4話
「湯加減は大丈夫ですか?」
薄い扉越しに白妙の声が聞こえる。
世話係とは言え、年頃の乙女の浴室に平然と声をかけるとは、つくづく自分の事は子ども扱いしてくれる男だ。
いつ迄の一貫して扱いの変わらないこの男に、怒るより呆れてしまう。
「ありがとう、白妙。いい湯加減だよ」
「それは、良かったです」
「そうだ。お風呂上りには、あなたが気に入りそうな香油を用意しておきますね」
「また新しいの買ったの?」
「いいのですよ、どうせ甲斐様から余るほどお金はいただいていますので」
甲斐の名前にせっかく浮上した気持ちが、数刻前の時間に戻されて行くようだった。
「それに、ちゃんと逆上せないようにそろそろ上がった方がいいですよ」
でた、白妙母さま。
「大丈夫よ、もう子どもじゃないんだから!」
「貴方はそうやって、この間も逆上せて居間で寝込んだでしょう」
「はいはい、分かった。もう上がればいいんでしょ!」
落ち込みそうだった気持ちを、また気づかぬ間に上手いこと変えてくれている。
この聡い男は、それにどれほど清香が救われている事に築いているのだろう。
「う〜ん、本当にいい匂い」
「そうでしょう、数種類の花の香りを混ぜたようで今、街で話題のものだそうです」
「本当、白妙はいい女中さんになれるね」
「こらこら、女中とは失礼な」
「あれっ、白妙。手のひら怪我してるの?」
「これは、先ほど引っ掛けてしまったもですがもう大丈夫ですよ」
「傷にしみたら大変だから、私が自分でやるよ」
「もう塞がりかけなので大丈夫ですし、私の楽しみを奪わないでください」
「私に香油を塗りたくるのが楽しいの」
「自分の周りのものがいい香りなのが楽しいのです」
「本当に白妙は、女中の鏡だね」
笑い合いながら香油を髪に刷り込みながら、何時ものように軽口を叩く中でさりげなく白妙は聞いてきた。
「まだ蕾のままだったようですね」
「うん」
「甲斐さまが遅いのを気にしてましたがお気になさら……」
「分かってるわ。証もまだの女とは言えない娘っ子ですから」
聞きたくなくて遮るように言葉を紡ぎながら、誤魔化すようにふざけて笑った。
「心身ともに準備ができてから、と言うのが一説ですがね。どうやって咲くのか何時咲くのか今だによく分かってはないのですよ」
「しょうがないのよ、歳をとったって私はまだまだお子ちゃまって事なのよ」
「ふふ、そうですね。私も、まだ私の愛らしい貴方のままでいて欲しいです」
頬を優しく触った白妙の指から、髪に塗り込まれた香油と同じ花の香りがふわっと香った。
布団に入った後も香油の香りが清香を包み込み、昼間あったことを遠くに押しやり穏やかな夢だけを引き寄せてくれるようだった。
その夢の中でも香りに囲まれるように、穏やかな時を感じる。
私はまだまだ子供でいたい。
子供でいないといけない。
あの人のそばにいるために。
自分に言い聞かせるように、
自分自身にそう呪いをかけるかのように、
意識が沈むまで繰り返し心で呟き続けた。