第1話 知らない世界
スマホにセットしていたアラームが、鳴り響く前に目が覚めた。
昨日日付が変わるまでスマホでアニメを見ていた所為か、寝た気がしない。目の疲れが残ってるし、頭も重い。
「暗……」
念の為に置いていた置き時計の時間は、『AM 8:36』を示していた。
登校の時間は既に過ぎており、遅刻だ。
溜め息を吐きつつ、高校に電話する為に枕元のスマホを手に取る。
「?」
操作してもスマホの電源が付かず、充電が切れていた。スマホのアラームが鳴らなかった原因は、充電が切れていた所為の様だ。
コンセントが抜けてる訳でもないのに……停電か。て事は、冷蔵庫の中身とかも駄目になってるかもな。
一度体を伸ばして、ベッドから出て無駄に広い家の中を歩く。
「やっぱり、冷蔵庫も冷えてない」
氷やアイスは、水の様に溶けてしまっている。
生肉や野菜は、大丈夫そうだけど早めに火を通して食べた方が良さそうだ。
だけど、電気と水が止まってる現状で作れる物なんて殆どないんだよな。
現代社会は、凄く便利で安全ではあるけど電気とかの資源に依存しすぎている。だからと言って、電気や水道から水が出ない生活は想像できない。
ブレーカーは、異常なし、だと……。
計画停電のチラシもなかったし、本格的な停電かな。
というか、なんか外がうるさい。
警報?それとも、サイレンの様な音が鳴り続いている。
朝から何かあったのか。
眠気と怠さが残る緩慢な動作で、外が見えるカーテンが引かれたままの窓へ向かう。
あわよくば、休校になってないかな……。
すぐ近くで鳴り響くサイレンにうんざりしながら、マンションのカーテンを開ける。
「………何だ、これ?」
思わず首を傾げる。
俺が独りで住むマンションは、4階で少しだけなら街を俯瞰して観ることが出来た。
最初に目に飛び込んで来たのは、森だった。
街のど真ん中で、申し訳程度の林しかなかったマンションから見える景色が、一夜にして何処までも続く森へと変わってしまっている。
しかも、街の至る所に、何十メートルあるかも分からない巨大な木々が生えており、コンクリートは道の原型を留める事が出来ずに割れている。木々の中には、マンションや住居を突き破り成長している様子も見る事が出来た。
更に、地形が無理矢理変えられた事で地面からは水が吹き出し、そこら中の建物や街角から煙が登っている。
煙が昇って行く空は、太陽を黒い雲で覆い隠していた。
呆然としてマンションからの光景を見ていた俺は、マンションから出て行く大勢の人々の姿を見つける。大きな荷物を持っている事から、近くの学校や病院といった避難場所に移動しているのかもしれない。
俺も急いで、いつも多めに備蓄しておいた非常食や飲料水を鞄に詰め込む。そして、着替えなどもバッグに詰めると意外と荷物は多く、動き易さとは程遠い量になってしまった。
だが、また直ぐに戻って来れるとは限らない。
持てるだけの荷物を持って、1階へと向かう。そこには、自分と同じ様に逃げ遅れたと思われる住人達が慌てて階段から降りて来ており、我先へと無理矢理こじ開けた様に見える自動ドアの間から外に出て行く。
流石に、もう少し落ち着くべきなのではないかと思う。
周りで自分以上に慌てている人を見ると、逆に冷静になる法則通り幾らか頭がスッキリした。そして、窓から見た光景から状況を出来る限り整理してみる。
まず、マンションを出て進んだ先に森の様な木々があり、森の近くを地下から噴き出した水と何処からか流れて来た水によって小川になっていた。
いつも行っていた、マンションから見えるコンビニは見当たらず、そこら辺から大樹が伸びている。
もしかして、地形だけでなく、地理まで狂っているかもしれない。最悪、街中で迷子になる可能性も考えられる。
黒いパーカーのポケットからスマホを取り出す。
「使えないんだった……」
もしもの時、助けを呼ぶ連絡手段はない。
まずいな。
本当に外に出た方が安全なのか、分からなくなって来たぞ。
その時、「アンギャアアアア!」とか、「GIGAAAAAA」って感じの、まるでモンスターの様な叫び声と人々の悲鳴が重なって聞こえて来た。
何だ?!
