件があります。

 ・・何ですか?

 ・・五万円。頂戴いたします。

 ・・え?

・・はい。よろしくお願いいたします。

・・だから…

・・それくらいは頂戴しないとだめですよね?

・・だから金は持ってないって言ってるじゃないか!

 ・・落ち着いてください。そんな怒鳴らないで。分かりました。今回は特別に私があなたと会う際の費用はこちらで負担します。いつ頃伺いに行けばいいですか?

 明日、か。明日で彼の命は尽きるんだな。了解した。

 

         *


 「それで………なんだ、あのさ、お金……またくれるんでしょ?ほら、こうやって家を綺麗にしたりさ、家具を新しくしたりして結構使っちゃったんだよ、え?いや、ギャンブルなんかとんでもないよ。俺はまっとうに使ったんです。そしたらどんどんお金が減っていって、それで、怖くなって電話したんです。あなた、この間言ってくれましたよね?『あなたのような人を支援する』って。だから、もう百万円、いや二百万円!俺に支援してくれないか?なあ、仕事、なんでしょ?」 男の目には光が灯っている。きっとこの一週間辺りで、人間として快が出る行為、すなわち買い物や、旅行、キャバクラでの美人との会話などにお金を使ったのだろう、あるいは風俗とか。髪も服も新品になっている。古い家具は根こそぎなくなっているか、あるいはビニール袋の中にしまわれている。ここまで生活レベルが上がれば、人は概してもう死にたいなんて思うことはないだろう。しかしこれには問題がある。なぜなら彼は、けっして働いた金で、自らの金でここまで来たわけでは全くないからだ。そして人間は、面白いことに、生活レベルが下がるのを忌避する。これでもかというくらいに。さあ、どうする。

 「そうですか……支援をもう一度申し込むのですか。」

 「はい。ね?お願いしますよ。もう死にたいなんて思いませんから、だって、俺、気づいたんだ。人って、人の暮らしってこんなに楽しいものなんだって。金さえあれば、なんでもできるって、やっと分かりました。だから、ください。」

 男の敬語とため口が混ざっている独特の口調は、こっちの調子を狂わせる。

 「だから、働くという可能性はありますか?だから、少しでも自分の力でお金を稼ごうと前向きに考えることは、なされましたか?」

 男は少しだけ下を向いた。前のめりになっていた体は少し後ろに体重の軸を移し、そしてまた早口でまくし立てた。

 「何言ってるんだ!俺が働くだって?ありえない、全くそんなことありえない!俺は働くのは嫌なんだ。なんで俺が誰かのために働かなくちゃいけないんだ!嫌だ嫌だ!俺は絶対にやりたくない!面倒くさいし、疲れるし、それより、あんたが助けてくれるんだろう?だからさ、早くくれよ。なあ、前と一緒のバッグ持って来ているじゃないか。なあ、そういうこまごまとした質問は良いからさ、な、早く頂戴よ。」

 「できません」

 「な……できない?」

 「ええ。あなたに渡す金は百万円が限度です。」

 「ふざけんな!」テーブルが揺れる。ガラガラっと、コップの中にいた氷と麦茶が音を立てて揺れる。前回は飲み物なんて出なかったが。彼は憤怒の表情を俺に向けている。それもそうだ。もう、あのような快は訪れない。それにしても、一週間か、早いな。

 「お前、俺をおちょくってるのか?」

 人が変わったように話を始めた。彼は金の力に囚われてしまった。こういった、恵みをもらった後に、それでも社会に出て活動しようとしないような人に対して待っている未来は一つ……

 「だったら俺、お前の目の前で、死んでやるか!ああ?お前の目の前で首かっ切って、トラウマを植え付けてやろうか?いや、お前を殺すのもありかもな……」

 「今日は、あなたがこれからも生きていくのかどうか、確認するためにも、私はやってきたのです。しかし、どうやらそう長くはないようですね」

 「何を言っているのださっきから!おい!」

 すでに男は立ち上がり、巨体から正座している俺を見下す。威圧的とはこのことだが、今までやってきた仕事よりはずいぶん軽い相手だ。

 「あなたには、私を殺すことはできないし、自ら死ぬこともできない。」

 「なんでそんなことが分かるんだ!ああ?やってみるか?そのバッグに、金が入ってるんだろう、よこせよ。」

 男はバッグに右手をかける。触った。瞬間、男は左手をがっちり掴まれた。何をされたか理解するのに時間がかかったが、男は委員会の男に一切の行動を止められた。ロック、とでもいうのだろうか、右手で重そうなバッグをつかもうとしたため、体重はすでに右手が有利になるように傾いてしまっていた。左手を赤子のようにひねられながら、そのまま、倒れこむ。彼は武道の技を瞬き一回の間に繰り出し、男は汗をたらしながら、畏怖の目で委員会の彼を見るしかなかった。実際の所

