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死亡督促状  作者: 昂平
1/2

第一幕 日常

  

         死亡督促状 第一部 日常について(1)


 メメントモリ たとえ人を裁く地位にいても、汝に死の恐怖が消えることは無いことを。

 忘るるな。

 それでは、本日のニュースをお知らせいたします。昨晩午後九時半ごろ、東京都渋谷区内の警察署に五〇代とみられる男性が侵入し、

「俺は人を殺した。犯罪者だから捕まえてほしい」などと供述し、交番内に一時間ほど滞在し、その場にいた警官に殴る蹴るの暴行を行った後、薬物による自殺を図り現在意識不明の状態で病院に搬送されました。警察によりますと。この男は、一連の特殊詐欺グループ

 『死亡督促委員会』

 のメンバーとみられています。現在詳しい男の身元を確認しています。


 頭がおかしくなった俺の父さんは、昨日の夜渋谷に行った後、帰ってこない。ブツブツと変な音を鳴らしているブラウン管を眺めながら、少年はそんなことを思い、少し、目をつむった。

                 *

 二〇一〇年三月五日 東京 渋谷区内のアパート

 今日の天気は晴れ。東京も少しずつぬるくなってきた。今日も仕事だ。二週間ほどたてば世間は春休みだろうか、休みの期間は仕事が減るから良い。そういえば最近髪を切っていない。冬の空気はいつも突き刺してくるから、切る気が起きなかった、今日、予約しようと思う。じゃあ今日の俺はここから。

 なんて日記を書いた。背伸びをして、右にある小さい窓からやってくる太陽光に目を合わせる。まぶしくて目をつむっていても、視界が赤くなる。

 プルプルプル プルプルプル

「はい、太田です。」

「ああ大田君。おはよう。今週も仕事頼むよ。今週は二人。どっちも男でちょいとガタイが良い人だ。怖気つくなよ?」

「ええ、またいつものように処理いたします。」

「はいはい、じゃあ切るよ」

 ピッ 男の溜息が後に続く。

 なんでこういつも朝っぱらから禿げた上司のだらだらした声を聞かなくてはいけないのだ。顔を少し暗くするが、こんなところでイライラしていても何も生み出さない。まだパジャマ姿の俺は朝の呑気なニュースをテレビで流し、身支度をしていた。

 髭を剃り、スーツを纏い、仕事用具を揃える。冷蔵庫に入れてある薬も忘れない、あれがないと仕事がうまく行かない。

「行ってきまーす。」

 返事は全くない。が、いつも言っている。ガチャンとドアを開けて、カギを閉める。いつも、ドアだけが強いこのぼろ家を外から眺める。

 仕事といっても別に俺はオフィスに向かうわけでもないし、そもそもオフィスに行ったことすらない。駐車場に止めてある白の軽自動車に乗る。

 エンジンを付けた後に、うなる車内の中で、上司から送られてきたFAXに目を通す。今週は男が二人、暴れないといいのだが。瓶に入った錠剤を見ながら仕事の無事を祈る。花曇りの下、男の運転する車は砂利の上をゴロゴロ走り出した。

 小一時間ほど、高速道路に乗る。クラシックが流れている車内はおしゃれに着飾っている。俺は朝のこの時間が好きだ。人の目を気にしなくていい。ドライブスルーから手に入れたコーヒーの匂いも欠かせない。気にしなきゃいけないのは車間距離だけだ。

 目的地は東京都内でもかなり北の埼玉の方だった。ここいらはもう大きなビル群も観光名所もない。あるのは家、家、家。

 ピンポーン 静かな住宅街にインターホンが響く。ずいぶん大きい家だ。なんでこんな立派なところに、俺が仕事として入らなくてはいけないのだ。庭らしきエリアには桜の木が植えてある。かなり大きくて今にも花を咲かせそうにつぼみが色づいている。こういったいのちを目にする時、俺は自分の仕事に少しだけ後ろめたくなる。もう引き返すことなど叶わない道だが。

「………はい……」

 中から弱弱しい声が聞こえてきた。ドアを開けてもらうと、そこには確かに体の大きな人が立っていた。髪はなぜかきれいにセットされているが、お決まりのグレーのパーカーと猫背によって魅力は失われている。

