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二つの風  作者: Hiroko
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私はいつからこんな甘えん坊になったのだろう。

弘斗の前ではまるで違う人間みたい。

もしかしたらあれが本当の私なの?

わからない。

初めからなのだろうか?

気づかなかっただけ?

最初からそうしたかったの?

そうさせてくれる人がいなかっただけ?

そうしたいと思える人がいなかっただけ?

弘斗が帰って、私は自分の部屋に戻ってから、ずっとそんなことを考え続けた。

これからは、もっと弘斗に話しかけていいんだろうか。

寂しい時は、寂しいって言っていいんだろうか。

私が……、弘斗の彼女。

「私は、弘斗の彼女」声に出して言ってみた。

あー、私はいつからこんな風になったんだろう。

誰かに見られたわけでもないのに、急激に恥ずかしくなっていった。

あ、そうだ!?

と思い出し、私はLINEを開いて加乃に「ありがとう」と送った。


 どうなった?


と即座に加乃から返事があった。


 うん。ちゃんと付き合うことになった。


 ほんとに!?

 やったーーー!


 ぜんぶ加乃のおかげだよ。


 ほんとだよ!

 こんどマックシェイクおごってもらうから。


 わかった。

 約束する!


 うん!

 じゃあ、明日学校でね。

 おやすみ!


 おやすみなさい!


加乃はもしかして、私を気にして起きていてくれたのだろうか。

時計を見ると、午前一時を過ぎていた。


その週の土曜日、午前中で授業を終えて家に帰ると、唯ちゃんが来ていた。

「あ、唯ちゃん、珍しいね、土曜にくるなんて」

土日はだいたい智子おばさんは仕事が休みなので、唯ちゃんを連れてどこかに出かけているのだ。

「今日はなんか、急な仕事が入ったんだって! 朝に慌てて智子が預けに来たの」お母さんが台所から顔を出して言った。

「そうなんだねー」と私は台所に向かって返事を返した。

唯ちゃんは今日はサクランボの飾りのついた赤色のヘアバンドをしていた。

「今日さあ、あなた、なんか用事ある?」お母さんは台所から出て、私のところにきて言った。

「ううん、別にないけど」

「それならさあ、唯ちゃんをちょっと連れ出してあげてよ。ずっと家の中にいるのも可哀想でしょ」

「うん、いいよ。海岸にでも散歩に行ってくるよ」

「うん、そうしてあげて? 美咲、お昼ごはんまだでしょ?」

「うん。まだ」

「お金あげるから、ちょっと二人で外で食べてきてよ」

「うん。いいよ? 唯ちゃん、ちょっと待っててね。先にちょっと着替えてくるから」

唯ちゃんは何も言わずに私を見上げて頷いた。

あれ? ちょっと元気ないかな、唯ちゃん。私はそう思いながらも自分の部屋に入った。

すると間もなくお母さんもそっと私の部屋に入ってきて、まるで内緒ごとでも話すように小さな声で言った。

「唯ちゃんね、ちょっと元気がないらしいの」

「うん。私も今そう思った」

「あら、やっぱりわかる? 智子に、朝唯ちゃんを預かる時にそう言われたの。だから、ちょっと元気づけてあげてね」

「うん。もちろん。でも、どうしてなの?」

「それがわからないんだって。熱とかがあるわけでもないらしいし、本人に聞いても別にどこも悪くないって言うみたいで」

「そうなんだ」

「だからね、お願いね」

「うん。わかった」そう言って私は着替え終わると、さっそく唯ちゃんを連れて外に出た。


空にはうっすら雲が出ていた。

天気予報、見てこなかったよ……。

私はその空がいずれ崩れて雨を降らせぬよう、祈りを込めるような目でじっと見つめた。

私はしばらく黙って唯ちゃんの様子を見ながら歩いた。

歩くペースも同じだし、おでこに触っても熱がある様子はない。

一応、寒くないように、冬に家で着せていた半纏(はんてん)を着せている。

普段なら、外を出歩くときにそんなものを着るのは嫌だと言う唯ちゃんだったが、今日は大人しく言うことを聞いてくれた。もこもこと歩く姿が可愛かったけど、なんだか今日はそんな微笑ましい気分にもならない。