、男の目から観測できるのは、彼の頭の右ッ側の髪の毛と耳だけだが。

 「な、力が強い……」

 「私は委員会のものです。私の個人情報並びに、移動形跡やその他の情報は、全て委員会に預けています。ですから」

 「何が言いたい」

 「私にとってあなたを痛めつけ、殺すのは、赤子の手をひねることと同義なのですよ。」

 「…………」男は静かに手を放し、正座をし直して、そして今度は、違うアプローチを使ってきた。

 「お願いです。お金をください。もうお金のない生活に戻りたくないんです。お金が無くなって前のような生活に戻って、三日間経ちました。それで、気づいたんです。俺はもう、耐えられないって。こんな生活は、もう駄目なんだ。お願いです。なんでもします。お願いです俺にお金をください。」

 男は額を畳にこすりつけている。その醜い体には、それなりの意志が込められている。香水の嫌な香りが湧きあがる。

 「お願いです……お願いです……もう前の生活なんて、……嫌だ……」

 「無理です」

 「…………ぅぅ」

 泣き始めた。それは幼稚な涙だった。男は一週間ほど、それまで味わったことの無かった幸福を味わった。人生の楽しさ、お金を使うことの楽しさを味わい切ったのだ。しかし振り返れば残額はないし、これからはまた前のように生きていかなくてはいけない。おそらくこれから家具を売って、また古い家具を取り出し、せっかく払ったカードの支払いもどんどん膨れ、何もできなくなるだろう。少なくとも、今後一生。そうだ、一生涯、あの一週間前のような栄光ある生活は送ることができないだろう。そう一生だ。男は泣きながら、その残酷たる事実を理解しようとしていた。そして、そのあまりの悲惨さと、死への恐怖と抗えない力に屈服し、今は泣くことしかできないのだ。だからこの涙は幼稚だ。穢れている。

 「大丈夫大丈夫。そんなに必死に泣かなくても。ね?」

 男の小さい背中に触れる。それは小刻みに震えているけれど、温かい手に触れられて、少し収まる。

 「私たちは、あなたを見捨てなんかしない。支援をしに来たんです。だから、安心して。」

 「で………でも、お金……ない」

 「そう。だから支援いたします。貴方が安らかにあの世に行くための。」

 男は動きを止めた。もう、感情が破壊されたようだ。五分経っても、動かない。彼は、死という現実を飲み込むのに、足の悪い老人がバスに乗り込むくらいの時間をかけたのと、快、不快、怒り、悲しみ、絶望、涙。感情のオーバードーズ、もう動くこともできない。土下座からうずくまった状態になった男を座らせると、目に光なんてものは映っていなかった。そういう時にこそ、人の手は、役に立つというものだ。

 「あなたは今、最期の恐怖をしている。死に対する、本能の恐怖だけが脳に染み渡っている。だから、怖いのだ。大丈夫、私がその恐怖を取り除いてあげます。」

 バッグから例の薬を取り出す。幸いにも目の前には溶けきれない氷と同居の麦茶が置いてある。さあ、彼も安らかに眠ってもらおう。

 「この錠剤を飲むのです。これを飲めば、あなたは幸せに眠ることができる。効果は保証します。そして、起きた時には、もうお金の心配もなくなる。完全に、幸せな状態になるのです。」

 男は困惑と、絶望とで歪んだ顔を、持ち上げて俺に見せてきた。しかし、どうやらもう終わらせたいようだ。男はゆっくりと俺からその錠剤へと視線を移し、飲む決意をした。

 「これで……幸せに……」

 「ええもちろん。私たちは嘘をつきません。だって百万円を本当に渡したじゃないですか。だから、信じてください。」

 「…………わかった。」

 男は麦茶で錠剤をごくりと飲んだ。五分ともしないうちにその恐怖やらなんやらでしわくちゃになっていた顔は、安らかで幸せな顔へと変化し、目をつむりまるで遊び疲れた幼稚園児のようにすやすやと眠りについた。これで、今週の俺の任務は終了した。いつも通りの一週間だった。


           *


 本日のニュースです。三十代頃とみられる男性が、午後五時半頃、ビルから飛び降り、通行人が軽いけがを負う事故が発生しました。男は即死で、通行人の命に別条はありません。警察は、男が自殺を行ったとみて、身元確認を進めています。

 岡倉 優大 二十七歳 幼少のころは野球に命をささげる人生だった。大学受験に失敗し、周囲から孤立。いつしかコンビニで同じ菓子パンを食べる生活が進んでいた。ついに筋肉が贅肉に移り変わった後に、彼の人生は終わってしまった。

「飛び降りか」仕事へと向かっている途中、あの百万円の男の最期を耳にした。ニュースを切り、クラシックの優しい音色で車内を再度満たす。圧倒的な日常。

 

       ***



次回 出会いとはすなわち人生の変更点であることについて

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