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二つの風  作者: Hiroko
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もうすぐ春がくる。

だからと言って、高校二年のどちらかと言うと地味で平凡な私にとって、特別何かが変わるわけではない。

通う教室が、二階から三階になって、窓の外に見える風景がほんの少し変わるだけ。

彼氏がいるわけでもないし、片思いに燃やす想いがあるわけでもない。

あと一年で死んでしまうような病気にかかっているわけでもないし、異世界に旅をする能力を持っているわけでもない。

高校二年の私は、私らしく、私に見合った時間を過ごしている。

ちょっと退屈で、なんとなく進路に悩んでいて、たまに学校帰りにマクドナルドでおしゃべりをする友達がいる。

そろそろ桜の季節だなあ、なんて日常に幸せを感じている。

二年になって伸ばし始めた髪が、そろそろ胸の辺りまでくる。

帰りに雑誌でも買って、髪型の研究でもしようかな、なんてぼんやり考えている。

そんな毎日が、特に何の変化もなく二年間続いている。

まあほんのちょっぴり、人とは違うものを持っているけど、それが今まで特に私の人生を変えてしまうようなことはなかった……、今までは。


弘斗(ひろと)、また学校休み?」奈央(なお)が後ろの席で美香(みか)にそう話すのが聞こえた。時間は八時二十八分、もうすぐ朝のチャイムが鳴る。なんとなく窓際の席に目をやると、確かに弘斗はまだ登校していないようだった。

「最近、いつも休みじゃん。今週なんて、まだ二回しか顔見てないよ?」

「出席、危ないんじゃない?」

「弘斗が留年するなら、私も留年する!」

「なに言ってんの」

そんな会話も、クラスのざわめきの中に溶け込んでいく。

クラスは三十二人。

みんなそれぞれの友達がいて、会話があって、部活があって、目標があって、夢があって、好きな人がいて、家族がいて、過去があって、未来があって……。

みんなこの教室で繋がって、同じ制服を着て、同じように生きているように見えるけれど、運命は違う。一人ひとりにはそれぞれまったく別の運命があって、その暗いトンネルの中を手さぐりで孤独に生きている。

「おはよう! ぎりぎり」そう言って加乃(かの)が前の席に着いて私に話しかけてきたところでチャイムが鳴った。

「また奈央、弘斗のことで言ってるね。次の休憩、美咲(みさき)のとこに来るんじゃない?」そう言っていたずらっぽい笑顔を残し、前を向いた。

担任の竹村(たけむら)先生が入ってきて、号令がかかる。背が高くて肩幅が広い。テニス部の顧問で、三十代、男、独身。クラスの何人かの女の子は、竹村先生のことをかっこいいと言うけれど、私にはわからない。私はまだ、誰かを好きになったことなどない。部活を頑張る男の子や、成績のいい男の子のことをかっこいいな、と思ったことはある。頑張ってそんな男の子のことを好きになろうとしてみたけれど、うまくいったためしがない。

好きになるってどんな気持ちなんだろう?

そのことについて真剣に悩んだ時期がある。中学三年の時だ。

私はその気持ちを経験してみたくて、わざと友達に「サッカー部のユウトってカッコ良くない?」「好きかも知れない!」なんて言ってみたこともある。「私はユウトが好きだ、ユウトが好きだ」なんて自分に言い聞かせて、自分に暗示をかけてやれ! なんてヤケクソになっていた。けれどそんな適当に言った言葉に気持ちがついて行くわけもなく、「どうやら美咲はユウトのことが好きらしい」なんて噂が広まり始めると、なんだかめんどくさいような怖いような気持ちになって、慌ててそれを否定した。幸い、その後すぐに受験、卒業となって高校に入学したからそれ以上のことはなかった。

「美咲、自分のこと控えめに考えすぎなんだよ」と加乃は言う。「自分に自信がないから、男の子のこと好きになれなかったり、好きになっててもその気持ちを認められずにいるんじゃない?」なんて分析をしてくる。

