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同級生を彼女にしたら、世界最古の諜報機関に勤務することになりました  作者: 林海
第四章 17歳、夏(全49回:アクション編)
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22 先手を取られた!


 なんとなく、お昼前。

 でも、お腹なんか空かない。


 ぽつりぽつりと話して、13時。気ばっかり焦るけど、もう、どうしようもない。部屋の奥側のソファに座った美岬も、焦燥と諦めの表情を交互に表していたけど、だんだん諦めが多くなってきたようだ。それも辛い。


 MacBookは立ち上げっぱなしだ。何があるか分からないからだけど、もう、待つということ自体も辛い。

 全てが辛い。

 そんな中で、美岬の母親の声がMacBookから響いてきた時は救いすら感じた。


 「どう? 無事?」

 美岬が答える。

 「うん、います」

 パリとの時差は、向こうがサマータイムだから7時間。

 向こうは朝の6時かぁ。

 「時間を無駄にしていない? きちんとプランを復習している? きちんと食べて体力を温存して、メインプランだけでなくセカンドプランも練り上げておくのよ」

 う、後ろめたい。そんな前向きなことができる気持ちじゃなかった。でも、それを言ったら怒られるんだろうな。言っていることは全面的に正しいと思う。でも、それができるかどうかは別の問題なんだよ。


 答えるに答えられなくて、10秒ほど。怒られる決心がついた頃。

 スマホの呼び出し音。

 あ、ここではなく、MacBookを通してのパリの美岬の母親のスマホの呼び出し音だ。

 呼び出し音が切れ、懐かしい声。遠藤大尉の声だ。

 「お取り込み中、失礼します。至急連絡を。

 例の情報提供者気取りから、新たな情報です。

 文面は『東京にて慈恩を確保した』です。字は、慈しむに恩義の恩です。意味は解りますか?」

 横で、一気に風が舞い上がったような気がした。

 慧思が憤怒の表情で、立ち尽くしていた。


 「祖父です」

 歯の間から押し出すような声。

 そして、間髪を入れずにぱたんという音。

 美岬が、MacBookのディスプレイを閉じたのだ。

 強制スリープに移行なので、回線も切れてしまったはずだ。

 「遅かった……」

 美岬がつぶやく。


 その一言を聞いて、俺の現状認識も美岬のそれに追いつく。

 人質を取って美岬の身柄と交換を持ちかける、この手段を取られたら、俺たちが身を隠すという選択肢が飛んでしまう。

 後手後手になっている。非常によくない。

 慧思の祖父の保護は、坪内佐にお願いしたんじゃなかったのか? どうなってる?

 慧思が電話に飛びつく。坪内佐に事実関係の確認をする気だろう。


 「もしもしっ?」

 いつもの慧思らしくなく、言葉が荒い。

 「身柄は保護し、移送中? 至急確認をお願いします」

 そのまま待てと言われたのだろう、慧思はいらいらしながらも受話器を耳に当て続け、電話機の前から離れない。


 「保護しているはずのバディが、呼び出しに応答しない? GPSで現在位置の確認は? 現在実行中。分かりました。……5分後に」

 受話器を置いた慧思が、こちらに向き直る。しゃべりながら復唱したので、会話の中身は俺たちにも解っている。この方法で電話を受けるというのは、小田さんの教育だ。


 最後にちょっと長く話を聞いていたので、なにか伝達事項があったのかもしれない。

 「応答がなくて、拉致されたようだ、と。護送中のバディごと。

 ただし、それなりに訓練されているバディもろとも拉致するというのは、敵側がよほどの態勢でないとできない。国内にかなりのユニット数の実力行使部隊が侵入しているらしい」

 「で、おじいさんの状況は、全く判らないのか?」

 「坪内佐は、無事に違いないと言っている。気休めではないと。

 理由は、人質を取った目的が、美岬ちゃんと言う人質を得るためだからと。生きた人質同士を交換することはできても、死んだ人質と生きた人質の交換ができないことは、どれほど馬鹿でも解るはずだと」

 なるほど、そりゃそうだ。



 だけど、それは美岬へのプレッシャーが掛るなぁ……。

 慧思が説明を続ける。

 坪内佐と話して少しは安心したのだろう。

 「坪内佐が、昨夜の話を繰り返していた。

 組織に属する人間の身内の誘拐に、それだけの態勢で来るというのはタブーなんだそうだ。なぜならば、即、表の世界での戦争状態となるからで、諜報の世界イコール殺しや誘拐ではないんだと言っていた。

 今回も、当然、親族の保護はしたけれど保険をかけるという意味が強く、本当に親族の誘拐や殺害をしあうようになったら、人と人の繋がりは果てしなく広がっていくから、このままいくならば表の戦争にならざるを得ないと言っている。

 今回、相手側はそのルールを一方的に無視しているから、戦争も辞さないということなのか、ルールを知らないのかどちらかだと。

 坪内佐の読みだと、ルールを知らない方だとさ。

 なぜなら、中東全域ではなく、S国でのプレゼンスの取り合いで今回の事態が起きているからだって。

 要は、地域戦であって、メインの戦場じゃない場所で全面戦争を発生させるのは意味がない。戦争を起こすならば、それなりに得るものとリスクを考える必要がある。歴とした大義名分も必要だ。

