『2-1・屑鉄』
都立早田高校の、その日最後の授業時間。
二年A組の六限目の授業は地理であった。
夏休みまで残り一週間。
定期テストも終えて気の抜けた雰囲気が漂う中、夏の盛りを前にして誰もが気だるげであった。
二年A組の教室のエアコンが故障しているせいもある。
窓を開けていても、風一つない猛暑日を前にしては何の意味も効果もなかった。
生徒の誰もが集中力を欠き授業をまともに聞いている様子はない。椅子に座っていることすら辛そうな様子で、授業が早く終わることを口に出さずとも祈っているのが分かる。
教室の隅に座る鉄未來も、授業に真剣に耳を傾けていない一人であった。
茶髪と癖毛が入り混じった黒髪のショート。そばかすの多い頬をそのままにした化粧っ気の無さと地味な顔立ち。
端から見れば真面目そうにも見える彼女は、授業は聞いてないが真剣な面持ちで熱心に手を動かしてはいた。
もっとも、それは授業とは関係ないものである。
授業は今、2015年の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」についての説明とその社会的背景についての説明を行っていたが、未來の手元にあるのはペンとノートではない。
精密ドライバーなどの工具類と分解された置時計であった。
何も書かれていないノートの上に整然と並んだ時計の部品。
ネジとバネを透明なケースにしまい、未來は指先でピンセットを繊細に操り小さな歯車をつまむ。
古くなり酸化し埃がこびりついた油を落とし、新しく油を丁寧に塗りなおす。
かみ合わなくなっている歯車を削り直し、足りなくなった分は手持ちのパーツの中から適合しそうな物を探す。
ジャンクパーツの中から合いそうな物を見つけ上手く噛みあうように、工具で削る。
未來がやっているのは壊れた古い置き時計の修理だった。
中身をバラされたそれは、かつて流行したキャラクターが外装にプリントされた安っぽいもので、年季が入っていてプリントは剥がれかけている。
壊れて動かなくなった時計を未來は趣味で修理していた。
通学路の道中にあるゴミ捨て場に、粗大ゴミに紛れて捨ててあったのだ。
薄汚れた時計の姿に、忘れられた流行り物のキャラクターの掠れた印刷に、かつて愛されたであろう過去を未來は想起した。
とてもいたたまれない気持ちになったのだ。
未來にとってはこの手の出来事は一度や二度ではない。
彼女が通学鞄の中に幾つもの工具を忍ばせているのは、そんな習慣のせいだ。
「……この歯車が欠けたから動かなくなってしまったんですね。ふふっ」
未來は手を止めて小さな独り言を喋る。
修理の目途が立って内心興奮を隠せない未來はそれ故に、近付いてくる教師の影に気が付かなかった。
「鉄、何をしている」
「ひゃぁあっ!?」
突然苗字を呼ばれて、未來は驚きのあまり奇声を上げる。
それと共に机の下の両足を思いっきり跳ね上げると、机が盛大にひっくり返る。
机の上に並べられたパーツや工具が宙を舞う。
バネが床を跳ねて、ネジが教室の隅まで転がって、隣の生徒の机にドライバーが突き刺さる。
騒々しい音が注目を集めた。
教室内全員の視線が未來へ向く。
床に落ちた置時計はより一層の修理が必要な位に無残な姿へ変わっていた。
ぶちまけたパーツが音を立てながら生徒達の足元へ散っていく。
薄汚れた古いキャラクタープリントを見て、周囲の生徒達が囁き声で会話を交わす。
「なにあれ……」
「ゴミぶちまけた?」
「まーたクズ鉄が何かキモイことやってるよ」
それは未來の耳にも届く位の声量で。
衆目の渦中となった気恥ずかしさから未來はたまらず顔を伏せる。
硬直して押し黙った彼女と周囲に転がったゴミを前に、言うべき言葉が分からなくなった教師は尻すぼみな注意をして彼女の前を去っていった。
授業はそのまま再開したが、俯いたままの未來への囁きは消えない。
その中には「クズ鉄」という言葉が何度も聞こえた。
鉄という苗字と、彼女が度々ゴミを持っていることに対する揶揄だった。
奇特な彼女の行動に誰もが白い目を向けている中、一人だけが違う目線を向けていた。
未來の隣の席に座っている女生徒、風野雫だった。
雫はその机に刺さった工具を未來へ手渡す。
「はい、これ。ドライバー? だっけ?」
未來は雫の厚意に動揺し、その一端をクラス中が固唾を呑み見守っていた。
雫という生徒は周囲の注目を引く。
それは彼女が一人だけ違う制服を着ているせいだとか、彼女が期末テスト前の時季外れの転入をしてきたから、という理由ではない。
その容姿だった。
はっきりとした目鼻立ちに綺麗な輪郭線。
ブラウン系の明るいロングヘアにウェーブをかけ、ボリュームを増したまつ毛や立体感を付けた目元からは化粧慣れしているのが伺える。
垢ぬけた容姿を支える長い手足とスタイルの良さ。
まるで今、この教室で何かの撮影でもしているのかと思わせる。
そんな存在から、住む世界が全く違う相手から、突然話しかけられ、未來は何も反応できず。
口の中で、言葉にならないような音を噛みながら工具を受け取るのみだった。
そうして素早く手を引っ込め、視線を下に向ける。
苦手とする他人とのコミュニケーションをいち早く終わらせようとした未來だったが、そんなことに気付かぬ様子で雫は会話を続けようとする。
「もしかして時計の修理? 出来んの?」
未來はただ上手く言葉に出来ない声を、何かの鳴き声のように口の端から漏らすだけだった。
今まで隣に座っていた雫から話しかけられたことなど初めてで未來は完全に動揺と焦りを抱く。
雫が尚も会話を続けようとしていると、授業の終わりを告げるチャイムがなった。
教師が授業の終わりを告げると教室中が歓喜に沸く。
雫が未來の方に身を乗り出して言う。
「名前、鉄さんだよね? ちょっとさ、お願いがあんだけど」
これ以上の会話は無理だと未來は椅子から一気に立ち上がる。
そして口を開く。
「わ、私は、ここ、っこ、これでっ!」
緊張のあまり、未來が思っていたよりも大きな声が出た。
それが気恥ずかしさを更に後押しし、たまらず未來は教室を飛び出す。
そんな彼女の後姿を、雫は興味深そうに見ていた。