「こんにちは、私は()()()()()からやってきました。太田と申します。」

「…はい。」

「本日は、あなた様のご自宅に伺い、重要な決断をあなた様が行うのをお手伝いさせていただきたく、訪問いたしました。」

「…はい。」 俺のやけに親切で甘ったるい声と、男の生気のない声が混じって、辺りは薄重い空気が流れている。

「では、この家に上がらせていただきたいのですが……」

「……誰ですか?」ついに男は意志を持って話しかけてきた。目に光はない。無精ひげが目立つ顔が、こちらを気だるそうに見ている。これはもう、長くはもたない。

「いえ、じゃあ少しだけ話題を変えましょう。あなた、お金は欲しくはありませんか?」

「お金?」「はいお金。」「そりゃあるなら欲しい気もしますけど…。」

 男の顔が揺らぐ、勝った。

「今このバッグに百万円が入っているのですが、私たくさんの事情があって、イインカイからあなた様にこの百万円を無条件で譲渡してこい、という命令が下ったので、早速お持ちしました。はい、これです。」

 話をしながら、車から持ってきていた古い黒のボストンバッグを開け、中から札束を見せる。これは本物だ。男はたじろぐ。

「まあそうなのですが、いかんせんこの大金、あまり玄関口で渡しても良くないといいますか、ご近所の方に見られても…あれですし、少し、上がらせてもらえませんか?」

「……は、はい。」

 靴を揃え、男の家に入る。目の前には階段と廊下。ここまではよくある一軒家だ。ベージュの靴箱の上には、シャチハタと鍵、それを入れる小さな木箱がちょこんとおいてあった。

 居間に案内される。そこにはほとんど物らしきものは何もなく、あるのは棚とテーブルくらいだ。男が奥の部屋に向かったので、ケータイを開くが、時刻は午前十時。まだ時間に余裕はある。

 男は自己紹介もせずにさっさと家の奥へ入ってしまったかと思うと、何やら準備しているのか単にもじもじしているだけなのか、時間だけが少し経った。最終的に、男は俺と向かい合わせになるように座った。

「あくまで私はこの家に初めて訪問した身。そしてあなたとも初対面です。そこまで長居をするつもりはありませんので、ご安心を。早速ですが、この百万円をお渡ししたいと思います。しかし、きっかり満額あるか確かめる時間をください。」

「……」男は細々とお辞儀をした。

「では、失礼して。」バッグから札束を出し、広げる。百万円といっても実際はそこまでびっくりするような形はしていない。軽く両手で収まる。

「……あの」男が手をこちらにやる。改めて思うが、二十代中ごろか後半の顔つきをしている。髪は長髪の部類だろうか。老けてはいない。なぜこんな男が…とも思ったりした。

「はい!何でしょうか?」

「僕、いらないです。」「え?」「いや、いらないです。お金。」「はあ……。」「だから、大丈夫です。今日は。」

 想定……内だ。こうも話が進むとは、これは楽だ。

「ええ、そうですか、それでは本当にいらないのですね?百万円。」

 男はまだ思案しているようだ。言ってはみたものの、金には目が眩む。それが人間の性。

「……やっぱり、いらないです。こんなの。それより、こんな全くの他人ですから、話を聞いてくれませんか?」

「話……ですか、ええぜひとも。」

「私、実は………」男はこちらに気を遣うでもなく、話をひとりでに始めた。


 *


 お金がいらない理由にもつながるのですが、私、もう実は死にたい身なのです。男はこの言葉から会話を開始し、だらだらと自分の人生の不甲斐なさや、やるせなさを語っている。非常にだらしのない人生を送ったらしい。しかし俺には、そんな会話の内容など、どうでも良い。俺たちイインカイの人間はそういった人たちの元へと赴くから。重要なのは、男の話を聞いてあげることと、任務遂行だ。どうやらこのまま行けるらしい。

「……そんな訳で、私もこうやってまだ生きながらえているのです。けれど生きるに値するような人ではないし、ましてやこの大金、とても頂くわけにはいかないのです。」

 とても分かりやすいのだが、男の顔は陽気になっている。顔は火照り、血の流れも改善しているように見える。人は一般的に、自分語りが大好きだ。それで快楽を享受していると言ってもいい。大好きでたまらないのに、友達がいなかったりすると、それができない。それでストレスが異常に溜まり、人生なんてどうでもよくなる。生きている意味を見出すことができなくなってしまうのだ。だから俺はこの男の話の聞き手にまわった。自分の生い立ちを話してから三十分ほどだった。そろそろ頃合いだろう。