 それらが得られないS国への影響力行使は、その地域への布石的な意味合いが強く、同じ中東でも産油国への影響力行使とは違って、得るものの点からメインの戦場になり得ないものだと。むしろ、地域戦しか任せられない部隊が跳ね返っているだけだと言ってる。

 なんか、専門用語っぽいのを使っていたぜ、坪内佐。

 諜報ってのは、通常はゼロサムゲームで、単発で非ゼロサムゲームが挟まれる。今は、その非ゼロサムゲームのタイミングじゃないから、相手は下部組織の暴走だと確定して良いってさ。

 意味解る?」

 「……なんだ、それ」

 思わず、口走る。


 美岬が答えた。

 「昔、父から聞いた事がある」

 えっ、母親からじゃないこともあるんだ。

 俺たちの驚いた表情を見て、美岬は自分の父親について説明をする気になったようだ。


 「父は囲碁が強いのよ。

 海外では、理系の学者とかで碁を打つ人が多いし、だから、海外で数学とコンピュータ以外のあちこちにも人脈が広いの。

 でね、坪内佐の話だけど、ゲーム理論というのがあって、で、碁は『二人ゼロサム有限確定完全情報ゲーム』なんだって。

 なんかの呪文みたいだよね。

 『二人』は白石黒石の2人で戦うから。

 『有限』ってのは盤面を石を埋め尽くしたら終わりになるってことから、お互いの手が有限だということ。

 で、『確定』ってのは、基本的には盤面に石を置いて指を離したら、それぞれの手が確定すること。

 最後に『完全情報』は、碁はボードゲームだからお互いが完全に相手の手が見える状態だということ。

 『ゼロサム』とかっていうのは、戦いで得られる利益の総和が一定の場合。大きさが一定のパイを切り取り合うイメージのゲームだよ。

 株で儲けるのが難しいのは、長い目で見てゼロサムゲームだから。

 全部のプレーヤーが、それぞれ他のプレーヤーの利益を奪わないと儲からないからなのよ」


 美岬は、話しながらさらに何かに気がついたような顔をした。

 「そうか、世界全体の富の量は一定だから、ゼロサムゲームなのか……。

 だから、エスカレートしすぎないように、自制しながら多数のプレーヤーでゲームを進める必要がある。そうでないと、富を全て奪われる方が、富そのものを壊してしまう可能性が生じる。

 でも、新しい油田があったとか、科学技術で新たな富が生まれた時は非ゼロサムゲームになるわけなんだね。その時はより激しい戦いになるんだと思う。もっとも、非ゼロサムゲームだと、全員が損することもあるんだろうな」

 なるほどと言えるほど理解しているわけでもないけれど、坪内佐が言っているのは、「ゲームのルールを理解していない相手だから、小物と断言して良い」ということなんだろう。


 美岬が続ける。

 「ああ、あともう一つ、坪内佐の言いたいことが解ったよ。非ゼロサムゲームのルールでゼロサムゲームを戦うと、一時は優位を保てる。

 だけど、その優位が確定できない場合、取り合うべき富が破壊されてしまう可能性が生まれるから、こちらから何かをしなくても、その下部組織自体が上部組織に粛正される可能性が高いということじゃないかな。

 プレーヤー自体も多数なんだから、日本がどうこうしなくても他の国までが介入してきてしまう。それを防ぐには粛正しかないよね」


 ううう、寝不足の頭には理解がきついぜ。


 こういうことかいな?

 あまりに卑近な例だけど、渋滞した高速道路の路肩を走るバカがいると、そのバカは全員に分かち与えられた渋滞という不利益はパスできる。

 その一方で、緊急時の救急車の通行という、全員に分かち与えられた富が破壊されてしまう。それは、路肩を走らない通常のドライバー全てを敵に回す潜在的可能性を持つ。

 もしも、救急車が出動して路肩を走り、ルール違反したバカのせいで急病人にたどり着けなかったら、その障害になっている車は、高速道路から放り出されるという極めて大きなリスクを自ら選択したことになる。


 正しい理解か自信はないけれど、言いたいことは解ったと思う。

 なるほど、こういう方法論で考えるってのもあるのか。俺たちが推測を積み上げて出した答えを、別の方法であっさり結論だけ出して追い抜いて行くようだよね。


 しかし、坪内佐がこういうことを言い出すのは良いとして、美岬の父親ってのも何者? 碁を打つ人って、こういうことも考えているものなのかな?


 まぁ、俺が理解しているんだから、話の中身は慧思も理解しているだろう。

 「そか、それで、相手が小物だからといって、危害が加えられているのを黙って見ているわけじゃないので、それなりに手を打つって言ったのか……。

 おまけに、相手が本国から粛清される可能性がある下部機関ならば、上部機関からのバックアップも薄いし、どんな手も打ち放題だよな。

 相手の利益を確定させなければ、そして相手を暴走させなければ、無事に帰ってくる確率が極めて高いという意味も、単なる気休めではないことが解ったよ」

 うーん、なんか、読み合いとか探り合いを感じるけど、判断というか、状況分析は論理で動いているんだな。

 そもそもルールを理解しないと、戦いにも参加させてもらえないんだ。


次回、彼女の決断

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