思わず荷物を置いて、声が聞こえた方向に走り出してしまった。
勢い任せの行動は、若さ故の過ちや若気の至りとは良く言ったモノだが、俺はそんな自分の軽率な判断を直ぐに後悔する事になる。
「モンスター?」
緑色の肌をした子供の様な姿。
だが、残虐性が溢れる表情とギョロリとした黄色い眼球からは愛らしさのかけらも感じられない。その姿は、小鬼とも例えられるモンスター『ゴブリン』と良く似ていた。
「ギギャ?」
ゴブリンは、道に飛び出した俺に気付くと手に持っていた球体をこちらに投げる。
狙ってやった事なのか、転がって来た球体は俺の靴に当たって止まる。そして、その球体と目が合った途端、耐える事の出来ない不快感と恐怖によって吐いてしまった。
家を出る前に食べたコッペン(いちごジャム)が原型を留めずに、ただただ胃から食道を伝って外に吐き出される。
「「「ギギャギャギャァ!!」」」
俺の醜態を見たゴブリン達は、笑い声を上げて手に持っていた包丁を振りかざした。
「っ!!」
ほぼ反射的に躱す事が出来たが、ゴブリンは3体。
いつまでも逃げ回る事は出来そうにもない。
ボドッ……ボドッ……。
そんな鈍い音を立てて、俺の周囲に人間の部位だったパーツが落ちる。
ゴブリンが俺に向かって、殺された遺体の部位を投げつけていた。その光景に、再び吐き気を感じるが、寸前の所で飲み込む。
今吐いたら、殺される。
「地面に転がる首にはなりたくないだろ!!」と、自分に喝を入れる。
しかし、直ぐに取り出せる所に武器になりそうな物はない。
「グギギィイ!」
俺の不利な相手の状況を見て、跳びかかって来るゴブリンの包丁を躱し、咄嗟に手に取った石を投げ付けるが避けられる。
「ギガぁ!」
違う石を手に取った所で、背後から2体のゴブリンに押さえ付けられた。
「つっ……くそ…」
子供の様な体格から考えられない成人並の腕力に、動きが完全に封じられた。
駄目だ。逃げられない。
先程、石を投げつけたゴブリンが、隠し切れない怒りを現にして包丁を振り上げている。そして、何やら分からない言葉で俺に何か言っている。
だが、理由は分からないがゴブリンが何を言いたいのかが、なんとなく分かった様な気がした。
「ギィガギググ、ギィリガムァアギャキァ!(てめぇをぶっ殺して、人間首ボールにしてやるよ!)」
分かりたくなかった……。
自分の軽率な行動から招いた最悪な結果に、絶望と後悔が全身を支配する。そして、世界の動きが緩やかに見えた。
なんだよ。
死ぬ寸前に見るのは、走馬灯か時間遅延だと聞いていたけど、全くの出鱈目じゃないんだな。
「ギィ?」
いつまで経っても、痛みを感じない事を不思議に思い、無意識に閉じていた目を開ける。
「っ……」
目の前で、包丁を振り上げていた筈のゴブリンの首が斬り落とされていた。
首を斬られたゴブリンの背後には、厚手の黒いローブを纏い、右手にバスターソードの様な形状の剣を持つ大男が立っている。
剣には、ゴブリンの首を斬り落とした時に付いたと思われる血が付着していた。
仲間を殺されたゴブリン2体が大男に襲い掛かるが、一瞬で胴体と首が断ち斬られて絶命する。
あまりにも圧倒的な出来事に唖然としている俺に、大男は俺を見下ろしたまま何かを伝えようと話しかけて来た。
「お前と、話がしたい」
大男がしゃがみ込みと、フードの奥の素顔が見えた。
その素顔は、獅子の様な顔に鬼の角を2本生やしたかの様な姿だった。
「ひっ」と小さな悲鳴を上げそうになるも、ギリギリの所で飲み込む。
今の所、獅子顔の様なモンスターは言葉が通じる上に敵意がない。そんな相手を不快にさせる訳にはいかないと考えた。
「現状について、知っている事はあるか?」
「えっと、正直何も知りません」
適当な嘘をつく事は出来ない。
「そうか。では、食料と水を少し譲って欲しい」
「あ、はい」
俺は未だに震える体で立ち上がって、マンションの中から荷物を持って来る。
逃げた所で、逃げ切れるとは思えないので、素直に荷物から食料と水を取り出す。
「??」
獅子の様なモンスターは、手渡した缶詰を見つめる。そして、爪で引っ掻いたり臭いを嗅いだりしている。