「お話、ありがとうございました。私はあなたの話、好きでしたよ。けれど、一つ伺いたいのですが、あなたは私がいなくなった時、これからどうするのでしょうか?」

 たった一言で、男の顔は前よりずっともっと重くなる。目の前にあった山盛りのフルーツを一気に奪われるような感覚が彼を襲う。そう。俺はあくまで全くの他人。この男とはこれから一生関わることはないだろう。だからこそ、今日は彼にとって非常に良い体験だった。このことも、一時的なものに過ぎない、という残酷な事実を伝える必要がある。

「あなたは、こうやって誰かともう会話することもなく、胸にその辛い思いを背負って、一生を生きていくと考えていますか?」 

 男は黙る。うつむいて。どんどん体が小さくなっていくような印象がある。

「あなたが親御さんを失いながらも、一人でここまでやってきたのは非常に素晴らしいことです。しかし、まだこの先何十年もそれを行い続けるのですか?」

 男は一言も発せず、テーブルの向かい側で、これから訪れるだろう未来を想像して、少しだけ震えている。

「私の自己紹介をする機会がなかなかなくて、非常に申し訳ないのですが、今、させていただきます。私は()()()()()()()からやってきた、太田、と申すものです。」

「し、しぼう?」

「ええまあ。私たち死亡督促委員会は、あなたのような、生きるのに非常に困っている人々に、最期には安らかにあってほしいと願い、活動している団体です。」

「そ、そんなの、聞いたこともありませんよ、第一、そんな話……」男は非常に動揺している、一度は試みた自死。しかしそれはよほどの覚悟と勇気がないと、人間の本能に備わっている生存本能に根負けしてしまう。だからこそ、俺たち委員会が最後の後押しをするのだ。

「………怖いんですよ。死ぬのは。」大きく俺は頷く。

「もう生きていることなんかどうでも良いのに、怖いんですよ、死ぬのは。変ですよね、なんか、我儘すぎて、このまま消えてなくなりたいんですよ。」再度大きく頷いた。彼は今、俺の相槌でまた、共感という甘い蜜を吸っているのだ。

「私に、何をしろっていうのですか?まさか、自らの命を絶てと再度言いに来たんですか?」俺は頷かない。ここからが俺の仕事だ。

「いえ、実は見せたいものがありまして。」不思議と絶望の入り混じる顔を見つめながら、ボストンバッグを漁り、中から箱を取り出す。その箱は透明で、中に錠剤らしきものが入っているビンがある。

「これは……」表情の不思議さが増している。

「これは、私たち委員会が作り上げた特殊な錠剤です。これを飲めば、あなたは五分後に意識を失い、そのまま死に至ります。飲めば直ちにあなたの脳内に快の反応が出され、幸福の後に死ぬことになります。痛みなど毛頭ない。まるで、ライオンに捕まった鹿のように、安らかな気持ちで、その人生を終えることができるでしょう。」男は、一声も出さない。目の前には、怪しい錠剤と、初対面の男。何を言っているか分からない。しかし、男はいつかこういった日が来るのではないか、と薄々感じてはいた。命を粗末にした人に待っている未来は、死しかない。そしてそれは遅くとも早くとも必ず訪れるものだ。今、この瞬間、この自殺を迫っている男は、どうやら幸福になるらしい薬を持ち出している。信じ難いがしかし、またどこかの機会で死にたいと願ってしまったら、次はもうこの男に会えるわけもないし、飛び降りか人身事故か、窒息か入水か、身体的苦痛を味わうものばかりだ。ならいっそ、今、ならいっそ、今……。

 目の前の男は、悩んでいる。眼球のスピードが上昇している。こういう時、男は俺を見つめているようで見ていない。みんなこうなる、目の前に死というカードをまざまざと見せられると、人は苦悩して悶える。思考の内側に、視点をずらす。だからこそ、俺は仕事をやっている。動物なら、自死などタブーに近いのに、人間は贅沢にもその脳を使って悩むことが出来る。この反応は、いつ見ても飽きることがない。人間が、まさに今本能を究極的に克服しようとしているのだ!