もし体調が悪いなら、唯ちゃんはいつもほっぺたが赤くなったり目が潤んで見えるのですぐ気づく。

今日はそれはない。けど……。

何と言うか、今日の唯ちゃんには目の輝きがない。

それに何となく無口で、落ち着きがない。

周りを気にしていると言うか、手を繋いで歩いていると、時々後ろを振り返ったり、怯えるように繋いだ手を痛くなるくらい強く握ってきたりする。

「ねえ、どうしたの?」と聞いても首を振るばかりで何も答えてくれない。

連れ出したのは、ちょっと失敗だったかな……、と思ったりした。

今は何ともなくても、夕方には熱でも出しているかもしれない。

そんな風に感じた。

唯ちゃんのお気に入りの定食屋さんでハンバーグを食べている時も、どこか上の空だった。

いつもなら、笑ってしまうくらいがっついて食べるのだ。

「唯ちゃん、ほんとに大丈夫?」そう聞いても頷くだけで、何も答えは返ってこない。

「海見にいこっか?」そう尋ねても、唯ちゃんは頷きはしたけど乗り気ではないみたいだった。

何がそんなに唯ちゃんの元気を奪っているのだろう。

もしかして、力のせいだろうか。

おばあちゃんに相談するべきだろうか。

けれど私は、こんな風にはなったことがない。

後で私が、力を使って唯ちゃんの想いに触れてみようか。

けれど私は、極力唯ちゃんに力を見せたくはなかった。

この間おばあちゃんに言われたように、力があることが自然だと思わせるようなことは、避けたいと思っていたからだ。

「ほら唯ちゃん、もうすぐ海に着くよ!」と、私はできるだけ元気を見せるように声を上げた。

いつもの唯ちゃんなら、海が見えた途端、私の手を離して一人で駆けて行ってしまう。

けれど今日は、私の手を離す様子はない。

それどころか……。

「え、唯ちゃん、どうしたの?」

唯ちゃんは私の手を握ったまま、何かにおびえるように立ち止まってしまった。

そして「行きたくない……」と言って、私の脚に抱き着いて、動かなくなってしまった。

「うん、わかった。いいよ。今日はもう帰ろっか」私がそう言うと、唯ちゃんは私に抱き着いたまま頷いた。


帰りの道も、唯ちゃんはずっと黙って歩いた。

疲れた様子も、どこか悪い様子もなかったけれど、うつ向いたまま怯えたように私の手を握る様子は、来た時と変わらなかった。そして時々誰かを気にするように、後ろを見たり、一点を見つめながら歩いたりした。

街で一番大きい記念病院の前を通りかかった時だった。

唯ちゃんはいきなり私の手を引っ張って、「ここ行きたい」と言った。

「え、なに? ここ病院だよ? やっぱりどっか具合悪いの?」

「違う。違うけど、ここ行きたい」唯ちゃんは立ち止まって私を見上げ、泣きそうな顔をした。

「うん、いいよ? けど、どこが調子悪いのか、ちゃんと説明してね?」私がそう言うのを聞いてか聞かずか、唯ちゃんは私の手を引っ張って、病院の中に入っていった。

とりあえず、お母さんに電話をしなきゃ。

保険証もなにも持ってきていない。

玄関を入って外来の受付に行こうとすると、唯ちゃんは私の手を離して何かに呼ばれるように一人で歩いて行った。

「あ、ねえ、ちょっと唯ちゃん、ちょっと待って!」そう言って私も足早に追いかけたけど、どうしてそんなに急ぐのか、私ですらよくわからない広い病院の中をどうして迷わず歩けるのか、唯ちゃんはまっすぐ本館へと続くと思われる廊下を歩いて行ってしまった。

やっと追いついたのは、本館を上へと上がる階段の途中だった。

「ちょっと唯ちゃん、待って、ねえ、待って……」そう言って唯ちゃんの手を握った。

唯ちゃんは立ち止まって私を見たけど、何かを言う様子はない。

「ねえ待って。どこに行きたいの? この上には何もないよ?」

唯ちゃんは相変わらず口を開く様子はない。ただじっと私を見つめて、戻る気がないことを目で訴える。

「わかった。わかったよ。けど、ちゃんと私と一緒に歩いてね? いい?」私がそう言うと、唯ちゃんは黙って頷いた。

こんな小さい子を追いかけるだけで息が上がるなんて、私って運動不足なのかな……、なんて思いながら、繋いだ唯ちゃんの手を離さないよう、注意深く薄暗い階段を上っていった。

「ねえ、どこまで上がるの?」そう聞いても答えは返ってこない。唯ちゃんはただひたすらこの場所を知っているかのように、あるいは誰かに導かれるように、何の迷いも見せず階段を上っていった。

やがてもはやここが何階かすらわからないくらい息を切らせながら階段を上ると、唯ちゃんは階段を出て廊下の方へ歩き出した。どうやらここは、入院患者さんたちのいる病棟のようだった。しかも個室になっている。

いくつかの部屋の前を通りすぎると、唯ちゃんは一つの扉の前で立ち止まった。


浅野 春香


病室の前には、そう名札が出されていた。

「だれ、なの?」

唯ちゃんは立ち止まって扉を見上げたまま何も言わない。

「知ってる人? ここの人に会いたいの?」

唯ちゃんは私を見上げると、黙って頷いた。

どうしたものか……、誰だか知らない人の部屋に入っていいものだろうか。

そう迷う私の気持ちをよそに、唯ちゃんはただじっと部屋の扉を見上げている。

「わかった……、わかったよ」そう言って私は、恐る恐る部屋の扉を叩いた。

返事はない。

聞こえないだけかと思って、私はもう一度部屋の扉を叩き、扉に耳を寄せて中の返事を待った。

やはり、返事はなかった。

どうしよう。

中に誰かいるなら、返事があるだろう。

眠っているのだろうか。

返事ができない状態なのかも知れない。

それなら、軽く顔を見て、それで帰ればいい。

私は気持ちを決めて、ゆっくり扉を開けた。

唯ちゃんが先に中に入る。

「ちょっと待って、唯ちゃん!」私はそう囁いたけれど、唯ちゃんはさっさと病室の奥に行ってしまった。

中は薄暗かった。

誰も電気を付けないのだろうか。

まるで何年もの間閉じ込められていたような空気だった。

窓は締め切られ、外の音は聞こえないけれど、どうやら雨が降り出しているようだった。

ベッドの手前にカーテンがあり、半分閉じられている。

唯ちゃんはもう、その向こうにいた。

「あの、お邪魔します……」私はそう小さな声でベッドに眠る人に声をかけながら唯ちゃんの横に立った。

そこには、まるでもう抜け殻のように痩せこけた一人の若い女の人が眠っていた。




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