自分に自信のないのは当たっていると思う。けれどそれが人を好きにならない理由と言うのは、少し違うかなあと思ったりする。

苦手な国語の授業が終わり、窓の外に見える晴れ空にあくびを誘われたところで、奈央がバタバタと私の席に駆け寄ってきた。

「ねえねえ美咲、お願い!」と言われてお願いされることはいつも同じだ。

「いいよ」と言って差し出されたタロットカードを箱から出す。

裏向けて机に広げ、奈央が真剣な顔でそれを混ぜるのを見守る。

タロットカードは奈央のものだ。

占いを始めようと買ったらしいのだけど、難しいうえになかなか当たらないので、自分ではほとんどやらないらしい。

机にばらまかれたカードを一つにまとめ、一番上のカードを一枚奈央に渡してまとめたカードの真ん中に差し入れてもらう。そこから二つに分けて、下半分を上半分と入れ替える。

「何を占えばいいの?」

「弘斗がいま、どこにいるか」

「どこにいるかか……」

たぶん当たらない。と思いながら、私はカードをVの字に七枚並べていく。そしてその間に三枚のカードを置くと、左上から順番にめくっていった。

はっきり言って、私はタロットカードなどさっぱりわからない。

並べて表返すだけの役割だ。

それを奈央が、自分で解釈する。

タロットカードには、それぞれある程度決められた意味が存在する。その意味を、占う人の解釈とセンス、あるいは霊能力や超能力、のようなもので占っていくらしい。と言うのを奈央に聞いた。

まあつまり、「当たるも八卦当たらぬも八卦」と言うやつだ。

けれど奈央が言うには、「美咲には能力がある!」らしい。

そう信じて疑わない。

そしてそれは間違ってはいなかった。

奈央が私に占いを頼み始めたのは、二年になって間もない頃だった。

「あれ、一枚足りない……」そう言ってカードを探す奈央の言葉に、何気なく下を見た私の足元に、そのカードはあった。

「あ、これ……」そう言ってそのカードを拾った瞬間、嗅いだことのない人の家の匂いを鼻の奥に感じ、同時に私の頭の中に、見たことなど一度もない奈央の家の景色が広がった。

あっ……、と思った時にはもう遅かった。

それは私が幼い頃から持つ能力だった。

私はまるで時間の流れから放り出されるように、奈央の「想いの世界」に引きづり込まれていた。

そこが奈央の家だとわかったのは、奈央と同じ匂いがしたからだ。

私がこの経験をする時、必ずその場の匂いがする。

そしてその匂いは、人の指紋や声のように、同じものは絶対に存在しない。

その場の温度や湿度、誰がいるか、何が置いてあるか、風や天気、花や土や流れる水、人の吐き出す空気や汗でさえ、その場の匂いに影響を与え、まったく別のものになる。

そして私はその匂いに引き寄せられるように、意識がその場に飛んで行く。

その場に立っている時もあれば、ふわふわと浮いていることもある。

スムーズに動けることもあれば、沼に足を突っ込んだように動けないこともある。

ただ何かを思い出すように、その人の記憶が流れ込んでくるだけのこともある。

物事をはっきりと考えられることもあれば、お酒に酔ったように視界も思考もぐわんぐわんと回っていることもある。

ただ一つ言えるのは、私は人の触れたもの、あるいは人そのものに触れた時、その人の想いに触れることができると言うことだ。そしてその想いが強ければ強いほど、私は強くそこに引き寄せられ、強くその人の「想いの世界」に引きづり込まれることになる。

そしてその時、私の意識は教室から離れ、奈央の家に入り込んでいった。

まるで水あめの中をスローモーションで動くような感じだった。

目に見える物も、いびつなガラスを通してみるように、形が妙な感じに歪んでいた。

伸ばした手が、足が、なかなか前に進まない。

「そ、そ、そおおおおおーーーーーでえーすぅねえーーーーーえ……、い、いちれんのぉーーー、なーがーれーーーぅをーーーー……」と、テレビから人の声が聞こえたけれど、間延びしたその声は、何を言っているのかわからず、頭の中を渦巻いた。

