44 未来へ
公爵を傍に置くことを決めた数日のことだった。
私はヴェロニカ公爵を連れて王宮の廊下を歩いていた。
「陛下、どちらへ行かれるのですか?」
「執務室だ。今から仕事をする」
私は後ろを歩くヴェロニカ公爵をチラリと見た。
あれから念のため、王家の諜報員にヴェロニカ公爵のことを調べさせたが特に怪しいところは見られなかった。
謁見の間での彼の言葉に嘘があったとも思えない。
それに何よりヴェロニカ公爵は噂通りの優秀な男だった。
アレクがいない今、私は色々な面でかなり彼に助けられている。
(……それでもまだ完全に信用したわけではないが)
少なくとも、しばらくの間傍に置いておいてもいいだろう。
それが私の出した結論だ。
「……一つ、聞き忘れていたことがあった」
私は立ち止まって、後ろを歩いていたヴェロニカ公爵の方を振り返った。
「……?何でしょうか……?」
公爵は突然そんなことを言い出した私を戸惑ったような顔で見た。
「君たちが犯した大きな過ちとは一体何だ?」
私はどうしてもそれを知りたかった。
フランチェスカを気にかけていたのなら、何故行動に移さなかったのか。
何故こんなにも長い間放っておいたのか。
私に責める資格など無いことは分かっているが、どうしても気になったのだ。
私の問いにヴェロニカ公爵は一瞬だけ驚いたような顔をした後に、真実をポツリポツリと語り始めた。
「……私は、分からなかったのです」
「……」
ヴェロニカ公爵は目を伏せた。
「当時の私はまだ幼く、突然両親を二人同時に失くした彼女にどう接すればいいのかが分かりませんでした。私には私を心から愛してくれる優しい両親がいました。だから、彼女の気持ちを理解することが出来なかったのです」
彼は拳をギュッと握りしめていた。
その声は僅かに震えている。
「私の両親も同じ気持ちだったのでしょう。家族を失くしたばかりの幼い少女への接し方が分からなかったのかと思います。……突然新しい家族だと言われても困惑するだけでしょうから。」
「……それで、フランチェスカを放っておいたと?」
「はい、今思えば私だけでも彼女に寄り添ってあげるべきでした。しかし、当時の私にはそれが出来なかった。そして気付けばその状態のまま十年以上が経過していて余計に接しづらくなってしまったのです」
「……」
私が知らなかっただけで、ヴェロニカ公爵家にも色々と事情があったようだ。
(……今さら後悔したって遅いだろう)
そう言ってやりたいが、それは私が言えることではない。
私もまた彼女には随分と酷いことをしてきたのだから。
「……信じられない話かもしれませんが、私の父は死の直前までフランチェスカのことを悔いていました」
「……あの男がか?」
私はフランチェスカの叔父であり、公爵の父親である先代のヴェロニカ公爵を思い浮かべた。
私はあの男とフランチェスカが話しているところを見たことが無い。
公爵邸の廊下ですれ違ったとき当時王太子だった私に挨拶をしてくることはあったが、隣にいたフランチェスカに対しては視界に入れることすらしなかった。
(……ヴェロニカ公爵家の中でも一番フランチェスカに興味が無さそうだったのにな)
「はい、あんな接し方をしてしまったけれど本当は娘が出来て嬉しかった……と父は最後にそう口にしておりました」
「……」
公爵はグッと何かを堪えるようにして俯いた。
おそらく私と思っていることは同じなはずだ。
公爵家の人間がいくらフランチェスカを気にかけていようとも、彼女がそのことを知る日は永遠に来ない。
今、彼の心の中は悔しさで溢れているのだろう。
私には、公爵の気持ちが痛いほど理解出来た。
「母も同じです。私の母は父が亡くなり、私が爵位を継いだ後も引き続き公爵邸に住んでいましたがフランチェスカの訃報を聞き領地に引きこもりました」
「……そう、だったのか」
どうやら後悔していたのは私だけではなかったようだ。
公爵とこうやって話して初めてそのことを知った。
私はそこで前を向いた。
そして再び執務室への道を歩き出した。
「……公爵は、最近レスタリア公爵の養女となった女のことを知っているか?」
私は前を向いたままヴェロニカ公爵に尋ねた。
「ええ、存じております。たしか、陛下の愛妾だった――」
公爵はそこまで言って口を噤んだ。
触れてはいけないことだと思ったのだろうか。
彼はその先の言葉を口にすることはなかった。
しかし私は公爵を咎めるつもりなどさらさらない。
「――そうだ。私は五年もの間あの女にかまけ、フランチェスカを蔑ろにしていた」
「陛下……」
「本当に最低なことをしたと思う。あのときのことは悔やんでも悔やみきれない」
「……」
ヴェロニカ公爵はただ私の話をじっと聞いていた。
前を向いているため、彼の顔は見えない。
愚かな王に呆れたような顔をしているだろうか。
それとも侮蔑のこもった目を向けているだろうか。
しかし、それでも別にかまわなかった。
自分が何と思われようとも別に気にならない。
自分はそれだけのことをしてきたのだし、そう思われるのは当然のことだと思っているからだ。
だけど、これだけはどうしても伝えておきたかった。
「だが、過去のことをいつまでも気にしていて何になる?私たちが後悔したところで彼女にそれが伝わることはない。彼女はもうこの世にはいないのだから」
「……」
「どれだけ後悔しようとも、過去に犯した過ちが消えることはない。過去を悔いるよりも他にするべきことがあるだろう。――少なくとも、私はそう思っている」
「……」
私の言葉に、公爵はしばらくの間黙り込んでいた。
シンとした王宮の廊下に私と公爵の靴の音だけが鳴り響いている。
しばらくして、ようやく執務室に着いた。
いつもよりこの道が長く感じたのは私の気のせいだろうか。
私が執務室のドアを開けようとしたそのとき、黙り込んでいた公爵が突然口を開いた。
「ははは……その通りですね……陛下……」
後ろにいたヴェロニカ公爵が私にだけ聞こえるような小さな声でそう言った。
私は振り返って彼を見た。
「……」
そのときの彼は、先ほどとは打って変わってどこか晴れ晴れとした顔をしていた。