「えっと」
缶詰やペットボトルの開け方が、分からなかった様だ。
俺は、分かりやすい様に缶詰を開けて目の前で食べて見せる。次いでに、喉がカラカラになっていたので水も飲む。
はぁ!生き返った……。
「美味い」
獅子顔の様なモンスターは、缶詰から水煮の魚を取り出して美味しそうに食べている。
「……お前、暫く俺に協力しないか?」
「え?!」
思いがけない言葉に、飲んでいた水を吹き出してしまった。
しまった、勿体ない。
「危険からは、俺が守る。お前は、知恵を貸せ」
正直、悪い話ではない。
先程の様なモンスターに襲われた時、自分で戦うより守って貰った方が安全だ。
今後、人間とモンスターがどんな生存競争をするかは分からないけど、今を生きられない奴が今後の出来事に関われる訳もない。それに、獅子顔の様なモンスターの力からして、俺を騙すメリットはあまりないだろう。
いざとなれば、欲しい物を力尽くで奪う事だって出来るだろうしな。
「分かりました。俺は、斎賀暁です」
「俺は、鬼人……名前はない」
布の間から見える黒毛の獣毛に覆われた肉体は、筋骨隆々としている。
俺の様な人間なら、片手で頭を割られそうな程に凶器的な肉体を持つ鬼人なのに名前がないのは不自然に感じた。
彼等にとっては普通なのかもしれないが、名前がある事が日常となっている俺にとっては違和感を感じる。
「だから、好きに呼べ」
そう言われても困るな。
だが、「好きに呼べ」と言われたなら呼ぶしかない。
「なら……オムニス、なんてどうですか?」
「……分かった」
鬼人、改め『オムニス』から名付けの承諾を得た瞬間、頭の中に警報が鳴り響く。
頭の内側から刃物を突き立てた様な痛みが駆け巡り、全身の血管が浮き上がる。
心臓が激しく脈打ち、叫び声を上げたくても、激痛の所為で声が出ない。
爪が剥がれかける程に地面を掻き、地面をのたうち回り、激痛に意識すら朦朧としかける。
《ワールドシステム『Eden』に適応外の人類から、半獣鬼人に対する名付けを確認…………システムエラー……》
《緊急処置によるシステムの修正を選択……………ーー強制的にワールドシステム『Eden』を人類『サイガ・アキラ』に適応します。》
《強制的なシステム干渉により、人類『サイガ・アキラ』の生命力が著しく低下。ワールドシステム『Eden』の適応に失敗ーー………。》
《『????』システムに介入。人類『サイガ・アキラ』が強制的なシステムの適応に成功。
条件達成により、LV:0→1に上昇。》
《固有スキル:『憂鬱』『虚飾』を獲得。》
《『????』の最高位管理者権限により、固有スキル:『虚飾』を強制行使。肉体的、精神的な致命傷が虚飾へと変換されました。》
《『最高位管理者より、『サイガ・アキラ』へ『All1』のペナルティーを実施………成功。
ユニークモンスター【傲慢】の『?????』を討伐する事でのみ解呪可能。』》
「おい、しっかりしろ!」
大きな手で体を揺さぶられる。
「大丈夫か!?」
ついさっき聞いたばかりの声がうるさくて、意識がはっきりとして来る。
「……い…き、てる?」
「お、おお!生きてるぞ!」
「……一体何だったんだ」
さっきまで頭に響いていた声のおかげで、原因は何となくではあるけど理解出来た。
体を確認すると先程の痛みや割れた爪が、幻だったかの様に消えている。
「おそらく、俺が『オムニス』の名を受諾した事が問題だったようだ」
オムニスの名付けが原因だったのは間違いないだろうが、それ以前に軽率な行動を取った俺も悪い部分がある。
だが、最高位管理者だか何だか知らないが、分かる訳ないだろうが!
「すまん。俺が軽率だった」
最高位管理者と名乗る誰かに憤慨している目の前で、オムニスが頭から布を取り跪いた。
「辞めて下さい。さっきのは、お互い悪くなかった、そう言う事で良いじゃないですか?」
「だが……いや、分かった」
布を取った素顔は、より野生を感じせる肉食獣の様な顔だった。頭には2本の角が生え、眉間には、右上から斬られた様な傷がある事で、より凶悪さを際立たせていた。