 男は、興奮気味の俺を見ると、逆に冷静になった顔をした。どうやら、彼の頭の中で整理がついたらしい。微笑みそうな顔を無理やり張り詰める。視点をこちらへと戻しながら、 

「私は、………やっぱり、遠慮しておきます。」

「あら。」拍子抜けた声が部屋に響く。

「私は、まだ自分が死ぬということが、よく分からないのです。まだこうやって人と話す機会があるのかもしれないし、まだご飯はおいしく感じるし、ごくたまに、笑ったりもします。改めて今、自分が死ぬことを考えて、私は、もう少し生きていこうと感じました。私は、まだ、特に体が、生きたいと言っているような気がして、だから、その、今日は、ありがとうございましたということで、いいですか?」

「…………ぬるい。」

「………え?」

「いや、だから、ぬるいんですよ、あなた。全く、熱の無い人生ですね。」

「何をおっしゃっているのかさっぱり…」

「あなたは、今、夢を見ているんだ、それも幸福なね。あなたは今日、私と出会い、昔話をして、一緒にお茶をすすり、死について考え、悩み、笑った。そして、あなたは今、生きる希望というものを手にした。人間が人間として生きていけるのは、一重に他の人間がいるからだ。たった独りでは、生きていくことなどできない、山奥に住んでいる一人の老人だって、昔のころの友達や死んだ伴侶なんかを想像している。あるいは擬人化させた動物たちと暮らしている。究極的に独りを実感したとき、我々は死を選ぶ。君も、そうだったんだろう?先ほど、つい先ほど、私がこの家に訪問するほんの一秒前までは。」

 男は動かない、筋肉が痙攣しているのか、さっきの強い顔はもうすでに萎み、また、小さい男に戻っていった。俺は今、目が熱い。これでまた、人の役に立てる、今、ついにこの男をあの世に送る準備がすべて整った。

「これを、飲みましょう。あなたは十分戦った、命を使い切ったと、私は思います。一度は自死を試みた。その勇気に対して、私は敬服しているのです。さあ、もう安らかに行きましょう。私は死後の世界のことまでは知りませんが、風の噂で、とても安らかな場所だとお伺いしています。きっと、あなたのように独りで生きていた人にも、安らぎは訪れるでしょう。そして何よりあの世には………」

「とう……さんと………かあ………さんが」

 男は泣き出した、男の中で考えてはいたが、最後の理性で制限していた父母への甘えの感情が湧き出てきた。守ってもらいたい、安心したい、抱きしめられたい、愛を享受したい。そういった類の本能が今、優位に立ったのだ。男は顔色を良くして、しかし震えた手で指さした、大金ではなく、薬を。俺は静かに頷き、錠剤を飲むための準備をする。男はもう動くことが叶わないので、俺が彼の家の台所へと向かう。意外と整然としている。やはりここ最近は使っていないようだ。コンロ周りと壁掛けの調理器具に、埃がうすらと乗っている。蛇口をひねり、ジャバジャバと出る水道水をコップで拾う。錠剤を中に入れると、それは美しく、幾何学模様を描きながら溶けていった。この水は聖水となった。さあ、彼に渡さなくては。

 後は早かった。男はそのコップを大事そうに両手で受け取り、上を見て、涙を流しながら、喉に聖水を流し込んだ。飲み切るが早いか、男は崩れるように地面に伏して、昏睡状態になる。後は、テレビで流れるニュースを見れば良い話だ。呼吸の音はするが、もう先ほどまでの人間同士の会話は存在しない。静寂が部屋に横たわった頃、俺は静かに靴を履き、家から立ち去る。軽自動車に乗り込み、一息つく。今は午後三時、もう一軒は、もう少しスピーディーに行わないといけない。

 *

「皆様に、お知らせがございます。ただいま、田山線山王平駅において、人身事故が発生したため、列車を一時運行休止しております。皆様に多大なご迷惑をおかけしていることを、深くお詫び申し上げます。ただいま、田山線山王平駅において………」

 田村 圭吾 二十五歳。両親は十歳のころに事故で亡くし、祖父母に育てられる。感情は薄いと小中高に渡り担任から指摘された。大学は行かず、中小企業で営業職として就職、上司からのパワハラを含む精神攻撃により退職、その後は無職を続け、三月二十五日、午後三時三十分ごろ、田山線山王平駅において、ホームから飛び降り、即死。警察は、自殺とみて、この男の生涯にピリオドを打った。


次回、日常(2)

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