【横滑りの無い人生なんて】
この物語はフィクションです。
登場する人物・施設等は全て架空のもので、実存するものとは何ら関係ありません。
実際の運転は、マナーを守り安全運転を心掛けましょう。
【横滑りの無い人生なんて】
童話「金太郎」の故郷にある峠。
昼間は富士山がキレイに見える、絶好のハイキングコースが有名である。
黄昏時から宵のうちは、小田原市街の夜景が美しいデートスポットだ。
だが、日付が変わる頃から夜明けまでは、メジャーな峠デビューを控えた、
いわゆる走り屋予備軍の練習の場になっていた。
昼間、観光客を搬送するために、路線バスが通るこの峠は、道幅も広くて、
ドリフトの練習には持って来いの場所だった。
かくいう俺も、この峠でスピンターンとサイドドリフトの習得に勤しんだ。
土曜の深夜は台数も多く、練習するにも順番待ちが必要だったので、俺は
もっぱら金曜の夜に走っていた。
直線である程度までスピードを上げる。
ブレーキングして荷重をフロントタイヤに載せ、ステアリングを切る。
車体にヨーが発生したら、サイドブレーキを引く。
そのまま180度回転するのがスピンターン。
サイドブレーキを引くまでは同じで、リヤタイヤがブレークしたらサイド
ブレーキを戻して、アクセルでリヤタイヤの空転量を調整しながら、カウ
ンターをあてつつ、コーナーの曲率に合わせて走るのがサイドドリフトだ。
言葉で表すとたったコレだけの事が、実際にはなかなか上手く行かない。
途中でスライドが止まってしまったり、逆にスライド量が多すぎてスピン
してしまったりと、下手糞の手本のようだった。
偶然に一回出来ても、自分のモノにしていないので、再現性がない。
何度も何度も繰り返し練習して、やっと満足に出来るようになったのが、
通い始めて3ヶ月も経とうかという頃だった。
そんなチンケな小手先のテクニックでも、キマると嬉しくて峠だけでなく、
チャンスがあれば、街中でもバンバン試した。
ある程度のドリフトが出来るようになると、ついにメジャーな峠デビュー
を果たす事になる。
俺のデビューは、県境にある△△峠だった。
この峠は、週末でも台数があまり多くなく、それなりのルールが存在して
いたので、ルーキーでも走りやすかった。
ルールは到って簡単で、そこを走る場合は、一列に連なって上りは上り、
下りは下りで、全車が一方通行で走る。
最後尾の車がUターン区域でパッシングやクラクションを鳴らすと、先頭
の車が走り出し、後続はそれに続くというシステムだった。
深夜の奥深い山なので、一般車の通行は皆無に近いから、失敗して車線を
割っても、対向車と接触する恐れはまずない。
マナー?の良さは、箱根の有名なドリフトスポットとは雲泥の差だ。
何度かギャラリーに行き、デビューはここと決めていた。
安っぽいバケットシートに身を沈め、中古の4点式シートベルトを締めて、
すごすごと隊列に加わる。
先頭から順番に、等間隔で走り出す。
前車がスタートした。
俺もギヤをローに入れ、クラッチを繋いで走り出した。
セカンドにシフトアップしてすぐ、最初のコーナーに差し掛かる。
もう身体に染み付いたドリフト時の動作。
頭で考えなくても、身体が勝手に動いてくれる。
景色が横に流れ、エンジンの唸りとタイヤのスキール音だけが聞こえる。
一度リアをブレークさせてしまえば、後はアクセルとブレーキを調節して
右に左に振りっ返す。
「楽しいー!、超たのしいー!!」
当時は、ドリフトしている時が至福の時間だった。
夜通し走って、俺も車も空腹になる頃、空が白んでくる。
1台、また1台と家路に着く。
シャワーで汗を流し、途中のコンビニで買った、カップ麺とビールを流し
込んでから布団に潜り込む。
そんな週末がどのくらい続いただろうか。
あの頃は楽しかった…。
最近、練習場にしていた峠に、何年か振りに走りに出掛けた。
そこは、当時とは様変わりしていた。
センターラインにはポールが埋め込まれ、コーナー手前のアスファルトは
蒲鉾状に波打ち、溜り場だった駐車場はガードレールで封鎖されていた。
超マイナーなこの峠ですらこの有様だ。
他のメジャーな峠の惨状が目に浮かぶ。
今の走り屋や予備軍は、いったいどこを走っているのだろう。
それとも、もう車でそういう遊びをする連中なんて、居ないのだろうか。
オジサンになった俺は、ただただ残念に思うだけである。
― 完 ―