17 知らなかったこと
「……」
私はホワイト侯爵令嬢とダンスをした後、一人会場の外にいた。
外は既に暗くなっていて月が出ている。
私は外を歩きながら、先ほどの侯爵令嬢の言葉を思い出していた。
『――陛下だって、王妃陛下のことを愛していらっしゃらなかったじゃないですか』
『陛下はさぞかし嬉しいでしょうね、邪魔だった王妃陛下がいなくなって』
『――それって、陛下が殺したも同然ですよね。結婚前にあんなこと言われたら誰だって死にたいって思いますもの』
(……何も、言い返せなかった)
侯爵令嬢が言った言葉の一つ一つが私の心を抉った。
まだ完全に傷が癒えていないというのに、今回の件で私の心は更にズタズタになった。
(全て自業自得ではあるが……)
誰が一番彼女を傷つけたかなんてそんなのは分かっている。
侯爵令嬢の言ったことがあながち間違いではないということも。
「……」
一曲踊っただけだというのに、ひどく疲れている自分がいた。
それにしても、まさかホワイト侯爵令嬢があそこまで知っているとは思わなかった。
侯爵家の力を使って調べたのだろうか。
外見はまるで似ていないが、そういう嫌味なところは父であるホワイト侯爵にそっくりだなと思う。
ホワイト侯爵令嬢の言う通り、王妃というのは王の寵愛だけでなれるものではない。
血筋・容姿・教養の全てが一級品でなければならない。
そう思うと、フレイアを本気で王妃にしようとしていた頃の自分は本当にどうかしていたなと思う。
あのとき何故、侯爵令嬢に対してあんなことを言ってしまったのか分からない。
一国の王ならば、国のためを思って侯爵令嬢を新しい王妃として迎えるべきだっただろう。
しかし、私にはどうしてもそれが出来なかった。
何より、同じ過ちを繰り返したくなかった。
(……私は愚王だ)
ただ他に後継者がいなかったというたったそれだけの理由でこの国のトップになれた男。
それが私だ。
もし父上と母上の間に他にも王子がいたら、私は今きっと王という地位には就いていないだろう。
フランチェスカがいなくなってから自分に対する嫌悪感は増すばかりだ。
元々自分のことを優秀な人間だとは思っていなかったが、ここまで愚かだったとは。
(……私は、王としても、人としても最低だ)
そんなことを考えながらも私は歩き続ける。
行く当てなど特に無い。
とにかくあの場所から離れたかった。
私はやはり貴族令嬢というものが苦手らしい。
外見は美しくても、中身は欲にまみれているのだから。
本当ならこのままどこか遠くへ逃げてしまいたかった。
しかし自身が王という立場である以上、そんなことは出来ない。
「ん……?」
しばらく歩いていた私は、ふと立ち止まった。
考えるのに夢中で気が付かなかったが、どうやら歩いているうちにかなり遠くまで来ていたらしい。
(ここはどこだ……?)
そう思い、辺りを見渡してみる。
(……この感じは)
何故か分からない。
王になってからはこんなところまではほとんど来たことなど無いはずなのに、自分が今いる場所には見覚えがあった。
どこか懐かしい感じがする。
(もしかしてここは……)
驚くことに、私が今いるのは王宮の庭園だった。
フランチェスカの好きだった場所で、私にとっては彼女との思い出が詰まっている大切な場所でもある。
(…………まだあったんだな、ここは)
私はこのとき、この場所が今でも存在してくれているということに安堵した。
王宮の庭園で佇むフランチェスカの夢を見てから、私はずっとこの場所が気になっていた。
しかし、長い間行っていなかったものだから今さら彼女が好きだった場所へ訪れることに躊躇している自分もいた。
それに、放置されて荒れ果てた庭園を見るのも嫌だった。
もしそれを見てしまったら、大切な思い出が壊れてしまうような、そんな気がしたから。
(……しかし、そんな心配は杞憂だったようだな)
フランチェスカが好きだった庭園は今でもしっかりと手入れが行き届いていた。
腕のいい庭師がいるのだろうか。
今は夜で分かりづらいが、色とりどりの花が美しく咲き誇っている。
私の思い出の中にある王宮の庭園と全く変わっていない。
それだけでもう嬉しかった。
だけど…………
――フランチェスカと共にいたときの方が、美しく見えるのは何故だろうか。
心の中で、どこか寂しさを感じていた。
(フランチェスカ……やはり私は……君がいないとダメみたいだ……)
フランチェスカと二人でいる王宮の庭園はいつだって光り輝いていた。
彼女がいないというだけでこんなにも世界が違って見えるとは思わなかった。
(………………もう戻ろう)
フランチェスカとの思い出が詰まった場所にいれば気分も良くなるかと思ったが、虚しくなっただけだった。
何より、突然会場から抜け出したのだから貴族たちも困惑しているだろう。
そう思い、庭園から立ち去ろうとしたそのときだった――
――ガサガサッ
「!」
突然背後から物音がした。
「誰だッ!?」
私は慌てて音のした方に目をやった。
少しして、ある人物が茂みから姿を現わした。
「え!?国王陛下!?今は舞踏会の最中のはずじゃ……!?」
私の前に出て来たのは、一人の青年だった。
十代後半といったところだろうか。
身なりからして彼は恐らく貴族ではない。
「お前は一体誰だ?何故こんなところにいる?」
青年は驚いた顔で固まっていたが、私が厳しい口調で尋ねると慌てて口を開いた。
「わ、私は庭師です!王妃陛下にこの庭園の管理を任されていた者です……!」
「……フランチェスカに?」
どうやら青年は庭師で、この庭園の手入れをしに来たらしい。
「はい、王妃陛下が生前おっしゃっていました。ここは私にとって大切な場所だからしっかりと手入れをしてほしいと……」
