『1-1・前夜』
満月の夜だった。街外れの倉庫街、人気のない一画を月明かりが照らしている。
夜の静寂を切り裂いて甲高い金属音が鳴り響いた。硬い物体同士が勢いよくぶつかり合った質感の音。
月光の中で踊るように影が伸びる。
それは立ち合いであった。
対峙するは二人。
一人は少女だった。丈の長い深紅のドレスに身を包み、夜でもはっきりと分かるほど綺麗な黒髪をしていた。
天道陽花里。
財界で名の知れた天道家の令嬢が、その優雅な外見に似合わぬ分厚いナイフを手にし構えていた。
鋭く研ぎ澄まされたナイフの切っ先は、相対する男へと向けられている。
黒いパーカーのフードを目深に被り顔を隠した男。
何も持ってはいないが、その掌の辺りで光る粒子の様なものが漂っていた。
二人の間を隔てる物はない。距離にして約三メートル。
手を伸ばすには遠く、しかし背を向けるには近すぎる距離。
陽花里が動いた。
一瞬の躊躇いなくナイフを投擲した。
闇夜の中、月明かりを煌めかせた白刃が軌跡を描く。
その動きには明確な殺意が見えた。
飛んできたナイフに男は狼狽えることなく素早く手をかざす。
身を庇うのではなく受け止めるかのように。
男の手にナイフの切っ先が触れた瞬間。
それは起きた。
ナイフが手を貫くことはなかった。
見えない壁にぶつかったかのようにナイフが跳ね返ったのだ。
それは既存の物理法則を無視し、その切っ先は投擲した陽花里の方を向いて真っすぐに飛んだ。
その勢いを殺すことなく。
向けられたナイフをそのまま返した。
勢いよく飛んできたそれを、陽花里は冷静に身を翻して躱した。
行き場を失ったナイフが重力に引かれて地面に落ちると、その音は静まり返った倉庫街に響き渡る。
目にした光景に対して陽花里は冷静な分析を口にした。
男が何を「見せた」のかの答えに思い至ったのだ。
「SDGs16-平和と公正をすべての人にー。いえ……、真名―等しく力を赦さずー。確かに強力なSDGsですわね」
男が見せた奇跡。
それはSDGsと呼ばれる能力であった。
今の一手で陽花里はその性質を推測する。
おそらくは掌に展開した能力範囲に触れたものを跳ね返す能力。
所謂カウンターと呼べる類のもの。
ならば、と陽花里は動く。
男が構えなおす内に、陽花里は既に間合いまで踏み込んでいた。
投擲ではない。
近く、より近く。
次のステップで男の懐まで飛び込める距離。
男が動く。触れたものを跳ね返す能力を持っているのであれば、真正面から攻撃を受け止めようとしてくる筈。
男の反応を読み切っていた陽花里は身を屈め、ステップを踏む。ドレスであるのを苦ともせぬ様子で。
真っすぐに突っ込んでくると思っていた男の虚を突いて左に跳んで視線を外す。
反応が追いついた時には既に、陽花里は目の前へと躍り出ていた。
素早い足さばきと体重移動に何らかの武術の心得があるのが見て取れた。
その一挙一動に自信が宿っているのが分かる。
絢爛なドレスと華やかな顔立ちから見落とされがちであるが、彼女は決して華奢ではなかった。
それらの動きを支えるだけの鍛錬の成果が身に宿っている。動きで乱れたドレスの裾から覗く脚は鍛えられ引き締まっているのが見える。
その一瞬の身のこなしの最中、気が付けば陽花里の手には次のナイフが握られていた。
左の逆手に構えたナイフが正確に男の首筋を狙う。拳を突き出す動きでその軌道にナイフの刃を乗せる。
陽花里のナイフを見て男が咄嗟に構えた。ナイフの刃を真っ向から受け止めるように掌を向け怒鳴る。
「自分のナイフで貫かれるんだな!」
男の翳した掌を中心に半透明な結晶体がガラスのように現れる。
発動領域。
先程見せたSDGs16―等しく力を赦さずーの能力だった。
刃を受け止めるどころか、その持ち主へと返す強力な反射。
空中に発現した結晶体に触れれば、ナイフの刃は即座に持ち主へと牙を剝くであろう。
「刃は届かない。しかし」
ナイフの刃が発動領域に触れる寸前で動きを止める。陽花里の動きはナイフによる斬撃とは別のものへと一瞬で切り替わっていた。
ステップを踏む足捌きがまるで舞うかのように。彼女の動きは優雅にすら見えた。
フェイント。
直前までの攻撃を囮にして、男の視線を誘導する。
陽花里の本命である右手は、既に男の視界外にあった。
重く、けれど鋭く空を切る音。
男は顎に強烈な衝撃を感じた。血の味が口の中一杯に広がる。
鈍く、まるで鈍器かのように。
脳天まで貫くかのようなそれは意識を何処かへと弾き飛ばす。
重く、そして鋭い拳を放った。
アッパーカット。陽花里の突き上げた拳は正確に男の顎を打ち抜いていた。
「カウンターの動作よりも早く打ち込めば問題なくてよ」
クリーンヒットした拳は顎から脳へと一直線に衝撃を伝え、彼の脳をひどく激しく揺らす。一閃。たったの一撃で勝負は付いていた。
「な、なんなんだ……お前のSDGsは……」
男の震える声は呂律が回っておらず、まともに立っていることも難しい様子だった。
ふらつく彼の胸元を陽花里は指先で軽く押す。指先までも優雅な振る舞いだった。
そのまま背中から勢いよく、男は地面に崩れ落ちた。
それを前にして陽花里は優雅な所作でナイフを懐へと隠す。
一瞬で付いた勝負の結果に陽花里は淡々と言葉を吐き捨てた。
「貴方程度の相手にSDGsを使うまでもなくてよ」
倒れた勢いで男の首元からペンダントが転がり出ていた。
それを見て陽花里は眉を上げる。
細長い台形のペンダントトップで、ロイヤルブルーの光を湛えて微かに発光している。
気絶した男の傍にしゃがみ込み、陽花里はそのペンダントを手にする。
彼女の手の上で、それは一層光を放っている。
それを見て陽花里は呟く。
「ついに始まってしまったのですわね。SDGsを奪い合う戦いが」
Sustainable Development Goals.
それは2015年の国連総会で採択された国際目標の事を世間一般では指す。
表向きは。
だが、その真実は違う。
SDGsを持つ者であるからこそ陽花里はそれを知っていた。
17つある特殊能力の総称。
全てを手にした時、世界を思いのままに出来るとされる変革の力。
それがSDGs。