そのテレビを椅子に座って眺める女の人の背中が見える。たぶん、奈央のお母さんだろう。

遠くに救急車の音が聞こえた。けれどそれはたぶん、家の外を通り過ぎただけだ。

本棚が見えた。村上春樹の本が並んでいる。台所からお湯の沸く音がしている。女の人は立ち上がり、慌てて台所に駆け込んでいく。机の上に、食べかけのトースト、半分開いたブルーのカーテン、箪笥からほんの少しはみ出した靴下、ソファーの赤い染み、開けた窓から吹き込んだ風に揺れる観葉植物、箪笥の上におかれた目覚まし時計の音、音、音……。見たものすべてが、聞いた音すべてが、胸の奥で渦巻いて、消えることなく折り重なっていく。

どうしてこんなとこに来ちゃったんだろう……。そう思いながら、奈央の家を彷徨っていると、リビングと思われる部屋の机の上に、何かが熱を持って光っているのが見えた。近づくとそれは、花をあしらったシルバーのペンダントだった。

これだ……。

そう思った瞬間、私は教室に戻っていた。

「リビングの、机の上だよ……」拾い上げたカードを奈央に渡す瞬間、「想いの世界」に引きづり込まれていた影響でぼんやりしていた私は、思わずそう口走ってしまった。

「え?」そう言って奈央がぽかんとした目で私を見た瞬間、しまったと思った。

私は自分の抱えたこの能力を、あまり誰かに知られたくはなかった。

理由があるわけではないけれど、私はほんの些細なことでも人に注目されたり騒がれたりするのが好きではないのだ。

奈央はそのあとすぐに家に電話をかけ、リビングの机の上に探し物が置いてあるのを確認すると、私にお礼を言った。

「ねえ、あの、ありがと。でも、なんでわかったの?」

「ううん、なんとなく、ひらめいて……」うやむやな返事しか返すことができなかった。

「そう言うの、わかっちゃうの?」

「そう言うのって?」

「その、超能力みたいな?」

「え、そんなんじゃないよ……」とごまかしたけれど、それを目の当たりにした奈央が納得するわけがない。私は奈央の家なんて知らないし、そこにリビングがあることも机があることも、さらに奈央が何か探し物をしていたことも知らなかったのだ。

「家に電話したらさ、探してたペンダント、お母さんが私の部屋を掃除した時に見つけて、リビングの机の上においたまま言うの忘れてたんだって。元カレにもらったやつでさ、ずっと大事にしてたんだ。とにかく、ありがとね」そう言ってその場は治まった。

治まったと言うか、それが始まりだった。

「私には、弘斗は家にいて、そうだなあ、家の人が病気で看病しているように思える」と奈央は表返されたタロットカードを見てそう言った。私にはどうしてそうなるのかさっぱりわからなかった。

「美咲は、どう思う?」

「うーん……」私は答えに窮してしまった。

無下に「わからない」とも言いにくい。

だからと言って、わからないものはわからないのだ。

奈央は私がタロットカードで何かを見る力があると思っているらしい。

けれどそれはまったくの勘違いで、私は何か物に触れると、その持ち主や触れたことのある人の想いを見ることができるだけで、しかもその想いは強い物でなければならない。

以前、奈央が落としたタロットカードを拾って奈央の探し物を見つけたのは、奈央がそのタロットカードに強い想いを込めていたからだ。

だから弘斗がどこで何をしているかなんて、本人の触れていないこのタロットカードから何もわかるはずがない。

むしろ弘斗の持ち物や机に触れた方が、何かわかるかもしれない。そう思いながら、私はぼんやり弘斗の机を眺めた。

「私も弘斗は、家にいると思う。けど、家の人の看病かどうかまでは……」そう言ってごまかした。



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