「……そうだったのか」
(大切な場所……)
フランチェスカが王妃になってからもこの場所を気にかけていたなんて知らなかった。
ただでさえ王妃の仕事で忙しいというのに、ここまでしてくれていたのか。
フランチェスカは本当に心優しい女性だ。
私は貴族令嬢が苦手だったが、彼女にだけは気を許していた。
彼女がここを大切な場所だと言ってくれたことが嬉しくて、自然と胸が温かくなった。
「……それにしても、ここは昔から何も変わっていないな。久しぶりに来たが……」
「はい、王妃陛下があまり変えないでほしいとおっしゃっていたので……」
「そうか……」
庭師のその言葉を聞いて、私はもう一度庭園をぐるりと見回した。
(……本当に何から何まで変わっていないんだな)
そう思いながら花をじっと見ていた私に、庭師が話しかけた。
「……国王陛下は、王妃陛下が一番好きだった花をご存知ですか?」
そのときの庭師の声は、私を見て怯えていたときとは打って変わって非常に穏やかだった。
「…………いや、知らない」
「……そうですか」
私がハッキリとそう告げると、庭師は悲しそうに目を伏せた。
(フランチェスカが……好きだった花……)
このとき、私は彼女のことをもっと知りたいと思った。
何が好きで何が嫌いなのか、普段何をして過ごしていたのかなど全て。
だからだろうか。
聞くつもりなんて別に無かったのに、気付けば口が勝手に動いていた。
「よければ……教えてくれないか……彼女が……どの花が好きだったのか……」
「……!」
私の言葉に庭師の青年は一度黙り込んだ後、庭園の中のある一点をゆっくりと指差した。
「……あそこに、綺麗な青い花がたくさん咲いているでしょう?――あれが、王妃陛下の最も好きだった花です」
「あれは……」
それを見た私の頭によぎったのは、あの花を持って満面の笑みを浮かべるフランチェスカの姿だった。
『このお花、レオの瞳の色にそっくり!』
庭師が指差した花は私のよく知っている花だった。
忘れるはずがない。
幼い頃から何度も何度も見てきた花。
フランチェスカがよく私の瞳に似ていて綺麗だと言っていた。
あの花を見ていると私を思い出すから好きなのだ、とも。
『レオ!今日はレオの誕生日でしょう?綺麗なお花が咲いてたの。レオの瞳の色にそっくりだったから摘んできちゃった!』
彼女と出会ってから初めて迎えた誕生日。
まだ幼い彼女がくれたのはあの花だった。
庭園に咲いているたった一輪の花なのに、今じゃどんな高価な宝石よりも価値のあるもののように感じる。
(……そうか、あの花が、彼女の……)
「――陛下!こんなところにいらっしゃったのですか!」
そのとき、突然背後から声がした。
「……!」
ハァハァと息を切らしながらこちらに駆け寄ってきていたのは侍従だった。
侍従は私の前まで来ると声を荒げた。
「困りますよ、陛下!陛下は舞踏会の主役なのですよ!開始早々抜け出すだなんて何を考えて……ってここは……」
そこで侍従は私のいた場所が庭園であるということに気付いたらしく、目を丸くして辺りを見渡した。
「何で……今になってここに来たんですか……陛下……」
侍従はひどく悲しそうな顔をして言った。
私はこのとき、愚かにも彼のその顔の意味が分からなかった。
「……気付いたらここに来ていたんだ。自分でも何故か分からない」
嘘を付く理由も無かったので、正直に答えた。
しかし侍従は、その答えを聞いた途端暗い顔で俯いた。
そして、そのまま震える声で私に尋ねた。
「……陛下はフランチェスカ様がまだご存命だった頃、ここでよくお茶をしていたのをご存知ですか?」
「……」
急に何を言い出すのだろうと思った。
そんなのは知っているに決まっている。
何故なら私もその場にいたのだから。
「……?知ってるに決まっているだろう。幼い頃私とここでよくお茶を……」
「違います、陛下。私が言っているのはフランチェスカ様が王妃になってからの話です」
「な、なに……?」
(フランチェスカが王妃になってからの話だと……?)
王妃になった彼女とお茶などしたことはない。
私はこのとき、侍従の言っていることが理解出来なかった。
「……やはりご存知なかったのですね」
そんな私の反応を見た侍従の唇が震えた。
そして彼のその瞳には、私に対する哀れみが込められている。
「フランチェスカ様は王妃になった後もよくここでお茶をしていたのですよ、たった一人で。…………席は二人分用意されていましたが」
「な、何故……」
侍従の話に私は衝撃を受けた。
(私が来ないことなど彼女は分かっていたはずだ……それなのに何故だ……)
そんな私の心の中を読んだかのように、侍従は口を開いた。
「……………戻りたかったんじゃないでしょうか。あの頃の二人に」
「……!」
「陛下が来るわけがないということを知っていても、心のどこかでは陛下を信じていたのでしょうね」
「……そ、そんな」
(まさか、本当なのか?)
私はそう思って侍従から庭師の方へと顔を向けた。
私と目を合わせた彼は悲痛な面持ちで私から顔を背けた。
(う、嘘だろう……そんな……!)
その反応で、侍従の言ったことが真実だということを悟った。
フランチェスカは最後の最後まで私を信じていたというのか。
あれだけ酷い扱いを受けても私を恨まず、きっといつか戻ってきてくれると信じて、二人の思い出が詰まったこの場所で待ち続けていたのか。
どれだけ寂しかっただろうか。
どれほど苦しかっただろうか。
私では想像も出来ないほど巨大な悲しみに暮れていたに違いない。
「フランチェスカ……!」
そう叫んだ私の目からは、自然と涙が零れていた。




