12 侮蔑
あの後、私は自室で一人呆然としていた。
「陛下、大丈夫ですか?」
部屋にいた侍従が私に声をかけてきた。
抜け殻のようになった私を心配する素振りをしてはいるが、その声は冷たかった。
「あぁ、平気だ。これくらいどうだってことない。……フランチェスカは私の何倍も辛い思いをしてきただろうからな」
そうだ、彼女の痛みに比べたらこんな蔑みなどどうだってことない。
父は賢王だった。
文武両道で非常に優秀であり、また国王としては珍しく愛妻家としても知られていた。
厳しい人ではあったが私はそんな父が大好きだった。
幼い頃、勉強のし過ぎで体調を崩したことがあった。
父の子供は王妃である母との間に出来た私だけで、私に兄弟はいない。
そのため私は子供の頃から周りに「唯一の後継者であり、代えのきかない存在」なのだとよく言われた。
幼い私はそんな重圧に耐えきれなくて倒れてしまった。
そんなとき、父が私の部屋まで見舞いに訪れた。
厳しい父のことだから叱責されるのだろうと思っていた。
その程度で倒れるだなんてみっともない、恥だと。
しかし、そのとき父からかけられたのは意外な言葉だった。
『レオン、頑張るのは良いことだが無理はするな。お前はたしかに唯一の後継者だ。だがそれ以前に私の大切な一人息子でもある』
驚くことに父は私を自分の後を継ぐ人では無く、ちゃんと息子として見てくれていたのだ。
このときのことは十年以上経った今でも忘れられない。
(母上は……)
母上は本当に優しい人だった。
元公爵令嬢という身分で、父とは幼い頃からの許嫁だったそうだが高位貴族の令嬢にありがちな傲慢さも無く穏やかな人だ。
少しだけフランチェスカに似ているような気がする。
『レオ、執務が早めに終わったの。だから今からお茶でもしましょう。久しぶりにレオとゆっくり話したいのよ。フランチェスカとのことも色々聞かせてほしいわ!』
王妃という多忙な身であるにもかかわらず母上は少しでも時間が空くといつも私と一緒に過ごしてくれた。
母はそんなときいつだって優しい顔で私の話を聞いてくれた。
(……)
私の脳裏に先ほどの両親からの冷たい言葉が浮かび上がる。
『私たちは二度とここへは来ない。親子の縁も切る』
『今の貴方にはフランチェスカよりもそのフレイアとかいう平民女の方がお似合いよ』
私は勘当されたのだ。
両親はもう頼れない。
これからは私一人で生きていくしかない。
「……」
そのときふと、昔父と母が言っていた言葉を思い出した。
『いいか、レオン。お前はこの先様々な人間と出会い、関わりを持つことになるだろう。その中で王妃以外の女性を愛する日も来るかもしれない。だが絶対に王妃を蔑ろにしてはいけない。いいな?』
『そうよ、レオン。この先何があってもフランチェスカのことだけは絶対に大切にしなさい。彼女は素敵な人間よ。あんなにも貴方を愛してくれるんですもの』
(……あぁ、怒るのも当然だな)
父上と母上の言う通りだ。
何故こんなにも大切な教えを忘れていたのだろう。
――絶対に、例え死んでも守らなければならないことだったのに。
考え込んでいたそのとき、勢いよく自室の扉が開いた。
「レオン様ぁ~!」
(げっ、この声はまさか……)
嫌な予感がしながらも扉の方を見ると、派手なドレスに身を包んだフレイアがいた。
体中にジャラジャラと宝石を着けている。
(……あのファッションは一体何なんだ)
ハッキリ言って全くフレイアに似合っていないし、周りもドン引きしている。
しかし彼女はそんなもの気にも留めていないようだ。
フランチェスカはシンプルなドレスを好んで着ていたのに。
フレイアは私を見ると心配そうな顔をした。
その顔が本心なのかどうかも今ではもうよく分からない。
「レオン様ッ!?顔色が悪いですよ!大丈夫ですか!?」
「何でもない」
私はそれだけ言うとフレイアから顔を背けた。
彼女に早くここから出て行ってほしかった私はフレイアに冷たく接した。
「……」
フレイアは私の態度にかなりショックを受けているようだった。
隣にいた侍従はフレイアを忌々しそうな目で見ている。
「あっ、そうだレオン様ッ!この後お茶でもしませんか!?」
フレイアは顔を上げて慌てたように言った。
自分でも私の寵愛が無くなってきていることを感じて焦っているのだろう。
「……悪いが、忙しいんだ。出て行ってくれ」
「えっ、そんな……ッ」
フレイアは泣きそうな顔をしたが私は気にせず強く言った。
「出て行け」
「ッ……」
そこでフレイアはようやく諦めて部屋を出て行った。
(やっと行ったか……)
フレイアが出て行った後、私はすぐ傍にいた侍従に尋ねた。
「……おい、フレイアはいつからあんな女になった?私が知り合った頃とだいぶ違うようだが……」
私の言葉に侍従は呆れたような顔をして言った。
「……陛下、馬鹿なことを言わないでください。彼女は最初からああいう人間ですよ」
「な、なんだと……?そんな……嘘だろう……?」
侍従はショックを受けて固まる私をまるで可哀そうなものを見るかのような目で見つめた。
「……陛下は彼女の美しい容姿と巧みな話術に騙されていたのですよ。こう言えば分かりますか?」
「……」
言葉が出なかった。
(騙されていた……?最初から……?)
さらに追い打ちをかけるかのように侍従は言葉を続けた。
「彼女は昔から何一つ変わっておりません。フレイア様は元々そういう人間なのです。周りを見下し、目的のためなら手段を選ばない。打算的で自分のことしか考えない。陛下の寵愛を笠に着て王宮では好き放題。王宮にいる人間は、陛下のフレイア様に対するご寵愛ぶりをよく知っていましたから彼女を咎められる人間など誰もおりません。フレイア様のような人のことを世間では悪女と言うのでしょうね」
その言葉の一つ一つが私に重たくのしかかった。
「……そう……か……そう……だったのか……」
フレイアは元々ああいう女だったのだ。
ただ私が気付かなかったというだけで。
「陛下、フレイア様をどうなさるおつもりですか?」
侍従が私に尋ねた。
「……」
「フレイア様は浪費が激しすぎます。このままでは国の財政は破綻してしまうでしょう」
「……分かっている」
フレイアはドレスや宝石を買い漁っている。
舞踏会用の豪華なドレスを普段着として使っているのだ。
このままでは国庫が底をついてしまう。
(……近いうちに追い出すか)
私は遂にフレイアを王宮から追い出すことを決めた。
このときの私は平民一人を追い出すくらい簡単なことだと考えていた。
しかし、実際はそうではなかった。




